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どの国だっていつかはファシズムに追いつかれる説

 自由と民主主義って結局なんだろう。多数決と自由放任主義だったのかな。英米も自由主義だの民主主義だの誇っても、結局ファシズムに追いつかれそうになってるじゃないか。そりゃ別に本家イタリアン・ファシズム程度ならアリかもしれないなと思うんだけど、二大政党制が偉大だの自由が人間にとって必要不可欠だの言ってたのはどこ行ったんだと思ってしまう。
結局、経済成長が全てを癒してたんであって、二大政党が競い合うのが常に効率的なわけではないことが白日の下に晒されたんだなと思う。明治維新以来の伝統的な巨大政党と宗教政党で連立組んで比較的安定した政治運営するのの何が”民主主義”でなかったんだ?南アフリカもANCとDAの連立民主主義で少しは上手く行くと思う…うん、そう期待しよう。南アフリカなんかで二大政党制やったら内戦になる。
 そうとも俺達近代人は影の如く付きまとってくるファシズム他全体主義から経済成長をロケット噴射して逃げまとってきたのだ。燃料が無くなれば呑まれるうえに推進剤に個人主義が含まれているのでどんどん船体が腐食する。思えば個人なんて単位は幻想で、あるのは遺伝子だけなのかもしれない。縁故採用、買収、終わりない部下への罵声、越権行為、そして部族主義/民族主義/人種主義、どれ一つとってもアメリカ合衆国(はじめ欧米各国)において健在だったのに、日本の庶民も当のアメリカの庶民も、丘の上の町の繁栄に目を奪われて気にならなかった。90年代~2000年代のアメリカ、アメリカ、欧米、欧米凄いすごいスゴイ、それに比べて日本の男と来たら…一重瞼の俺達”チー牛”男性にとってはそれだけで”差別”だったよ。
 だからトランプ政権2期が仮に本格的にファシズム化するとしたらそれは堕落でもなく変質でもなく、さりとて偉大なるアメリカの復活でもなんでもなく、ただ人間本能による本来の陰湿、排他的な社会への回帰なのだ。


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