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自分が解離する感覚。

小学生の頃、よく不思議な感覚に悩まされていた。
それは、自分が解離する感覚。

小学生の頃。
掃除時間にバケツに向かって雑巾を絞っていた。
細かく説明すると、自分は立ったまま腰だけ折り曲げてバケツに顔が向いている状態ということだ。

雑巾を絞るためにバケツに顔を向けているため、
周囲の景色は遮られる。
言ってみれば、バケツと一対一の関係。

バケツに雑巾についた雫が落ちていくのを
見ながら、

「あれ、自分は今何をしているのだろう」

「今自分はどこにいるんだっけ」

と考えていた。
考えていた、というより頭に浮かんだが正しいかもしれない。
この二つの問いにはちゃんと答えがある。
私は今、学校の一角で雑巾を絞っている。
でも、その時にはそれが浮かばない。

そんな感覚と同時に、自分の体が心とは別に動いている感覚にもなる。
自分の体は雑巾を絞る、という行為をしているけれど心だけは体と外の世界の中間に浮遊している感じ。
そう、なんか幽体離脱っぽい感じ。
完全には魂は自分から出ていかないのだけど、
細い線でやっとつながっている感覚。

ちょっと違うかもしれないけれど、物心二元論を唱える人たちはこんな感覚を持っていたりするのだろうか、とか一丁前に思ってみたりする。今文を書いていて。

あんな感覚が、雑巾を絞りながらバケツの揺らいでる水面を見る間、ずっと続く。

雑巾を絞り終わり、顔をあげるとそんな感覚は
蜘蛛の子を散らすように無くなる。
今まで遮断されていた周りの音を取り戻していくうちに「さっきのは何だったんだろう」と我に返る。

小学生の頃、こんな感じの経験がよくあった。
誰かに相談しようかなとも思ったけれど、
多分今ほどこの不思議な現象に名前をつけよう
なんて動きは起こらない。
それに、「子供が言っていることだから」と
大人にはきっと笑われて無かったことにされてしまう気がした。

この不思議な感覚は誰にも話していない。
理解してもらおうという気はないし、
信じてもらえないんじゃないかという考えだからだ。

あと、この変な感覚を自分だけのものにしておきたい気もする。
誰にも言っていない、自分の秘密。

この不思議な感覚は、中学生に上がった時には消えていた。
子供の時にしか出会えない感覚だった、とか。
トトロとか、そういう系の部類のものなのかな。
そんな妄想をしつつ、雑記としてここに残しておく。

ここに書いたことで、私の秘密は一つ消えた。
まあいい、これでいいのだ。


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