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選択した農法

自然農の定義はいろいろある。人それぞれにも違う。

いまの自分の農に対する譲れる部分、これだけは拘りたい部分などのスタンスを纏めておきたい。

最終的には、粘土団子(福岡正信さん提唱・複数種の種子を土と混ぜて、水を加えて、串団子の大きさのお団子状に丸めたもの)を不耕起の土地にランダムに投げて、肥料を施さず、除草もせず、もちろん農薬・除草剤を使わず、手をかけないのが理想である。

その場所に一番合った種子が発芽し、育った植物がまた、種子を残し、そこからまた育つ。一番はじめに粘土団子を蒔く以外は自然に任せた農法である。

しかし、そうなるには、かなりの年数がかかってしまう。何年かかけて土の状態やバランスある植物生態系が構築されるまで、うまく育つこともあれば、まったく育たないこともある。バランスが整うまで待つことが必要となる。


最終目的はそこでも、そこに至るまでの過渡段階としての農法はどんなものがあるか、探し求めた。

まず、無農薬・無除草剤。これは絶対。肥料は植物性。以上が拘りたい部分だった。


農薬について

農薬といっても、全てが化学物質ではない。天然由来の農薬もある。毒性も天然由来で高いものもある。

しかし、最初から農薬を使う選択肢は全くなかった。そもそも使わなくても育つなら、なぜリスク(残留農薬やカラダへの影響)や面倒くささ(調べたり・適量を計測したり・何回かに分けてまくなど労力)を負ってまで、そんなことをせねばならないのだろう。

人体や自然にまったくの無害で、作物の成長にも副作用なく簡単に使えるものが、開発されれば検討するが。


肥料について

もちろん、無肥料が理想である。作物にとって、養分の少ない過酷な状況で育ってこそ、生命力の溢れた養分の多い野菜に育つという。

とはいえ、全く採れないリスクは嫌であった。せっかく育てたのに採れないでは、モチベーションが下がってしまう。

いろいろ調べてみると、福岡正信さんは「米麦連続不耕起直播栽培」では鶏糞を使用している。連続セミナーに通って学んだ、「野菜は小さい方を選びなさい」の著者でもある無肥料栽培の岡本よりたかさんは、米ぬか・油かすを使用している。

わたしは植物の根茎を土に還すのと同様、植物の一部である、米ぬかや油かすを使うのは循環との考え方で、この2種類を使っている。

とはいえ、年々作物を育て、根茎が土に還り、どんどん土が豊かになり、なにも追加しなくても、作物がすくすく育つ土づくりをしていきたい。


動物性肥料の使用は選択していない。まずは、鶏糞や牛糞堆肥などは、昔と餌や育つ環境がちがう。自然の中で放し飼いされ、自然の草をたくさん食べてストレスなく育てられた、鶏や牛の糞なら、自然の循環の中で使ってもよいかもしれないが、現在のエサや環境で育つ糞は使うのはノーである。どちらであっても、しっかり完熟したものでないと肥料としてはもちろんダメである。

また、感覚的なこともある。畑で採って土を払ってサッと食べたい時、糞系の肥料だとちょっと想像して嫌であるのも理由だ。もちろん完熟していれば、土になっているし、言い出したらミミズの糞やら昆虫の死骸やら、豊穣な土はいろんな要素でできてくるので、キリがなくなるのだが、、、

こんな実験もあった、慣行農法(農薬・化学肥料)と有機農法(無農薬・動物性肥料)、自然農法(無農薬・植物性肥料)それぞれで作った野菜で、一番最初に腐敗したのは、有機農法(無農薬・動物性肥料)だったという実験だ。

また、あまりに肥料が多すぎることでの、硝酸態窒素過剰の問題もある。イネの米ぬか農法を指導いただいた、Yさんからは、植物性肥料だと、硝酸態窒素過剰の問題は起きないとも聞いた。

いずれにしても、当面は米ぬかと油かすを使用していく。


苦土石灰

苦土=マグネシウム 石灰=カルシウム

田んぼの休耕田を畑として使用する上で、一つの問題がpH(水素イオン指数)である。田んぼだったところは酸性土壌である。

野菜は土壌のpHがほぼ中性(6〜7)を好むものが多いため、最初少々調整の必要がある。

その時使うのが苦土石灰である。苦土石灰はドロマイトと呼ばれる天然の鉱物を粉砕して粉や粒状にしたものである。

アルカリ性のため、酸性土壌の中和に使っている。もちろん植物には天然ミネラルが必要なので、その用途としてでもある。


化学肥料とは、化学的に合成された無機肥料のこと。なので、苦土石灰は化学的合成ではないので、化学肥料でないとわたしは解釈している。(農林水産省に確認をしたことがあったが、いまいち不明であった。)そのため、一応、直売所やネットで販売する際に、苦土石灰使用を明記している。

こちらも、栽培を通して、土壌のpHがほぼ中性に安定してくれば不要になってくるだろう。


無農薬・無除草剤、米ぬか油かす・苦土石灰使用が、現在のわたしの農法のスタイルである。耕起は必要に応じてしているし、刈払い機やカマでの草刈りも行っている。


そもそも、種を人間が蒔く行為自体が不自然なものかもしれない。田畑を開墾し、作物を育てるという行為自体がすでに自然を破壊している行為であるとする考えもある。

確かに一厘あるご意見である。動物同様に狩猟採集で食べ物を得る行為こそが、本当の意味で最も自然に負担の少ない行為なのかもしれない。


今後もいろいろと模索していきたい。


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