昔図書館で読んだ経済学の本の思い出

今はグチャグチャの俺でも大学は学部時代の頃は好奇心旺盛で、経済学部でもないおバカ学部なのにマンキューのマクロ経済学など経済学の本を結構読んでいた覚えがある。
きっと当時の自分の専攻のリベラル具合に嫌気がさして、経済学の悪く言えば冷徹、よく言えばクールな感じに惹かれていたのだと思う。よくある「現実の経済を無視している」という批判も耳には届かなかった。負け惜しみなんだと思ったから。自分が負け惜しみを言う側にいるとは部活やアルバイトが全然上手く行かなくても思いたくなかった。それにキチンと人間のエゴを考慮して理論が組み立てられているように思えたので、当時のアメリカと重ねてなんだかんだ言って頼もしく見えた。
10年が経ち、20年が経ちやっぱり経済学は全然ダメなんじゃないかなと思うようになってきた。まず政府をデカくすればするほど汚職や身内贔屓のような腐敗が経済全体を非効率にしていくというのはそうなのだが、健全な市場メカニズムそのものを保証するヤツが政府以外に思い当たらなくなってしまった。市場メカニズムって合意に基づいて人々が取引すれば誰も損せず当事者たちは得をする、三方良し!って感じのメカニズムだったと思うんだが、商品渡したら暴力振るわれてワンパンKOされる事態って明らか無視されてるよな(アフリカどころか世界ではよくあることです)。それで反論として「政府が出て来ずとも、自然法がどうのとか地域社会とかの可能性がある」みたいに言われる流れだったと思うんだが、そうはならんやろ、かそれは政府やろ、でしかない。
若かったことの気持ちになって俺が考えてみたのだが、ひょっとして市場メカニズムというのは金本位制じゃないとコーヒー飲まされたクモの巣みたいにグチャグチャになってきちんと機能しないのかもしれない。この世界では中央銀行ではなく各銀行とか下手したら信用金庫が貨幣発行の責を負う。でも各銀行が金銀財宝を強盗から守るために用心棒を雇っていたらそれはちっさい政府が乱立してるだけでは?確かに競争原理は働くだろう、しかしミニ政府同士の抗争、非効率を克服せんがため統一の機運が高まろうものなら大和朝廷が成立し、中世になり江戸幕府が成立し明治維新が必然的に起き…これじゃ現実の日本と変わらないじゃないか。ヨシ!日本国程度の国が地球上で核戦争が怖いので戦争はできる限り避けて競争し合っているのを”市場メカニズム”というのなら現状が正にそうである。本当に穏当な経済学者達はそう考えているのかもしれない。
要するに市場メカニズム自体の設立・運営コストが論じられていない印象を歳喰った今の俺は抱いている。生物学の教科書にイオンチャネルはコストゼロの永久機関で~す、と書くようなものじゃないか。実際には成立・維持に多大なコスト――数多くの偶然が延々と積み重なって成立している。市場メカニズムが十分に成り立っている状態の国というのは、ひょっとしたら宇宙空間でイオンチャネルが存在する惑星程度にしか無いのでは?そんな鼓腹撃壌の理想郷も諸行無常の偶さかでしかないだろう。
最後に少なくとも経済学の教科書だと交渉・駆け引きの類が出てこなかった気がするんだが、やっぱりちゃんと読めてなかったのだろうか。本当に経済学と言うのは経済活動の交渉・駆け引きの側面を無視しており、本当に重要なそういう部分は自民党内や日本銀行内で口伝で伝えられている、というのは陰謀論に属するだろうか。植田総裁がトチ狂ってアメリカ並みの金利にしだしたら大恐慌が起きる恐れも無いことは無いと思うのだが。そうなったら改革改革~♪とか言ってた奴は責任取ってくれるんかいな。
憎まれ口ばかりになってしまった。もうちょっと頭良くて経済学部に入りたかった。

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