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ひねくれ革靴⑨番外編:既成靴の魅力&ファクトリー動画が好き&ロレックスの顧客選別

革靴沼の奥地へ進んでいくと、「オーダーするかしないか」という別れ道に必ずぶつかると思います。けっきょくは靴に使える予算によってどちらに進むか分かれてしまうだけな気もするのですが、既成靴もいいよね♪ という貧乏 ひねくれブロガーの持論を展開したいと思います。


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1.職人と機械のコラボレーション・工場動画が好き

オーダー靴(ビスポーク)は、基本的にはすべて職人の手仕事で作られます。それに対し、既成靴は多くの工程を機械によってまかうことで、大量生産を実現します。これはスーツとか他の製品でも同じ話かと思います。

そら、このご時世に手作業で一個ずつつくってもらうなんていうのはとても贅沢な話で、そっちの方が良いものは出来るに決まってる、、、

いえいえ、そう単純でもありません。

革靴業界では知らない人はいない、エンツォ・ボナフェさんという超一流職人は、機械のほうが優れているところもあり、たとえば出し縫いという工程では機械を使うと仰っています。(エンツォ・ボナフェさんは2023年にご逝去されております)

人か、機械か、なんて極端な二元論ではなく、合わせ技が最強です。何事も中庸が一番なのです。

※「エンツォボナフェ(Enzo Bonafe)」の靴はほぼ手作り(九分仕立て・工程の9割を人の手で行う)で、あまり例えとしては適切ではないかもしれませんが、こんな超一流の伝説の職人が、機械もいいよね、って言っていることが凄いと思うのです。

そういうこともあってか私は職人の動画よりも、人とマシンがコラボした工場の動画が好きです。これまでも何度か紹介してまいりましたが、とても素晴らしい動画がたくさんあるのに、再生回数が伸びてないのが悲しいです。

工場では黙々と機械が動いていて、とても綺麗で静謐なのに、そこに人が介在している安心感と心地良さがあります。熟練した人は機械の邪魔にならず、その静謐さを壊さないのです。

職人の感覚を突き詰めていくと、余分なものが削ぎ落とされて、人間が機械になっていく感じがあると思うのですが、未来のAIと人の共存もたぶんこんなかんじなんじゃないかと思います。たとえば以下の動画などです。


職人と、機械の心地よい共存は、きっとこの工場制手工業(マニュファクチュア)と工場製機械工業のはざまにあるのではないかと思うのです。

※生産様式の変遷
家内制手工業

問屋制家内工業

工場制手工業(マニュファクチュア)

【産業革命】

工場制機械工業

もちろん職人が黙々と1人、狭い工房でラストを削ってる動画とかもすごくかっこよくてそれはそれで魅力的なんですが、なんか見てると疲れちゃうのです。家内制手工業の贅沢さ・魅力が爆発してるのですが、職人の魂が一足へ集中しているのを目の当たりにするので、自分もつられて集中しちゃって疲れるのです。とても魅力的ではあるのですが、心にゆとりがある時しか見られません。ちなみに革靴の職人さんが一人で作っている動画で私が好きなのは以下等です。

こちらの動画はアップロードされてから三日ほどで1万回再生突破というすごい動画なのですが、再生時間が1時間オーバーとけっこう長めです。集中して見ると職人さんの熱量にやられます。

そんな長めの動画なのですが最後の58分42秒あたりからのシューツリーに漆を塗っていくところが本当に素晴らしいので、途中で疲れてきてもそこは見て頂けたらと思います。

手作業とは逆に、ベルトコンベアーでぜんぶ流れていって人が全然いない、という完全な自動化も、あまりわくわくしません。人が介在しているところがやはり良い塩梅でノイズがまざるというか、テンポをつくると思うのです。

クラフトマンシップと、大量生産の淡いというか、、、工場制手工業と機械工業のグラデーションというか、、、産業革命のビフォーアフターというか、そのあたりに言語化しづらい感動を覚えるのです。人と機械というアンビバレンツなものがアウフヘーベンされるかんじです。(いつか使ってみたかった横文字をつめこむ)

そして革靴の工場動画って見れば見るほど、手作業の要素が多いなって思います。これを機械化出来ていると言うなら、鰻屋さんだって天ぷら屋さんだって機械化というのでは?と思います。やっぱり機械だけで作っている靴なんて世の中には存在しないかもと思います。

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2.大量生産だからこその美しさ

ーーマシンメイド=既成靴ってわけでもない。エンツォボナフェやVASS(ヴァーシュ)とか既成靴の最高峰は、職人の手作り(ハンドソーン)じゃないか?

そんなツッコミがあるでしょう。その通りです。既成靴とかビスポークとかそんな区分けがアホらしくなるくらい、ハンドソーンの既成靴の美しさは完璧だと思います。

しかし、私は機械多めの既成靴も好きなのです。大量生産の中にしかない、美しさがあると思うのです。

アンディ・ウォーホルは『キャンベルのスープ缶』というトマト缶の描かれた作品群で、1点ものではない、コピーの価値を世に訴えかけました。大量生産大量消費の中にも、美しさがある。複製できるものにも芸術が宿る。そんな新しい価値観を世に投げかけました。

ですので、工業製品的な美しさ。コピーできることの美しさというのは、何も私のようなビスポークを買えない貧乏人が錯乱して急に言い始めたルサンチマン的な話ではないのです。

同じメロディを繰り返す名曲が世の中にたくさんあるように、コピーに耐えうるものこそが世の人の口の端に上り、広く流布されていくのだと思います。

それに個人に合わせたオーダー靴で、履き心地を優先した形にすると、逆にデザインが足そのものの形に近づいてダサくなることもあるらしいです。理想的な靴としての、本来の曲線美を失うことがあるらしいです。乗せ甲・幅貼り(幅出し)とか、履きやすさのために美しさをトレードしているのでよくわかると思います。日本の靴は履きやすいけど美しくない、とかいう俗説も出どころは同じかもしれません。

甲を高くするために木型(ラスト)に
革等を貼り付けて靴をつくったり(乗せ甲)。
横があたるときは、横に革等を貼り付けて
靴をつくったり(幅貼り)。
※上画像は木型(ラスト)ではなく、シューツリーです。

何より、既製品だけの持つ魅力は、広く人と分かち合える・共有できることだと思います。オーダーのブログとかってけっきょく、金持ちのマウントなんですよ。貧乏人には縁の無い世界で分かり合えないんですよ。(ただの被害妄想) 誰でも買いやすいのが既成靴で、そして大人全員が一足は必要になるのが革靴です。趣味の世界と、マストな道具の世界が、地続きでつながっているんです。

元はオンリーワンでないものを、それぞれのオンリーワンに育てていけるのです。元からオンリーワンなものと決定的に違うのです。

マスに対してチューニングされたものが、自分だけにチューニングされていく過程は、オリジナリティやオンリーワンという言葉の持つ魅力と方向性が違うと思うのです。

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3.ロレックスの顧客選別

そんな素晴らしい大量生産の既製品。しかし既製品にはすべて「転売」という存在が付き纏います。誰にでも合うように作られているからこそ、リセールされます。誰が持っても価値を発揮できるからこその宿命です。それが長く使えるよう丁寧に作られている良い品ならなおのことです。

転売の対策の一つが、ロレックスの行う「顧客の選別」です。高級腕時計メーカーのロレックスは客に合わせるんじゃなくて、客が合わせろと言うのです。これは逆転の発想です。

具体的には、ロレックスはブランドを維持し、長期的に成功するために、顧客を選別しています。生産数を絞ることで「需要>供給」となり、中古市場に回っても値が下がらなかったり。店員が客を見て売るか判断しているから、ロレックスマラソンという、複数の店舗を長期にわたって回るスタンプラリーが生まれたり。

このロレックスマラソンは、店員とコミュニケーションをとって、ロレックスを売ってもらうというものです。
①ロレックスへの愛、情熱、敬意を伝えて、転売目的でないことを訴える。
②清潔で高級な、品格を感じさせる身なりで、訪れる。長期所有しているロレックスをつけていくのがベスト(もちろんそれは正規店で購入したものでなくてはいけない)。
③決して横柄な態度をとらない。。。(しかし、店員側は客に横柄な態度をとる場合があるらしい。。。??)
④一人で行かず、家族やパートナーと訪れること(一人だと転売目的だと思われやすい??)
⑤何度も店舗へ通いブランドへの忠誠心をアピールすること(??)

お分かりいただけますでしょうか。。。①、②はまだわかります。しかし、③以降、謎過ぎです。そんなに暇じゃないぞと言いたくなります。

まあでもこのハードルの高さが、転売目的ではない、ロレックスを愛する顧客のみに販売するということに繋がり、ひいてはブランドの価値を守ることに繋がるのでしょう。

一部のロイヤリティの高い顧客が、延々にお金を払ってくれるのが1番というやつです。8割の貧乏人は相手にせず2割の金持ちだけを囲い込む、パレートの法則(2:8の法則)というやつです。

これが実は革靴の世界にもあるそうで、オールデン(Alden)という超有名革靴も同じらしいです。オールデンの革靴のレアカラー(珍しい色の靴)はアメリカのショップ店員と仲良くならないと買えないらしいのです。


既成品は、「顧客から選ばれるため」に研ぎ澄まされています。そのデザイン・性能、すべてが「多数から選ばれる」ために洗練されていきます。ロレックスやオールデンはその逆で、選ばれるのではなく「顧客を選びます」。そして、「顧客を選べる」ぐらい洗練されて、多数から支持されています。

選ばれる自信があって、選ばれるための努力を人よりたくさんしている。そういう方々はロレックスでもオールデンでもいいんだろうけども、、、

私は選ぶ側になりたいと思います。

だって、じぶんは選ばれない側だってわかっているんです。学生の時、クラスで二人一組を作ってくださいって言われて、余る側です。私は余る自覚があります(えばることではない)

だから消費者の立場になってまで、選ばれたくないのです。

生産者・提供する側に敬意を表していないわけではないのです。消費者に回っているときぐらいは、自由に選択をしたいと思うのです。

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4.既製品の魅力は、選ばれるための美しさ

その昔、吊るしのスーツがバカにされるような時代があったそうです。社会人になった時に、街中のテーラーに注文して、革靴をオーダーして、あつらえた一着と一足を大事にするような時代。服を作ることと靴をつくることが、社会に出ることと同義だった時代です。でもそれは昔の話で、レディメイドの質が悪かっただけといったらそれだけです。

実際、既製靴に用いられる木型(ラスト)は、長い年月をかけて改良を重ねられたもので、時の流れによって磨き上げられた、歴史の産物です。今だからこそのレディメイドなのです。個人の足に合うとか合わないとかの次元を超えて、英知が詰まったなるべくしてなる形。売れ続けることが出来るだけの説得力を持ったもの。そんな既成靴をお手頃価格で履けるのは、現代に生きる我々だからこそ享受できるひとつの贅沢です。

レディメイドと、オートクチュール。既製靴とビスポーク。そんなふうに分けたらそりゃ、顧客に最適化されたほうが満足度が高いに決まっています。でもそんな世界に生まれたからこそ、既製品は「選んでもらうためのその謙虚さ」が美しいのです。

主語が私なのです。主語はロレックスでは無いし、ロレックスを身に着けている私でもないのです。私が選んだ、私が好きな、ひとつを身に着けている、私でいたいのです。

そうでなくても人生、受験とか仕事とか恋愛とか、他人から選ばれるかどうかの連続なのに、金払って好きな物買うときぐらい、自由にさせてよって思います。。。

あーあ、ブログで1発儲けて有名人になって。ロレックスマラソンとかしないで、知人の紹介とかですんなりロレックスを買えるような、そんな成金になりたいです。

あーあ、でもロレックスより、「もう既製靴には戻れない! 〜12ヶ月連続注文〜 春夏秋冬ビスポークオタク日記」みたいなブログがやりたいです。。。

先に職人さんの動画紹介をした「Khish the Work」さんの靴とか、おいくらだと思いますか。税抜き45万からです。。。びびります。。。
税込みだとほぼ50万です。。。税金が5万。。。税金でマスターリーガルが買えます。。。マスターリーガルが9足買ってお釣りが来ます。。。

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ひねくれ感が失速して、貧乏人の僻みブログ感が加速してきたので、そろそろおしまいにしたいと思います。ダラダラした話にお付き合い頂きありがとうございます!

次回はもう少し普通に、好きな靴の話を書きたいと思います!

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