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1-5:ココロと『三つのパーツ』(人生はなぜ辛いのか?と思ったときに読む『モト』の話)

1-5【ココロと「三つのパーツ」】

改めて「ココロ」って何だろう

 ところで、さっきから頻繁に『ココロ』という言葉が出てきますよね? これって、一体何なんでしょうね?

 ココロというものは、目には見えないけれど、確実にあるものだ、ということを先程書きましたが、確実にある、ということは、何らかの実体があるということです。

 確かに、人間の「臓器」として『ココロ』があるわけではないんですよね。
 ココロがあるカラダの場所はおそらく「脳」だろうと言われていますが、解剖学的に「ここがココロだ」というポイントがはっきりしているわけではありませんから、やはり人間のココロというものは、目には見えない、でもどこかに確かにあるもの、としか僕らには認識できないんじゃないかと思います。

 ここから先、この本ではモトから考えられる『ココロ』のことを書いていくのですが、その前にどうしても知っておかなければならないことがあります。それは

 僕たちは『三つのパーツ』からできている

ということです。


人間は『三つのパーツ』の集合体だ

 繰り返しになりますが、僕たちにとってこの『ココロ』とは何か、という話をするにあたって、まず初めにしなければならないのは「僕たちは『三つのパーツ』からできていて、その一つが『ココロ』なのだ」という話です。

 以前、カメラメーカーのキャッチコピーにこんなものがありました。

「ココロとカラダ、にんげんのぜんぶ」(オリンパス)

 「心と体」という表現は日常でもよく使いますし、心身なんて言葉もあります。ですので僕たちは普段「自分というものは『心と体』で出来ている」と思って暮らしているんじゃないかと思います。

 ですが、僕はそこに「もう一つ」あるんじゃないかと考えています。それは

『アタマ』

と僕が呼んでいるパーツです。これを加えると、人間は

『アタマ』
『ココロ』
『カラダ』

という『三つのパーツ』によってできていることになります。


『ココロ』と『アタマ』はどう違うのか

 「人間は考える葦である」という、パスカルの有名な言葉がありますよね。人間は、考える生き物です。
 この『考える』という動作をしているのは、どこでしょうか?
 これも、ココロと同じく、おそらくは脳だろうといわれています。
 実際に、人間が何か考えている時、脳の一部分の血流や脳波が変化するという研究も多く出されているので、やっぱり人間の思考は脳の働きによるものだというのが現代人の共通認識ではないかと思います。

 ところで・・・『ココロ』って「考え」ませんよね?

 ちょっとご自分の日常を振り返って考えていただきたいのですが、例えば「美しい音楽を聴いて涙する」という時、あなたは
「この音楽は美しい! だからここで涙を流さなくては!」
「考えて」から、泣いていますか?

 他にも、誰かの心ない言葉に傷ついて怒る時、あなたは
「この言葉は非常識だ、だから怒った表情を見せなければ!」
「考えて」から、怒っていますか?

 ・・・そんなことありませんよね。感動した時や怒った時は、わっと感情が高ぶって「勝手に」そうなっちゃうんですよね。こういう経験は、生きているとしょっちゅうあると思うんです。

 僕は、この「勝手に」カラダを動かすパーツこそが「ココロ」だと考えています。

 そしてそうではなく「考えて」カラダを動かすパーツを「アタマ」と呼んで、この「ココロ」と区別して考えるようにしています。

※この本では、日常で使う「体・心・頭」という言葉と区別して考えていくために、三つのパーツのそれぞれを「カラダ・ココロ・アタマ」とカタカナで表記します。・・・実はこれまでもそうなっていました(笑)。

(続く)

「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)