僕には「疲れる」という感覚がない
良い事なのか、悪い事なのか、
僕の友達は皆、繰り返して、繰り返して、いつも言う。
「ノブって、いつも休まないよね。
疲れないの。」
…
僕には不思議なことに「疲れる」という感覚がわからない。
…
確かに、
僕はアメリカで働いていた時も、
週5日でテーマパークで働いて、
仕事場で南米からのゲストをアシストするためにスペイン語を勉強して、
通信大学の講義を日本語で受けて、課題に合わせてレポートを提出して、
アメリカから帰国した直後にイタリアで働くための就職試験を受けていた。
そう、当時は、4つの事を同時にやっていた。
でも、
「疲れた、もう、何もやりたくない」と
思ったことは一度もない。
見えなかった事が見えるようになって、
次の一歩を踏み出す、その感覚が好きだった。
…
身体的には疲労を感じているのだろうが、
精神的に疲れるということは、僕の場合、皆無だった。
…
「今日も、お疲れー。勤務、大変だったねー」
と1日の仕事が終わって、友達と話しながら、
寮まで帰るバスを待っていても、
バスが目の前にやって来て乗り込むと、頭の中で、
家に帰ったらやりたい事がリスト化され、
バスを降りると、寮まで歩きながら、
リスト化した項目をどうやって行動にうつすかが
計算式のように頭に浮かんでくる。
寮のドアノブに触った時には、
「手を洗ったら、やっと行動にうつせる!」と嬉しくなり、
手だけ洗ったら、急いでノートを開いて勉強開始。
いつもこんな感じだった。
…
僕の場合、
ドアノブには不思議な魔法がかかっているようで、
ドアノブに触れるたびに、たった今仕事が終わった事を忘れ、
次は「これをやろう」、「あれをやろう」と
いくらでもアイデアが浮かんできた。
ドアなんていくらでもあるわけで、
その数だけドアノブもあった。
ドアノブを触った瞬間に電源が入る僕。
そう、僕はずっと動き続けた。
だから、
人から見れば、
ずっとずっと休んでいないように見えるのも
わからなくない。
でも、苦しいという感情はなくて、
いつも、楽しかった。
…
友達には時として
「何もしないで、ぼーっとしてごらんよ」と言われるが、
僕には、
何もしないでぼーっとする
がわからなくて、
逆にそれが難しくって、
「うん、わかった」と形だけ返事をして、
いつも動き回ってた。
…
疲れるって、どんな感覚なんだろう。
30歳になったら、僕も疲れるという感覚を手に入れられるだろうか。
疲れるという感覚を経験したいと思いながら、
今日も僕は生活している。
さて、このnoteを書き終わったら、
次は何を
しようか。
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