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美味しくて、静かな革命 5

壮大な無駄を人間社会は仕組みとしています。

冬に夏の作物を食べようと、ビニールハウスを建て、さらに暖房をたき、そしてその作物を遠くまで輸送して、消費者の口に入る。

自然の旬にあわせてできた作物の何倍のコストや労力をかけているのでしょう。

そしてその旬から外れた人工的な環境で作った作物に、自然の旬に合わせてできた作物に比べ、どのくらいの栄養があるのでしょう。


作物はほんの一つの例にすぎません。


食べものに限らず、買っても使わない品物。下手したら以前買ったのを忘れて、さらに購入しているかもしれません。

量販用の衣類も、生産分の半分は売れずに廃棄になると聞きます。また、購入後の不要な衣類の廃棄も年間30億着分になるそうです。(日本だけでです。)そして、その大部分は焼却→地球温暖化に大きく貢献しています。

結果、異常気象や災害などにつながり、めぐりめぐって、私たちにしわ寄せが戻ってきます。


政治に目を転じれば、

汗水たらして稼いで納めた税金もしっかりした使われ方がなされれば、まだ納得がいきますが、官僚などが天下ってちょっと腰をかければ、1年後には何千万円の退職金。もしくは、政治家の利得を肥やすパイになっていたり、、、富の再分配を公平無私にするのではなかったのでしょうか。


日本は敗戦国です。その時決められた、決まった、暗黙のルールが大きな世界的な枠組みの中でいまでも、厳然とかなりの力で、私たちの生活に直接・間接に大きな影響を及ぼしているのかもしれません。

では戦勝国のアメリカを見てみれば、一般国民は、お金が無ければ、救急医療も満足に受けられず、いのちよりもオカネが一番になってしまっています。


どれもこれもほんの一例で他にも、農薬、遺伝子組み換え、軍事費、人口問題、医療・環境問題などなどなど、、、数え上げればキリがないほど、問題山積み、いたるところに矛盾が吹き出しています。


まるで、オカネを中心とし過ぎた資本主義という仕組み自体がその役割を終える時期に入っているかのようです。



先進国の私たちの生活を地球に住むすべての人がすると、その資源は地球一個分では、ぜんぜん足りないと言われます。


一人一人、個人の選択で変わっていくのでしょう。


なぜか、活動することや拡大することは是とされ、夢や笑顔、プラスの言葉や成功哲学がどこそこに異常に溢れています。むしろ、停滞や縮小は非で、悪いことであるかのように。


自分とは無縁でありたいと思い込んでいた(思いたかった)価値観を見直す時期かもしれません。


成長と同様、停滞・後退も大事であると。

拡大と同様、縮小も大事であると。

プラスと同様、マイナスも大事であると。

生と同様、死も大事であると。


プラスを是とし、マイナスを非としたために、よかれと思って、プラスのことだけを望むような壮大な無駄を私たち人間は始めてしまったように思えます。



続く



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