うみからのびる手
カメラがまだデジタルではなかったころ、フィルムをおみせにもっていって写真にしてもらうというのはよきゃることでした。
これはそんなころにあったおはなしです。
あるかぞくがうみへあそびにいきました。
おとうさんとおかあさんとおとこの子の3にんかぞくです。
おとこの子はおよぐのがとくいだったので、たかいところからとびこみをやりたいと言いだしました。
それならおとこの子がとびこむしゅんかんを写真にとってあげようと、おとうさんがカメラをかまえます。
おとこの子はいっそうきあいをいれて、とてもきれいなフォームでとびこみました。
カメラのシャッターをおしたおとうさんもとてもいい写真がとれたとおもいました。
ところが、いくらまってもとびこんだおとこの子はうみからあがってきません。
これはおかしいとおとなたちみんなでおとこの子をさがしました。
おとこの子がみつかったのはそれからずっとあとになってからです。
そのときおとこの子はおぼれて死んでしまっていました。
おとうさんとおかあさんはかなしみましたが、子どものさいごのすがたをのこそうとその日とったフィルムをおみせにもっていきました。
できあがったしゃしんをみていたとき、おかあさんがあることに気がつきました。
おとこの子がとびこむしゅんかんをとったはずの写真がないのです。
ふしぎにおもったおかあさんおみせの人にきいてみると、おみせの人はくらいかおをしてこう言いました。
「あの写真は見ないほうがいい」
そんなことを言われたってもちろんなっとくがいきません。
おかあさんはたのみこんで写真を見せてもらいました。
その写真にはきれいなフォームでうみへとびこむおとこの子のすがたがうつっていました。
そしてうみからは、まるでおとこの子を手まねきするようにしろい手がいくつものびていたのです。
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