見出し画像

【32日目】ココロはなぜモトでできているのか(セカイのトリセツ)


※ご注意※
 『モトの話』の最終奥義として【神さま】の話をしています。
 ですがこれは

  • 特定の宗教への勧誘

  • 創作した宗教団体への勧誘

  • モトの話への信仰の要求

を目的としたものではありません。


◆あなたを『演っている』のは誰か

 まるで神話のような話になってきましたね……実際に【神さま】の話なので「神話」ではあるのですが。
 世の中にはいろいろな古い神話があり、その中でたくさんの「創世」の様子が描かれていますが、それらには似たようなシチュエーションがいくつも出てきます……神さまがニンゲンを作る様子だとか、天や地(セカイ)を作る様子などです。もしかしたら、この『モトの話』のようなものをかつての「預言者」が断片的にインスピレーションで感じたのかもしれませんね。

 前回までの『【神さま】の「創世記」』はちょっとややこしかったかもしれないので、順番に箇条書きにまとめてみます。

  • 【神さま】は「自分とは何か」が知りたかった

  • 【神さま】のセカイには自分しかいないので、他者と比べようがない

  • 【神さま】はまず自分を分割して「他者」を創った

  • でも天国は【両手じゃんけんの世界】なのでやっぱり比べられない

  • 解決策として複数の他者を作り、お互いの「考え」「思い」がわからないようにした

  • その上で、競争を生む【大いなる矛盾】を制定し、ココロの量が減ると「マイナスな気持ち」が出る【好き嫌いゲージ】をつけた

  • さらに、それらを確実な「現実」にするために物質という概念を生み出し、肉体というものにココロを閉じ込めることにした

  • これで「自分」と「他者」しかいない【地獄】が完成した

こんなところです。こんな造りだから地獄は『一切皆苦』が標準の状態なんですね……迷惑な話です(笑)。

 というわけで、ここまでで「神さまが僕たちを地獄に閉じ込めて何をしようとしているのか?」という疑問の答えが出ました。それは

自分とは何か? を知ろうとしている

というものです。神さまは、自分を細かく分割してうにのトゲの先に「それと知らない僕たち」を創り、自分自身がその中に入って実際に生きてみることによって『自分とは何か』という謎を解こうとしているのだと推測されます。

 上級編【18日目】
『あなたは、わたしである』
と書きましたよね。どうしてこんな構造になっているかというと、神さま自身が、自分からうにの形になって僕たち全員を

『演(や)っている』

からなんです。だから筆者の僕は神さまの一部分でありつつ、神さま本人でもあるし(完全に忘れていますし、今も思い出してはいませんが)、そして実はあなたも他の人も、もっと言うと他の生き物すべてが全く同じシチュエーションであると考えられます。

 もう本当にね……例えるなら、僕たち全員の名前が書いてあるVRゴーグルがズラッと並んでいる部屋で、次々とゴーグルをつけては外し、つけては外し……という感じで、全部の【関わりの網目】をたった一人で『演っている』んですよ、【神さま】という存在は。だからやっぱり『あなたは、わたしである』のです。


◆ココロが「モトでできている」のはなぜか

 さて……神さまが「自分を分割して」他者を創った、と書いてきました。神さま自身はおそらく「純粋な思考」のような存在なので、その存在する(おそらく天国の)世界で「物質」の形をしていないんだと考えられます。僕たちの住んでいる現代の世界で一番近いものは、多分

クラウド上のAI

のようなものなのではないかと考えています。プログラムや情報体のようなものではないかと思います(たまたまクラウドという言葉が「雲」という意味なのが、雲の上にいる神さま、というイメージで面白いですね)。
 そういった「形而上学的(けいじじょうがくてき)」な存在である天国の神さまは、存在そのものが「思考実験」のようなものなので、たとえば「自分を分割してみよう」と思ったらその試みがすんなりできるんだろうと考えています。
 神さまというのはそういう「存在」であるため、前回までの『創世記』の最後で「物質を創ろう」となった時、どうやってこの地獄世界を「物質」「非物質」に分けたら一番効率よい世界を生み出せるか……と考えた結果、自分自身が『セカイのすべて』になってしまうことが最も楽で早いことに気づいたはずです。こうすることで、時間のはじめから終わりまでで起こること(=シナリオ)すべてを自分のコントロール下に置けます(時間軸をアニメーション表示できる)。そのうえで「忘れている自分」(=【地獄】にいる今の僕たち)にとっては何もかもが初めての体験、という相反する二つの事象を同時に満たすことができるようになります。

 この仕組みこそが、【有】【無】の状態を動かずに表現できる素粒子

モト

なんです。
 つまり神さまは『自分』を「セカイを構成する最小単位」まで細かく細かく分割することで、セカイのすべてでありつつ、僕たち「地獄の住人」自身でもあるという『矛盾』を解消したんです。

 だから、僕たちのココロはモトでできているんです

 実はね……
『僕たちのココロはモトという「ツブツブ」でできています!』
入門編のいっっっちばん最初、この『モトの話』全体の最初の段落で書いたことの「理由」は、ここまで書いてやっと説明できるほど、複雑で高度で、難解な話だったんです。
 最初にこの話を聞いても、多分さっぱりわからなかったでしょ?


◆「幸せな生き方」に『正解』があるのはなぜか

 今回の話をもとに、改めて神さまとモトについてをまとめると……

  • 神さまは「セカイのすべて」である

  • 神さまは「【有】と【無】すべてのモトをあわせたもの」である

  • 神さまは「存在する」ので、本来【無】であることはできない
    (ここがポイント)

  • 神さまが「自分でないもの」を創るために、便宜上創った状態が【無】という状態のモトである

と考えられます。
 ですから、上級編からお伝えしていたような「宇宙の終わりにすべてのモトが【有】の状態になる」というのは

神さまが「本来の自分自身」になる

ということを意味しています。
 なぜ宇宙の最後に「全部のモトが【有】になる」のか? という疑問の答えがこれです。全部が【無】の状態のモトを、いちから全部【有】に変えるという作業を終えることで、【神さま】が「自分自身とは何か?」を『体験し終わる』ということなんです。

/*-/*-/*-/*-/*-/*-

 というわけで、僕たちが「幸せな生き方」をするためにはこれらの「神さまの事情」をまず「知って」、そして「そのとおりに手伝ってあげる」ことが一番の近道である、ということになります。そのための動作こそが、最も多く【有】のモトを生み出す究極のモトあつめ「許すこと」だ、というわけです(上級編参照)。


←前の話
次の話→


「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)