【23日目】偉人のマネと『自分ファースト』(ジンセイのトリセツ)
◆偉人のマネをして幸せになろう
『許す』ためのツール『あきらめる』ことの話を続けましょう。
あきらめる、というのは何かを手放してがっかりすることだけではなく、本来は
の略で、それが「必要かどうか」を見極めていくという意味です。
何かを、誰かを『許す』ために必要なのは「優れた知性」だと前に書きました。実際問題として筆者の知性なんて全然「優れて」ないのですが、この『モト』という考え方をベースにすると、【21日目】出でてきた「無償の愛」のような行動をしてきた偉人を
マネる
ことができるようになってきました。なぜそうやって人を助けて生きられるのか「理解できた」からです。
そういう「マネる」時の一連の「モトの動かし方」の最初のステップがこの『あきらめる』ことなんです。
では具体的な「マネる方法」の話に入りましょう。さきほど「必要かどうかを見極める」と書きましたよね。そのときにまず大切なのは「誰にとって」必要か? ということです。
実は「明らかに見極める」=「あきらめる」ためにまず考えなければならないのは
なんです。
前回出てきた「無償の愛」は『自己犠牲』だという考えを持っている人は多いと思うんです。確かに、自分のカラダや財力をなげうって人のために尽くす姿を見ると、そういう『自己犠牲』こそが「無償の愛」だと思ってしまうと思います。
でも、僕たちには「モト」があります。こういった「無償の愛」の報酬は「モト」だと前回書きました。今まで『自己犠牲』に見えていたものには、そういう「自分」を差し出すことで「自分のモトを集めている」という『構図』があったんです。
ですから、本質的にはこういう偉人たちは『自己犠牲』ではなく「自分のためにモトあつめをしていた」のです。だからマネできるのです。
◆偉人は『自分ファースト』だ
こういう「偉人のマネ」をするために何が必要なのでしょうか? それは【アタマ】を上手に使うこと、つまり「考え方」です。
まず、モトには【量】があります。そして人間のココロには【量】を測る装置【好き嫌いゲージ】があって、このゲージが上がったときにしか「幸せを感じる」ことができない、というメカニズムがあるんでしたね。
それゆえに、自分自身を幸せにするには、
という絶対条件が存在します。これを達成しないで『自己犠牲』の行動だけマネても、モトもモノもひたすら失うだけで「ストレス」を感じるはずです。
だから僕は、いつでも
だと言っています。まず自分のモトの量を高止まりさせることが、最初にやることです。これを達成すると、自然と人にモトやモノを分け与えてあげたくなります。余るからです。余ったモトやモノを誰かに分け与えることで、相手の「感謝」が自分のモトとして返ってくる……ほら、これこそが上手な【二番目のモトあつめ】なんです。
◆今の「それ」があなたを幸せにするか見極めよう
そこで……自分のココロの【モトの量】を高止まりさせるには、自分の周りにあるものや、自分に関係のある人が、
自分を幸せにするために「必要かどうか」
を
ことが必須になってきます。ですからまず「あきらめ」ていかないといけないわけです。
今その人間関係が、あなたを幸せにしますか?
今その仕事が、あなたを幸せにしますか?
今その行動が、あなたを幸せにしますか?
何よりまずは『自分ファースト』です。自分を幸せにできない者は、「絶対に」他者を幸せにできません。【ココロには量がある】からです。
対人関係においては『自分ファースト』をやるのが難しいときもあります。そこは多少「テクニック」がいりますよね。たとえば「断る」とき、どう「言葉や表情」を相手に示すか?相手を怒らせたとき、どう振る舞うか?など、このへんはちまたの「話し方教室」や「話し方マニュアル」で勉強できます。
こういうものが必要なのはやっぱり『自分ファースト』を達成するためです。自分の【モトの量】を高止まりさせるために、周囲とうまく付き合っていく必要があるのは間違いないことです。モトは「やりとり」されるものだから、こちらが「奪ってしまう」こともあるからです。
そういう技術が必要だ、という判断も「あきらめる」という行動です。自分のモトの量を高止まりさせるために必要だという「見極め」です。
逆に自分のモトの量にとって「不要だ」というものもあります。そういうものも「あきらめる」ことで「手放す」ことができるようになります。
ではどうすれば「あきらめ」られるのでしょうか? ということで次回は「あきらめる」ためのツールである
の話です。
「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)