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『嫌われる勇気』を読んで、自分を見つめ直す #1
先週に『嫌われる勇気』という本を買い、今日読み終わった。
前から知ってはいたけど自分に合うかなぁと思って読んでいなくて
最近またラジオで耳にして、気分が落ち込むことも多くて、心理学にも興味が出てきていたので読んでみた。
本の内容は私にとってなかなか厳しかった。
でも、どこか心地よかった。
今まで読んできた啓発本とは違う、極端すぎずぼんやりし過ぎず、じんわりとあったまりながら絡まった糸を解きほぐしていく感じ。
哲人と青年の対話を読み進めながら、私も一緒にその場にいる気分になっていた。
とくに印象に残ったのは
目的論、
自分を自分で認める自己受容と課題の分離、
人生は今の連続であることと、
横のつながりのお話。
腑に落ちた、少し安心した思いを書き起こしてみる。
過去に支配される苦しみ
まず、
今まで自分になにか問題があったり何かに向き合わないといけない時に、なぜ自分の批判から始まってしまっていたか?
なぜ自分が沈んでいくような、置いていかれるような気分になったり、崩れそうなものをなんとか保っているような崖っぷちにいて、その場から逃げ出したくなる気持ちになっていたのか。
その根本は、過去や未来や他人の目にとらわれて、自分や今に向き合えてなかったからかもしれない。
"今確かにそこにあるもの"を見れないし、見たくなかった。そして、自己批判をした上で私以外の誰かや何かに救いを求めていた。周りのあたたかい意見やアドバイスは嬉しかったけど、そうなれない自分が悲しかった。
負の感情にまみれて苦しくて、でも現実は止まらずに続いていく。心の奥にいる自分を見せてしまうのが怖くて、必死に隠していたけれど、心が限界で"不安"が溢れ出していた。
自分の理想や周りの期待には程遠い、自分が嫌い。
そんなことをずっと考えて、堂々巡り。
こんな気持ちになっているのに、自己批判は私にとって当たり前だった。
自分に向き合っていると誤解して、自分で自分を追い詰めていることにあまり気づいていなかった。
日々、嫌な思い出が増えていく。思い出したくなくても忘れられない。自分のせいで迷惑をかけてしまっている。申し訳なくて、もう自分が自分でいることがしんどい。
心の拠り所もない、もう受け入れられない。目を背けるので精一杯。
思い出すだけでまた沼に入りそうになる、そんな気持ちが心の内から消えなかった。
目的論で考える
わたしはいつまでもトラウマを忘れられない。
それは、本の中の青年と同じだった。
変えられない過去に苦しんで、自分を受け入れる手段として別の自分に生まれ変わることを望んでいる。
本の中の哲人は、そんな青年と私の心に
人は過去の原因ではなく、何らかの目的に沿って生きている、と言った。
トラウマが原因で起きた出来事ではなく、自分の中で目的があってその出来事にトラウマを結びつけている?
わたしはどうしたかったのだろう。。
自分を信じたくない、できない自分に納得したくない、理想では無いし、責任や周りの目に耐えられなわたしは未熟である、そう自分に言い聞かせている気がする。
自分がなりたい"ほんとうのわたし"の可能性の中で生きたいのか。。
誰かから否定されたり、周りとの関係の中で傷つきたくないのも自分を守る言い訳で、
シンプルな問題を前に過去を引っ張り出して、やれない理由を並べて自分で自分のことを苦しめていた。
そうか、変わらない自分でいるという目的のために、人生を複雑にしているのはわたしか。
たぶん少し思い当たる節もあったからか、
腑に落ちた気がする。
つづく。
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