スローライフを得るために「医薬翻訳」を辞めた話
元々私は、フリーランス翻訳家として海外を拠点に活動していきたいという計画を持っていました。
韓国の大学で英語を学び、1年で中退した後、派遣会社を通じて様々な英語環境で仕事をさせていただきました。おそらく英語を使用する仕事だけで10社は超えています。
IT系の翻訳、貿易関係の英文事務、外国人のエンジニアを案内するアテンド業務、様々な場所で英語を使いながら、そして勉強させていただきながらお金を稼いできました。
つまり何度も言っていますが、ある程度TOEICなり取ったら、英語を使える職場に行って英語を使いながらお金を得ながら、より英語を磨くというやり方です。
さて私は色んな翻訳を経験し、自分には医薬翻訳の道が合っていると強く感じました。
その理由は、ITや金融を翻訳していても楽しくない。けど医薬翻訳なら、薬の知識というよりも、生理学的な部分の説明をもっと必要になってきたりもするので、健康オタク的な私には、機械や金融などの人が作ったものを翻訳するよりも、人の身体のことを翻訳するほうが断然楽しいと感じたからです。
また医薬翻訳の職場に集まる人は穏やかで冷静、私とフィーリングが合うことが多かったのも、この業界に留まりたいと思った理由でした。
そして私は、医薬翻訳の現場で修行して、将来はフリーランスとして、給料はたとえ10万円くらいでもいいので、海外の物価の安い国でのんびり暮らしたいと考えていました。
けど、医薬翻訳を辞めることになります。その決断と、理由を簡潔に以下にまとめました。
①翻訳は収入を得る手段であり、向いていない
私は翻訳が好きです。文章の構成にしても、どんな単語を使うかにしても、語源から推察してこういう病名ができたのだな。と考えることにしても。
医薬翻訳は私にとって非常に魅力的でしたし、何かあった場合、いつでも戻る準備はできています。
けれども一つネックだたのは、私は義務教育の時点から、人に~して。と言われることが非常に嫌いで、どちらかというと自分から追究して、それを教えたい。という人でした。
なので、上からの命令でこれをしてください。と言われるのは正直あまり好きではない。
もちろん、嫌な感情なしでそれはこなせるのだけど、欲を言えば、小さな存在だけど、自分から世界を変えていけるような人間になりたかったので、翻訳は向いていないとは分かっていました。
けれども10万くらい在宅翻訳で稼ぎながら空いている時間を自分ができそうなビジネスに使いたい。とずっと考えていました。
②大手自動車メーカーの通訳事件
この事件は他のnoteでも詳しく書こうと思うのだけど、私は医薬翻訳の現場2カ所くらいで経験した後、派遣期間が満了してしまい、外国人CEOが解雇になったあの大手自動車メーカーで通訳としてOKを頂いた。
翻訳→通訳への昇進。は非常にウキウキするものであり、横浜の小高い山に借りた3LDKの部屋からも近く、本当にウキウキ、ラッキー、ここでもっと経験つんでやる!みたいな最高潮だった時期。
数年翻訳やって、やっと通訳キャリアを高められるチャンスを得られたのだから。
普通、通訳になるには通訳学校に行ったりするが、私の場合、翻訳経験があったのと、面接で英語を話したときの感じで、簡単な通訳を任せられると判断したのだろう。
とはいっても、ある事情でそれが白紙になった。しかもその通知が来るまでに10日以上待ったという。
面接の時点で、その現場の管理人から、OKという話だったのだが、その10日後、話が変わってしまったのです。
私は10日間、何をしていいのかからず、最終結果をなかなか教えてくれない自動車メーカーに苛立ちさえ覚えていました。
一方、採用されないことが決まった時、私はもう、ブログを1日8記事書くしかない。と決心したのです。
③本当にやりたことを優先させた結果
私は仮に10万円で医薬翻訳の仕事をしていたとしても、自分がやりたい情報発信をやるということは分かっていました。
そしたら先にそっちを優先してやろう。とあの事件以来、1日8記事書くということを3半年くらい続けました。
もちろん1000文字くらいしか書かなかった記事があったりもしましたし、当時書いた記事の中には、読者の為にならないものもあったので、数年後いくつかは消していますが、
それでも文章力はかなりついたと思うのです。
それが、現在のスローライフに繋がっています。以下の動画を見ればわかりますが、私は平日にもかかわらず、海辺で寝そべって、英語学習者の方々に対して偉そうにこんなアドバイスしていますから…。(;^_^A
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