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観念を信じてない

善意はいつも無自覚だね。善意らしき(いや当人は善意と決めている)言動は思考停止と紙一重なところにあって、悪意は自覚からしか発せられない。病理的に悪魔でなければ。私は元来、表情が無いと幼少期からずっと言われ続けていて、毎月のお給料を獲得するために一生懸命に笑顔をマスターした。その笑顔に善意は無い。当たり前だよね。私は笑顔をマスターすることは出来たけれども、善意が自然に湧き出る人間性は習得出来なかった。時に、配信内のトークを「営業らしい話し方」と評される。当たっているし、仕事でなくとも人前に在る時は常に営業トークです。どれぐらいの数の人に私は接点を持ってきただろうか。10万人ぐらいになってるように覚える。そのうちのどれぐらいの数の人が善人だったか。善人っぽい人は相当数いた。私もその「善人っぽい」一人だろう。究極の善人に接したことがある。その究極の善人は、ただそこに在るだけで、虹が出る。白鳥がとまる。歩く後に花々が咲く。もちろん、接する人は皆、元気が漲り出す。本当に。
善意とか悪意とか、そう意識する時点でダメなんです。わかりますかね。あの人の言動は善か悪かと、そう思念する時点でアウトなんです。であればね、他人の尊厳やら、倫理やら、そういう「観念」を、言葉を、嫌悪して眼中から外しゆくのが、生きるということなんです。どうだい。

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