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『あらゆる記録は保存されなければならない』――VTuber引退によるコンテンツ削除は"正しい"のか?

 レッドオーシャンであるVTuber業界では今日もどこかで新たなVTuberが生まれそして消えていくことでしょう。それはにじさんじかもしれないし、ホロライブかもしれないし、個人勢かもしれないし企業勢かもしれない。いずれにせよ、この広大なWWW(ワールド・ワイド・ウェブ)、あるいはインターネット空間と表現すべきでしょうか、この世界において活動したという紛れもない事実が存在します。
 しかし、多くの引退したVTuberはその足跡を消すことが多いようです。Steamのレビューのように賛否両論ある話題ですが、私は「残すべき」立場を取りつつこの議論を検証してみたいと思います。

なぜ引退したVTuberの動画を残すのか

 これはすなわち「なぜ引退したVTuberの動画(またその他コンテンツ)を消してはならないのか」という意味でもあります。

 反対派の立場からすると「動画などのコンテンツを所有するのはそのVTuberであるのだから、引退後引退前を問わず削除するかどうかは自由である」といった所有権説か、「引退したということはこのインターネットの世界から消えたことに等しいので消すのが常道である」といった常識説などか考え得るでしょうか。いずれも気持ちは分かりますし、その通りだと思う部分もあります。そして正しいとも。しかしながら、それでも私は反対派の立場を取ります。これは「正しい」とか「権利がある」というのではなく、「引退後もコンテンツを残すことがWWWの発展、ひいては人類の発展に資するから」というのが最大の理由です。

 そもそも、このWWWという世界はインターネット上で提供されているハイパーテキストシステムのことであり、複数のテキスト(現代においては最早テキストに限らず、メディアコンテンツも多分に)を相互に関連付けて結びつける仕組みです。故にあなたにとっては無価値なコンテンツであっても、それは誰かにとって有益かもしれないのでリンクが張られ知らないところで結びつけられています。このnoteも公開後には私がTwitterにリンクを張って、noteのトップページに掲載され、あるいはGoogleのクローラーに収集されて検索時に表示されることでしょう。ありとあらゆるコンテンツは知らず知らずのうちに共有され結びつき、WWWという世界が形作られていきます。

 さて、こうした世界においてコンテンツを削除してしまうとどうなるでしょうか。私がこのnoteを公開後1ヶ月で削除したとしましょう。私がTwitterに書いたURLは無効なものとなりnote.comのサーバーはHTTP 404 NotFoundを返します。私のTweetをRTしたら、その無効なURLがもっと拡散します。Googleのクローラーは優秀なのでそのうち無効なURLに気がついて検索結果から排除することでしょう。しかし、それでもなお多くのところで無効なURL、すなわち結びつきのなくなったネットのゴミがこのWWWを永遠に漂うことになります。
 つまり、一度ネットに公開したものを削除することは難しいという昔から言われる当たり前の話です。
 VTuberという私なんかよりよっぽど目立つ存在である方々のコンテンツであればなおさらであり、私のツイートの100万倍拡散して伝えられることになります。そうした情報が削除によって一斉にゴミになってしまうことは、WWW全体の不利益になってしまうのです。

あらゆる記録を保存せよ(本人の意思の範囲で)

 もちろん、何でもかんでも残す必要はないと思います。あなたが間違えて書いてしまったTweetを削除してもう一度書き直して投稿したり、このnoteでまだ非公開にしている記事が結局納得いかずに消してしまうことはよくあることでしょう。それらは未だハイパーテキストシステムに組み入れられる前であるといえるため、実害は少ないです。

 VTuber引退の理由は様々です。一身上の都合だったり不祥事だったり、会社を辞める理由が千差万別であるように引退理由も千差万別です。しかし、たとえ不祥事による引責引退であったとしても、そのVTuberが活動していたことは歴史的事実であり、その活動記録自体が闇に葬り去られてしまうような真似は許されません。WWWに合法的かつ自発的意思によって公開された情報である以上、それは記録し保存されるべき情報です。もちろん、削除をする・しないについては最終的に個人の裁量があるべきです(私としてはできるだけ残してほしいと望みますが)。しかしながら、事務所所属VTuberが事務所からの圧力で削除を強要されるといったことは決して許されません。こうした行為は自由意思が尊重されるべきWWW上の情報を恣意的に操作することに他ならず、政府による公文書偽造や焚書に匹敵する人類文化への冒涜であると強く非難します。
 話がそれました。

それでもやっぱり動画は残してほしいよね

 前述の通り、企業等による圧力で強制削除をしてはならないし、一方で引退者に残すように強要することもできません。ですが、それでも私は動画を残してほしいと思います。思うだけで強要はしませんけど!(強調)

 図書館にはあらゆる記録が保存され公開されています。日本図書館協会によれば、

・・・「図書館の自由に関する宣言 1979年改訂」において,「すべての国民は,いつでもその必要とする資料を入手し利用する権利を有する」こと,そして「この権利を社会的に保障することに責任を負う機関」が図書館であることを表明した。また,「すべての国民は,図書館利用に公平な権利をもっており,人種,信条,性別,年齢やそのおかれている条件等によっていかなる差別もあってはならない」とも述べており,われわれは,これらのことが確実に実現されるよう,図書館サービスの充実に努めなければならない。

とのことです。彼らは全ての国民に対し知る権利を保障するため、資料と施設を提供することを最重要任務としています。現代図書館では小説からマンガに至るまで、ありとあらゆるコンテンツが収録されています。ここにVTuberの配信動画が含まれることがそれほど不自然なことでしょうか?
 WWW上に公開されたコンテンツである以上、やはりこれらも収集されて記録される価値のある情報ではないでしょうか?例え本人にとっては消してもいいような情報でも、それは確かな記録であり歴史であるのだから、保存されるべきではないでしょうか?私はそう考えています。

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 先日引退表明した御伽原江良のYouTubeとTwitter。近日中に削除が行われるようですが、本人の意思なら仕方ない。ですが、もしも、もしも残してくれたのなら、私たちは少なくともYouTubeがサービスを終了して全ての動画を削除するまでの間はこの御伽原江良というVTuberが存在し確かに活動していたことを事実として知ることができます。100年後に御伽原江良というVTuberが配信をしていたという事実をその目で見た人間は最早生きていないでしょう。そのときもYouTubeが残っていれば(もしくは後継サービスに引き継がれれば)、それは確かに実在したと100年後のオタクたちも知ることができる。しかしこれらの動画やSNSが削除されたとき、100年後にはこの御伽原江良という存在が「確かにいた」から「いたのかもしれない」になる。そうした危険性をはらむのです。

結論

 VTuberによる引退後の動画削除は個人の意思として行われる行為としては正しい(自己決定権を尊重)。しかしWWWの理念や成り立ちと、記録を保存することの重要さを理解してなんとか残してほしい、というのは私のエゴでしょうか。

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