【お試し読み】ナナコ
*ナナコ*
ネット検索の結果、この連絡先に辿り着いた人の九割、いや、九十五パーセントは、おなじことを言う。
「都合がいいとは、つまりそういうことなんだろう?」
そうではないと答えても、
「まあそう言うよりほかはないよな。だけど……ねぇ?」
電話の主は食い下がる。男でも女でもおんなじだ。
「お困りのことや悩んでいらっしゃることがあればお聞きします。ここはそういう場所ですから」
ナナコも常におなじセリフを繰り返す。
「それで、何度電話したら会ってもらえるんだい?」
こちらの言いたいことはなかなか伝わらない。
「お会いすることを前提にお話しさせていただくことはございません。あくまで電話でお悩みをお聞きするだけです」
そう口にしたところで、ブツっという耳障りな音とともに電話は切られた。
ナナコは言葉を発しなくなった受話器を見つめて、ため息をつく。どんなにていねいに説明しても伝わらない。さんざんイヤミを言い続けられたり、いきなり電話を切られることもしょっちゅうだ。
そういう電話をかけてくる人たちはみな、ここを手軽な出会いや人集めのためのサービス電話だと勘違いしている。少し前にはこんなこともあった。
電話口で怒りに声を荒げる女性は、持って行き場のない思いを聞いて欲しい、そういう人なのかと思われた。それならば、じっくり話を聞き、気持ちに寄り添うことでお役に立てるはず。そう考えたナナコは全神経を耳に集中させた。けれど、丁寧に相槌を打ち、しっかりと話を聞いた後で、最終的に女性が依頼してきたのは家族の葬儀への参列だった。
ほかに頼るところがないと言われれば力になってあげたいとは思うけれど、当然ながら定められた業務範囲からは逸脱している。
「申し訳ございませんが、そういったご依頼はお受けできません」
ナナコがそう告げると、女性はヒステリックにわめきだした。
「それならどうして聞いたのよ」
「さんざん話を聞いておいてできないってなによ」
「ダメならダメって、最初に案内しなさいよ」
次々と浴びせられたこれらの言葉に、なんと答えるべきなのか。
ナナコは考え込んでしまった。回答が欲しいわけではなく発せられる質問はナナコの苦手とするところだった。
答えに窮し、固まってしまったナナコにかわって、先輩社員であるヒトミが事態を収拾させた。
「これ以上、お話をお聞きするわけにもいかないようですので、失礼させていただきます」
ヒトミはドライに、毅然たる態度で電話を切った。ナナコは驚いた。一方的に切られる電話は何度も経験しているけれど、自分から電話を切ったことはなかった。電話の向こうで怒りをぶちまけていた女性は今、どんな気持ちだろう。彼女もため息をついているだろうか。想像してみてもわからなかった。
ヒトミみたいに自分も電話を切ることができるだろうか。切ったほうがいいのだろうか。首を傾げ、頭の中でシュミレーシションをしてみても、それもわからない。
こんなこともあるのだ。
ナナコはこういうことがあるという事実だけを記憶に留めた。次におなじことが起こったらどうするべきか、その答えはペンディングにして。
勘違いの電話は増え続けていた。どうやら誰かがどこかに書いた、この相談所の利用感想レビューを読み違える人が多いらしい。
「都合がいい女としか形容できない。良い意味で、そんな感じ」
勘違い電話の主が言うには、レビューにはそういう言葉が書かれているようだった。
これがどんな意図で書かれたものなのか。もしかしたら単純に思ったことを書いたのかもしれない。ここをよく思わない誰かが悪意を持って書いたのかもしれないし、もっと言えば炎上商法のように、わざと誤解を招くような書き方をすることで話題性を高めたい、注目されたい、そう企んだ誰かの仕業なのかもしれない。解釈ならいくらでもできるけれど、本当のところは書いた本人にしかわからない。
誰がどこに書いているのか、ナナコなら調べることができるだろう。インターネットやコンピューターについて、ナナコはそれくらいの知識は持っていた。でも敢えてそうしてはいなかった。
「知らなくてもいいこと、というのがある」
先輩社員であるヒトミから、そう教わったからだった。
知らなくてもいいことを、わざわざ調べる必要はない。そういうことは手をつけたりせずに放っておくべきなのだ。これまで何度か、ヒトミにそうアドバイスされていた。
「失礼なことを言われたら、切っちゃっていいのよ」
受話器を見つめるナナコに、ヒトミが言った。
「なんでもかんでもバカ丁寧に受け止めなくってもいいの」
ヒトミの言葉はそう続いた。
「ですが加減が難しくって」
ナナコは思っていることを正直に答えた。
いたずらとも受け取れる勘違い電話の多さに、もうインターネット上の案内などは無くしてしまってはどうかという意見もある。けれど、勘違いして電話をしてくるのではない、残り五パーセントの電話の中の何人か、本当に少ない人数ではあるけれど、そういう人の中には、インターネットを通じてしかここを知ることはなかっただろうと思われる人がいる。それを思うと、ネットから情報を消してしまうようなことには踏み切れない。
そしてかろうじてここにつながったような人たちに限って、ギリギリまで思い詰めていたりする。必要としてくれる人がいるなら役に立ちたい。本当に必要としている人が存在しているのかどうかは定かではないけれど、それでも、助けを必要とする人がいる可能性がわずかでもあるのならば、その人たちに、ここの存在が伝わって欲しいと思う。細々とでかまわないから、インターネットでしか情報を得られない、助けを必要とする人たちにも広まって欲しい。ナナコはそう祈っていた。
「だいたい都合がいいなんて言葉、私たちが軽く見られている証拠だよ」
ヒトミは腹立たしげにそう言うけれど、
「都合がいいって、必要とされる自分が誇らしい」
ナナコはそう思っている。
「友人や恋人、家族だって思い通りになんてならないし、都合よく動いてくれる人なんてどこにもいない世の中だっていうのに、どうして私たちが?」
ヒトミはナナコの言葉に、信じられないという顔をして訊く。
「じゃあ、誰に頼るの?」
ナナコはヒトミに問い返す。
「頼るって、そういうことじゃないんだよ」
「じゃあ、どういうことなの?」
「……わからない」
ヒトミの口が重くなった。
「だれかを思いやって行動することの一部分が、他にちょうどいい言葉がないからたまたま、都合がいいっていう表現で形容されているだけじゃないのかな? 私たちが頼りにされていることじゃない?」
「……」
ナナコが重ねて問うても、ヒトミはもう口を開かなかった。
会話が不愉快だったのか、ヒトミにも答えがわからなかったのか。会話が続かなかった原因をナナコは考えてみたけれど、判断の決め手になるようなことには想いが至らない。中途半端な思いのまま、ナナコは鳴らない電話機を眺めていた。
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