工業高校に行きたい③

前回のお話はコチラ

2年生になると、ヤンキーは居なくなり平和な学校になった。
クラスも20人と少なく、女子14人男子6人になった。
担任は1年と同じ先生だった。

とにかく、底抜けに明るいクラスメイト。
めちゃくちゃ喧嘩もしたけどすぐ仲直りした。
中学校とは比べ物にならないくらい友達と仲が良かった。

水曜日は一日中実技だったので楽だったし、1週間を通して、普通の授業は少なかった。
高校生になっても私は不真面目に授業を受けており、
1番苦手な数学は全くやらずテストは最初の小問題しか書けなかった。

2年の時の数学の先生は優しいのか無関心なのか何も言わない先生だったが、遂に、
「イケさんこのままだと留年するよ」
と言わせてしまった。

デザイン科の先生だけど数学の免許も持ってる先生が、テスト前に見兼ねて補習をしてくれた。
数学のことで真剣に話を聞いたのはこれが初めてだったが、ちゃんと聞いたら理解できた。
数学のテスト前日に復習もしてテストに臨んだら、89点だった。

なんだ、やればできんじゃん。
じゃあやらなくていいか(?)

今思うとなぜその思考になるのかわからないが、これのお陰で留年は免れた。

勉強はしなくて良い(?)のだが、学校教育的にはかなり体育会系だった。

冬には耐寒登山で芦屋から六甲山山頂を経て宝塚まで。
体育祭は槍が降ってもやる。(降ったことないから本当かどうかはわからない。)
と、昭和か?と思うことは多々あった。

「質実剛健」
という四字熟語がデカデカと掲げられた体育館で集会の度に、
「おい!!いがんどる!!!そこ!いがんどる!!!」
と、先生は怒鳴っていた。
(いがんどる→歪んでるという意味)
正直そこまで列がバラバラというわけではないが、何故か列へのこだわりが凄かった。
この先生はマジのほうのアル中だった。

金のロレックスにパンチパーマで、「殺すぞ」が口癖の先生もいた。
時代が時代なら大問題だと思う。
でも二人とも良い人だった。

先生から痛めのゲンコツをくらったこともあるが、自分が悪いので受け入れた。
なんなら女子だからゲンコツで済まされた感があった。

こわい先生は沢山居たが、中でも一番怖い機械科の先生がいた。
笑っているところを見たことがなく、目力がすごい。
常に「お前の全てを見透かしてる」というような目だった。

悪いことをしたら1階から4階まで走って追いかけるような人だったが、おそらくかなりの天然だった。

私の高校は、メイクも染髪もピアスもミニスカートも禁止だったのだが、その先生は特にそのあたりに厳しかった。

ある日、全校集会の時にその先生が前に出てきてこう言った。

「おい、お前ら、髪染めてるやつなぁ、黒染めしても染まらないんですとか言うて誤魔化してるお前らぁ!!!!騙されへんぞぉ!」

マイクごしに先生の声が響き渡る。

「俺パーマ屋行って聞いてきたんじゃ!」

先生は美容院のことをパーマ屋と言ったのか、本当にパーマ屋だったのかは不明だが、
私はパーマ屋というワードが妙に気になっていた。

「言うとったぞ。『染まらん毛は無い、犬の毛でも染まる。』ってなあ!!!!」

私は、パーマ屋が「犬の毛でも染まる」と言ったのか、
先生が「犬の毛でも染まりますか?」とパーマ屋に質問したのかを考えていた。
もし後者だったらめっちゃおもろいなと思った。

「だからお前ら、染め粉を指定する!!染めなあかんやつ全員これで染めろ。」

といって、ビゲンの白髪染めを黄門様の如く掲げた。
笑いの空気は一切なかった。

昼休みになると、こわい先生は喫煙の現行犯を探して校内をパトロールしていた。

私のクラスメイトが電気ケトルを持ってきてたので、お昼にカップラーメンを食べていたら、その先生がやってきた。

「おい、お前お湯どないしてん。まさか脱走してコンビニ行ったんちゃうやろうな!!!?」

「あ、あっちにポット(ケトル)あるんで」

と、私が指差した方にむかって先生は歩いたのだが、その対角線上の途中に置いていた友達の普通の水筒を手にした。

え?まさか…。
先生は丁寧に水筒をあけて、中をしっかり覗いて確認してこう言った。

「これポットちゃうやんけ!!!!」

こんなことで怒られるなんて情けなかった。
そしてそれはポットではなかった。
残念ながらケトルは没収されたが、それについては何故か怒られなかったしすぐ返された。

先生が去ったあとクラスメイトで大爆笑した。
これポットちゃうやんけ!は、私達の中で伝説の言葉になった。

つづく

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