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フレディ・マーキュリー

■消えたフレディ・マーキュリー


1987年のマジックツアーの後、しばらくQUEENとしての活動はなく、フレディが表舞台に上がることはありませんでした。
そんなこともあって、この頃から、フレディがAIDSに感染しているのではないか?という噂もあり、ゴシップ的にフレディはマスコミに追いかけられたりしていました。
1988年にQUEENのメンバーは結集してアルバムの制作に入りますが、この時に長年、誰の曲をシングルB面にするかと言った作曲クレジットに関するメンバー間の問題をクリアにするべく、全ての曲のクレジットをQUEENとします。この頃にフレディはメンバーに自分の病いの事を伝えているということです。
病気のこと、体調のこともあったと思うのですが、アルバムThe Mircle をリリースしても、QUEENはツアーを行わないと発表しました。
因みにThe Miracle は制作時のタイトルをInvisible Man(見えない男)でした。まさにフレディ・マーキュリーは消えてしまっていました。

■1991年のフレディ・マーキュリー


30年前の1991年はロックにとって特異点のような年でした。
これまでもNIRVANAのネバーマインドやMETALLICAのブラックアルバム、Guns n' Rosesのユーズユアイリュージョンなんかがリリースされた話しますをしましたがQUEENの実質的なラストアルバムであるInnuendoもこの年に発売されています。
この傑作アルバムのタイトル曲、インニュエンドゥのPVを観ましたが、フレディ含む各メンバーの過去の映像が絵画調に加工されたもので近影を観ることはありませんでした。

そして、これもまたこれまでの動画でお話ししたのですがちょうどその年に就職をした私は環境の変化もあり、クタクタに疲れて家に帰るといった毎日を過ごしていました。
その日も疲れて家に帰りテレビのニュースをボーッと観ていました。
すると突然、「イギリスの人気ロックグループQUEENのボーカルフレディ・マーキュリーさんが自身の病気を公表しました」と言うアナウンサーの声が飛び込んできました。
AIDSだというようなことも言っていたと思いますが、「あぁ、やっぱりか」と言う感じでした。
当時はまだAIDSと言えば不治の病という印象でしたのでフレディは何れ亡くなってしまうんだという残念な気持ちはありました。
その翌日です。
新聞を読んでいると『QUEENのフレディ・マーキュリーが亡くなった』と小さく記事になっていました。
わたしはそれを見て「これは間違いだ。昨日病気を公表したというのを間違って記事にしてしまったんだ」と思って、全く信じなかったのです。
ですが、時間を置いて音楽雑誌か何かでもやっぱりフレディは亡くなったことが出ていたと思います。
そして、当時大阪のアパレルショップが沢山あるエリアで働いていたので、ロックTシャツを扱うようなお店もありました。そこでイギリスのゴシップ誌であるThe Sunのフレディが亡くなった時の一面をプリントしたTシャツ何かを発見して、徐々に本当に亡くなってしまったことを感じるような、そんな感じでした。


■フレディ・マーキュリーのTシャツ


それがこちらのTシャツですが、買ってからまだ一度も着ていません。30年は経っていると思います。
そして、翌年1992年にはフレディ・マーキュリー トリビュートコンサートがウェンブリースタジアムで開かれます。
豪華な出演者でフレディを送るに相応しい素晴らしいコンサートでした。
海賊盤のCDにはこのコンサートが余すところなく収録されていて何度も何度も聴きましたし、当時コンサートの模様をWOWWOWが完全版で放送したものを同僚が録画してくれて、それも何度も何度も観ました。
素晴らしいコンサートです。先日YouTubeでも期間限定で配信されていましたが、DVDにもなっているのでそちらを持っています。
このTシャツは限定BOXに付属のモノでコチラも一度も着ていません。
ウエンブリーの時の黄色いナポレオンジャケットに右手を力強く挙げているのフレディーがプリントされたものですね。
この黄色いナポレオンジャケットはフレディの代名詞的スタイルになっていますね。ボヘミアン・ラプソディのイメージにもなっているフレディがこうのけぞっているポーズも1986年のウエンブリーの写真が元になっているんですが、フレデイの方が左膝が見事に折れていて弧を描くようなブリッジが美しいです。
フレディの身体能力の凄さを物語っているようです。

■フレディ・マーキュリーを追いかけて


QUEENを知ってから10年ほどでフレディはいなくなってしまいました。ただ、The Worksツアーを最後にQUEENは日本でコンサートを開いていませんでしたし、日本でQUEENが話題になる機会は少なくなっていたと思うので、81年の出会いから85年のライブエイドの頃まで、QUEENのレコードを聴きあさっていただけだったことに気づきました。そうしてもうQUEENを、フレディをこの目で見ることはできなくなったと思うと、もう取り返しのつかないことになってしまった感じがしたのです。それでその気持ちを埋めるべく当時知らなかったQUEENのことをもっと知りたくて、もっと動くフレディ、喋っているフレディ、生きているフレディを見聞きしたくて当時出ていたVHSのビデオのライブであるとかPV集であるとか、QUEENの奇跡を3本のビデオに収めた作品であるとかを購入して繰り返し観たというわけです。

■乙女座のフレディ


ビデオの映像で見られる晩年のフレディはかつての雄々しくも美しい面影はなく、
観るのが辛い感じにもなります。そのせいか晩年のPVはDVD化されていないと思います。今はYouTubeで見ることができますが...
それでもやっぱりフレディはフレディです。
何十万という大観衆を扇動して拳を振ってYea-Ohと声をあげるフレディに惹きつけられるのです。
ちょっと面白くて滑稽な姿でステージに現れても目を離さずにはいられないのです。
あの全身で声を発するような素晴らしい歌声を耳にすると心を奪われてしまうのです。
そして、カート・コバーンの死に際にして、「群衆の憧憬を愛し楽しんでいたらしい」と思いを馳せらせた、そんなROCKの一つの象徴的な姿でもあったフレディ・マーキュリーを感じられる時間があったことを幸せに思うのです。

QUEENのクレストには各メンバーの星座をモチーフにした象徴が描かれています。蟹座のブライアン、獅子座のロジャーとジョン(だから2匹います)そして乙女座のフレディともう一人のフレディです。

■おまけ

2003年に開かれたロックンロール・フォトグラファー、ミック・ロックの写真展『Rock n' Roll Eye』に仲間が携わっていたという話は以前YouTubeでも紹介しましたが、その写真展にはQueenやフレディの写真も展示されていました。
写真展で一際印象的だったキュレーションが、ほぼ等身大までに引き伸ばされたフレディの写真に写真中の敷物と似た布がかけられた台座に寝かせて展示されていたものでした。写真の周りにはたくさんの花が飾られていてまるでフレディを送るようにも見えたのです。その中で若かりしフレディは妖しく微笑んでいました。
紫色の光沢ある布、白い薔薇のような造花だったと思いますが、20年近く昔の話なので記憶が改竄されているかもしれません。ただ、その記憶も風化しそうなので、それを留めておきたくてイラストにしておいたのです。

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