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【掌編】にこやかに異動してきたのに恐ろしく

彼のことは仮にOさんと呼ぶ。
Oさんはこの4月、定期異動でやってきた。
赴任前に一度だけ設けられた、前任者との引継ぎに現れたOさんは、「やあやあ、来月からよろしくね」と、大袈裟なくらいにニコニコとしていた。


第一印象というのはあてにならない。Oさんと接していると、そう思わずにはいられない。
ニコニコ顔は滅多に見られないレア顔だった。Oさんは日々、パソコンをにらんでいる。貧乏ゆすりをするか、文句をブツブツと唱えているか、のどちらかのオプションも付いている。
そんなだから近寄りがたいというのに、用事を抱えた誰かがOさんの席にやってきても無視を決め込む。それはもう、怖くないはずがない。あっというまに、「恐ろしい人が来た」とウワサが広がった。


Oさんは今日も恐ろしかった。
「なにやってたんだ、アイツはよぉ、ポンコツだ、ポンコツ」
前任者がやっていった仕事にミスを発見し、大きすぎるひとりごとを繰り返している。だいじなことは三度言う、ではないけれど、そんなに繰り返したら、どんなに優秀な人でも仕事ができなくなってしまいそうだ。ひとりごとが呪いに変わる瞬間を見た。

そうしてやっと詠唱が止んだと思ったころ、別の人のあかるい声が聞こえた。
「こんにちはー、ヤクルトでーす」
毎日やってくる、社内販売の時間だった。
「レモン味ね」
元気に歩み寄るOさんは、引継ぎに現れた時の、にこやかなOさんだ。

「また三等か」
ヨーグルトをひとつ購入し、スマホ決済のキャンペーン抽選結果をつぶやく。
「大きなお買いもののときに当たるといいですね」
笑顔を寄こす販売員さんに、
「いつも三等しか当たらないよ、でもね、ちりつもなんですよ。どこか使ってます?」
と、ポイント活動を勧め始めた。にこやかに、けれどなんだかとても、ねちっこく。

販売員さん以外にも、Oさんがおしゃべりをする相手は何人かいる。とくに業務上のかかわりが多いわけではない隣の部の若い人や、勇退の近い大先輩が近くにいるのに気がつくと、Oさんは、にこやかに話しかける。
「どう、さいきん?」
「なになに、いい靴履いてんじゃん」
「会社でTシャツを着るっていいですよね。案外快適なんですよ。たんすの肥やし化も防げるし」
こういうときのOさんは、大袈裟なくらいにニコニコとして、温和な人のように見えるのだけれど、それが仕事となると一変する。

午後のOさんは、にらめっこに忙しそうだった。電話が鳴るとジッと見つめる。眉間にしわを寄せ、でようとはしない。自分の携帯電話がなっても、まずは電話をにらみつけた。
「なんだよ、くそっ」
悪態をついてから、やっと電話に手を伸ばす。話をしているあいだ中、空をにらみ、パソコン画面をにらみ、Oさんの席にやってくる誰かをにらみつける。
やっぱりOさんは今日も恐ろしい。


そしてあるとき、「恐ろしい人」は「面倒な人」に代わった。
「俺のクルマ売ってやるよ」
何の脈略もなく、あるときから、Oさんは話をした人すべてに、そんなことを言い始めた。
日に何度耳にするか、数えようとも思えないくらいに、「俺のクルマ売ってやるよ」は、繰り返し、繰り返し、聞こえてくる。
それに対して興味を示す人はいなかった。手当たり次第に声をかけても車を買おうと思っている人は、なかなかいないだろうし、そもそも、Oさんがにこやかに会話できる相手は少なかった。
「正直、要らねえんだわ。誰かに売りつけて始末するつもりだからよぉ、それっぽいヤツいたら紹介しろよ」
「売ってやるよ」には、いつのまにか「紹介しろよ」がくっついた。
これはもう職場だけの付き合いすら難しい、面倒な人だ。



ぎゃあああ!
少し離れた席から大きな声がした。
なんだ、なんだ、とみんなの視線が集中する。
「虫、虫、なんか大きい虫」
「なんか虫がいたんだって」
伝言ゲームのように状況が伝わる。なんとかしなければならない状況のようだと誰もが判断したはずだけれど、誰も動かない。

「なんだよ、カナブンじゃねえか」
不意に、どこかから戻ってきたOさんの声が聞こえた。

ハッとした。Oさんのことだ、いったいどんなリアクションを取るのかわからない。おそるおそる見てみる。と、Oさんは虫だと思われる影をすっと掴んで、窓を開け、外へ逃がしたようだった。Oさんの動作はいつもの言動からは想像できないくらいにふわっとしていて、そおっと虫を窓下においてあげた感じだった。
へぇぇ。今のはちょっと悪くないな。そんなふうに思う。あたりからも、ホッとため息をつくような気配が感じられた。

知らぬ間に皆の視線を集めていたらしいOさんだけれど、そんなことにはまったく気が付かずに、ふんふ、ふん、と鼻歌で席に着いた。そのとたんに電話が鳴る。
「ああ、もう、ちきしょう」
上機嫌に見えたOさんがまた悪態をつく。「ふざけんな」「誰だよ」「ちきしょう」を数回連呼してからやっと電話にでた。

まったく、聞こえてきただけで不快になる。なんでいちいち、と思う。
けど、ま、今日のところは仕方がない。ヨシとするか。カナブンを外に出してくれたしな。
そうだよ、すべてがダメってことはないよね。ちいさな生きものに優しい。それはとてもだいじなこと。
宙を割くような視線と呪いの言葉には、今日は目をつぶり耳をふさごう。


彼はOさん。正直、仲良くなれるとは思えないけれど、この4月に定期異動でやってきた、おなじ会社の人だ。



<-ダレソレ-「にこやかに異動してきたのに恐ろしく」おわり>




これまでのお話

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第2話

第3話

第4話



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