植物は痛覚がないから食べても良い??
ま~いどぉ。^^
ちょっと人と話をしてて、
ビーガンの話になって、
あ、最初に言うときますけど、ビーガンのこと詳しく知りませんし、人それぞれ考え方があるので根本的に批判する意図はないですよ。^^
ビーガンと菜食主義者の違いも分かりませんし、、、^^;
でね、
ビーガン、菜食主義者の考え方として、
動物は痛覚があるから食べてはいけないが
植物は痛覚が無いから食べても良い。
という考え方があるみたい。
ん~
ちょ~っと違和感を感じるんです。僕。
確かに説得力ありますよ。
殺すときに痛さを感じながら死んでいくのを見るのはつらいですし、
可哀そうに思いますよね。
でも自然界ではもちろん、そんな気遣いはしません。
ライオンが「シマウマ殺すの可哀そうやから木の実を食べよう」なんて考えないですよね。
ん~
この違和感、、、
例えばね、
上司に嫌なことを言われて腹を立てても、なかなか、中指を立てるって事はしないですよね。
じゃぁ、もし、その上司が目の見えない視覚障がい者だったら、、、
目が見えないから中指を立てても良い。
となるでしょうか。
相変わらず、たとえ話が下手ですが、、、
動物は痛覚があるから食べてはいけないが
植物は痛覚が無いから食べても良い。
と言うのは、
嫌な上司が視覚障がい者だから中指を立てても良い
聴覚障がい者の前なら汚い言葉を使っても大丈夫。
という思考と似ているような気がします。
違うかなぁ???
仏教では衆生は皆、繋がって一つです。
衆生とは、生きとし生けるもの。
動物も植物も衆生です。
動物がこうで植物ならこう
って分ける必要ないように思います。
もちろん無駄な殺生はダメですが、自然界では、生きていくために食べることは当たり前ですよね。
それが命の繋がりです。
痛覚も命を守るために備わった機能だと思います。
動物は動けるから、逃げれるから、痛覚があった方が、自分の命を守れるのです。
植物は動けないから、痛覚があったら、邪魔にしかなりませんよね。痛くても逃げれないから、我慢するしかないのです。なら、痛覚は必要ありません。
たぶん、それ以上でも、それ以下でもないんだと思います。
痛覚の有無と食べても良いかどうかの問題は別だと思います。僕は。
以上が僕の意見です。^^
最後まで読んで頂いてありがとうございます!!^^
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