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【8日目】ココロとカラダと「あともう一つ」の話(ニンゲンのトリセツ・改)

◆ココロが「自動的」に感情を出すということ

 ここまで、僕たちのココロというものの「メカニズム」を『モト』という新しい視点から解説してきました。本当に「新しい知識」ばかりで、読者のみなさんもずいぶん混乱していらっしゃるんじゃないかと思います。
 特に『ココロというものが『モトの量』に応じて「自動的に」感情を出す』というくだりは、感覚的にも「え!?」という驚きと疑問があるのではないかと思います。だって、僕たちは普段からいろいろなことを考えていて、そしてその結果「感情」というものが出てくるような気がしますもんね。だから「ココロが『自動的に』感情を出している」という書き方に、違和感をお持ちの方も少なくないんじゃないかと思うのです。

 そこで、ここから先はどうしてそんな風に「自動的」などと言えるのか? という話になっていきます。これはいうなれば僕たち「ニンゲン」というものが、どういう『構造』をしている存在なのかを、この新しい知識である『モト』の視点から見直していくことで分かる、

・新しい「ニンゲンの構造」の知識

という話です。この本のサブタイトルにもある通り「ココロとカラダと、あともう一つ」の話なんです……ようやく『ニンゲンのトリセツ』にふさわしい内容になっていきます。


◆ココロ・カラダ・そしてあともう一つ

 さて、ここでもういきなり種明かしをしてしまいます。実は僕たちニンゲンというのは

【三つのパーツ】の集合体

です。この【三つパーツ】を『モトの話』ではそれぞれ

◆ココロ

◆カラダ

◆アタマ

と呼んでいます。大事なので太字です。

 一般論として僕たちは、自分というものは「心と体」でできている、という認識で日々を送っています。ですが『ココロがモトという粒子の集まりである』と考える『モトの話』では、これだけでは不十分になってしまうんです。ですからあえて、カラダの中にある(っぽい)ものを

  • ココロ

  • アタマ

と二つに分けて考えます。そうなると、僕たちニンゲンというものは

  • ココロ

  • カラダ

  • アタマ

という【三つのパーツ】が合体しているもの、と考えられるのです。


◆ニンゲンは【三つのパーツ】の集合体だ

 『考えられるのです』なんていきなり言われても「んなアホな」という話になってしまいますよね……ですがもちろん、この「新しい知識」にもみなさんが納得できるような解説をご用意しています。少しずつ、話を進めていきましょう。

 この【三つのパーツ】のうちの

  • カラダ

というのはとても分かりやすいですね。だって「目の前に実際にある」ものですから。さすがに「カラダは存在しない」と思っていらっしゃる読者の方はほぼいらっしゃらないでしょう。
 問題は残りの二つです。これらはどちらも

・目に見えない
・触れることもできない
・でも確かに「ある」

という性質のものですから、こんなに明確に

  • ココロ

  • アタマ

と二つに区別できるものなのか? という疑問はごもっともです。
 ところが『モト』という視点で見ると、まず「ココロ」はモトの集まりという「形あるもの」ですが、もう一つの「アタマ」はモトの集まりではなく、僕たちのカラダの一部である『脳の機能』によってもたらされた「情報」なので、実体がないんです。この点で「明確に」違いがあります。

 とはいえ、モトなんて筆者の僕が勝手に想像しているものだろうと(まだ)お思いの方もたくさんおられると思います。そこで、この「ココロ」と「アタマ」がどう違っていて、それぞれがどんな働きをしているのか、ここから先でくわしく見ていきたいと思います。
 どうしてそんな「区別」が大事なのかというと、実はこの、区別しづらい二つのパーツ「ココロ」「アタマ」をきちんと区別することで、自分自身の中で起こっている「よくわからない気持ち」や「コントロールしづらい感情」を、はっきりと言葉で「説明」できるようになり、それゆえに「自分の人生をちゃんと自分の意思でとらえる」ことが楽になるからです。つまり、自分自身の「取扱方法」が分かるようになるということです。

 ほら、『ニンゲンのトリセツ』らしい話になってきたでしょ?


◆ココロとアタマ、二つの違い

 では区別しづらい「ココロ」と「アタマ」を、自分の中でどう区別したらいいのでしょうか……それは「機能」です。まず、ココロは「感情(気持ち)」を出すパーツで、そしてアタマは「考え」を出すパーツです。この点で明確に違うものなんです。

 簡単な例を出しましょう。あなたの今までの人生で、音楽や映画に感動して、気づいたらボロボロと涙が出ていた……という経験、ありますか? たいていの方は一度くらいあるのではないかと思います。また音楽・映画に限らずに、マンガやゲームなど他のメディアでもいいですし、誰かの言葉や社会でのできごとに感動して、気づけば涙がホロホロ……という経験でも構いません。
 その時を思い出していただきたいのですが、そのときあなたは
「この映画はすばらしいぞ、今涙を流さなければ!」
先に『考えて』から、涙を流したのでしょうか?
 ……多分答えは『NO』ですよね。そんな人、なかなかいないのではないかと思います。美しい音楽、美しい場面、そんな「心が揺さぶられるなにか」に触れたときに「自動的に」カラダが働いて涙が出てきたのではないかと思います。ですよね?
 このときに「自動的にカラダを動かした(涙を出させた)」のが

  • ココロ

というパーツです。ココロというのは『モトの集まり』で、【好き嫌いゲージ】という道具で「モトの量」をはかっているんでしたね。この【好き嫌いゲージ】が『好き』側に動き、ココロのモトを自分で増やして、その結果として「感動」という体験が生まれたわけです。
 こんな風に、何か見聞きしたり考えたりした結果「自動的に」カラダを動かす「感情(気持ち)」を出すことができるパーツのことを

・ココロ

と呼びます。ココロは「自動的に感情を出す」パーツなのです。

 それに対して、アタマは「考える」パーツです。僕らは起きている間、四六時中何かを「考えて」いるものです。

  • 今日の晩ごはん何食べようかな

  • 明日の会議の準備しなくちゃ

  • 今日はセールだから買い出しに行こう

  • 先方に電話するの何時ごろがいいかな

  • 明日は体育の授業があるな

  • 生きるのツラいな

あなたもこういうふうに、常に言葉を使ってなにがしか「ごちゃごちゃ」と考えていませんか? これが「アタマ」の働きです。生きていくために、周囲の状況や自分の状態、そして過去の経験や未来の予測などを常に「考えている」パーツこそが

・アタマ

なのです。

 この二つのパーツ【ココロ】と【アタマ】はどちらも目には見えませんし、触ることもできません。そしてものすごく”シームレス”に連携して動作するものですので、なかなか「区別」するのが難しいのではないかと思います。実は現代の心理学の世界でも、これら二つを明確に「ニンゲンの別の器官だ」としてはいません……あくまでどちらも「心の中のできごと」という風に扱います。
 ですがこの『モトの話』ではこれらは明確に『別のパーツ』として扱われます。繰り返しになりますが、【ココロ】はモトでできている「実体のあるもの」で、【アタマ】は「脳の機能」なんです。

 今は、実感として

  • 【ココロ】……「感情」を出すパーツ

  • 【アタマ】……「思考」を出すパーツ

こういうふうに区別してみてください。次回はこれらがどのように連携して動作するのか、あるいは連携が取れなくて困ることで起こる「ストレス」という状態についての話です。

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※ご注意※
 今回の【三つのパーツ】という考え方にもとづき、『モトの話』ではこれらを

  • ココロ

  • カラダ

  • アタマ

というふうに「カタカナで」表記します。一般的な表現である「心」「体」と区別するためです。実はここまでの話でもそういうふうに区別して表記してあります。特に一般に「心」と呼ばれるものは、『モトの話』では明確に「ココロ」「アタマ」に二分されます。「ココロ」はあくまで「モト粒子の集合体」という性質を持つ存在を指しています。


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「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)