【エッセイ】インタビューの紹介欄に何と書いてもらったらいいのか、という話
◆肩書のない人生
僕には肩書らしい肩書がない。例えば雑誌に取材されたとしても、人物紹介欄の「ひとこと経歴」がないのだ。学者でも医師でもなく、役員でも政治家でもなく、会社員ですらない。「元〇〇」もない。
成人してからを振り返ってみる。フリーターとして糊口をしのいでいた30歳前後に両親を立て続けに失った後、とある雑誌の編集部で派遣事務員をしていたときにリーマンショックが来てしまった。首切りで失職してもすでに実家はなく頼る相手が全くいなかったので、あっという間に生活保護になってしまった。保護を受けながらも足繁くハローワークに通い、5年ほど就活を続けたがバイトすら通らなかった。落選が1000件を超えたところで数えるのをやめた。
◆不遇の世代という考え方
考えてみれば、僕の世代はたしかに不遇だ。
オイルショック生まれ
受験戦争の団塊ジュニア世代
バブル崩壊後の就職氷河期
リーマンショックで非正規雇用の雇い止め
東日本大震災からの不景気
それらすべてを一身に受けた世代である。
だが、同じ世代には先日ついに宇宙へと旅立った前澤友作さんのような人もいるので、何もかもが世代のせいだとも言い切れない。いっそ全部が「時代のせい」で済ませられればこれほど楽なことはないのに、とヨコシマなことをつい思ってしまう。
◆「自称〇〇」という生き方を目指す
肩書というものには「持たせてもらう」という側面がある。大学教授にしろ役職にしろ、なろうと思った者全員がなれるわけではなく、何らかの『選考』を経なければならないからだ。僕は誰からも、何の肩書も与えられなかった。そのことに今も大きなコンプレックスを感じている。
だが……保護を受給し始めて十余年。最近は「なければ自分で作ればいいじゃない!」と考えている。カッコよくて分かりやすい「肩書」を求めて、僕は今日も色々な単語を自分の名前の前になすりつけてはニヤニヤしているのだ。
(2021年12月 日南本倶生(ひなもとともき))
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「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)