尽くしすぎる
記事の中で、自分が勉強した心理学を前提として書いてしまったことがあり、反省。。。
今日は占いの話(笑)人生で2~3回、占いに行ったことがある。興味本位で友達と行ったり、誘われたから行ったり、元気ない私のためにエンターテイメントとして誘ってくれたり。そんな感じだった気がする。
そのどれもで、「人に尽くしすぎるな」と言われた。あと、「お金には一生困らないよ」と。あとは忘れた(笑)毎回言われるからさすがに気になる。
この「人に尽くしすぎるな」はとても気になる。なんていう占い方法でそう言われてるのかは分からないけど、毎回言われるのだから、メジャーなやつなのだろう。私はたいてい、「いまこういう状況なんですけど、どうしたら良いですか?」とは聞かない。なんか、たぶん顔に「話すことないなー」って書いてあるので、向こうが話を進めてくれる(笑)
言われてもピンときていないのだけど、よく考えると、家族かなと思う。まあ、ダウン症の兄や母に対してですね。
その分私はダウン症の兄に対して対等にむかつくし、嫉妬したし、憎んだりもした。母には、自分がアダルトチルドレンだと気づいた辺りから憎んだり文句を言ったりした。
アダルトチルドレンあるあるで、実は母が母自身の人生を歩んでなかったりする。
私よりも誰よりも「尽くしすぎてしまう人」なのだ。
母方の祖母、叔母(母の姉)、叔父(母の弟、兄)それだけ多数の人に、母はめちゃくちゃ尽くしてきた。そして挙句の果てに、「尽くしてくれ男」;父と結婚してしまう。あんなやつで良かったのか、と今でも思う。パパとしては良かったのだけど、旦那としては微妙。10点くらいか。
あの時代には珍しく(母は小さい時ドルを使ってた時代の子;まだアメリカ支配下の沖縄の子)母は自分でお金を貯めて大学も出た。それも、実家が自営業をしていたので、そのためだった。
え?どうなの?自分の好きなこと学べばいいいのに。現代の人からすると結構びっくりな事ですよね。長男でもないのに?みたいな。
私がそんなに重症なアダルトチルドレンじゃないから、カウンセリングに親は呼ばれなかったけれど、重症?(アダルトチルドレンは病名じゃないから、この表現いいのか....?)な場合は親もカウンセリングを受けることがあるらしい。
そして私が母に色々言ってきたなかで、ひとつ母が自分の人生を「後悔している」とちゃんと認めたことが、この「自分の人生を歩まなかった」だった。
概ね母は老年期の人生課題である「人生の統合」が出来ていて、「良いおばあちゃん」って感じだ。で、普段は「この人生で良かった」というのだが、たまーに、「はなマルは自分の人生を歩みなさい。好きにしたらいい。私は後悔してる。」というのだ。
まあ、「自分の人生を歩みなさい」はずっと言ってくれていた。そんなこと言われても、母がしんどそうにしているのを、子どもとしては気づいてしまうし、手伝ってしまう。
だから、母は、「幸せ」でいなくちゃいけない。子供の世話をきちんとすることよりも、実はこっちの方が大事なんじゃないかとすら思う。虐待、ネグレクトとかを除き。母が見る世界の見方を、子どもは真似する。気づいてる。
母がどんなに兄のことを「かわいそう」だとする「世間の声」を無視しようと、心の底で気にしていれば兄妹児は鋭くそれを見抜く。
子どもの目ほどごまかせないものはない。
占いの話からずいぶんずれた(笑)けど、私は誕生日的に「尽くしてしまう」のか姓名判断なのか、いやいや、単に「母の真似」をして育っただけか。親が「自分の人生」を生きてないのに、子どもは自分の人生を生きれるのか。むしろわがまま放題、夫として微妙な父の方が、自分の人生を生きてきたのかもしれないけれど、語ることなく亡くなった。
年代と沖縄県と自衛隊ということで、硫黄島に死体処理に行ったりと、「語りたくない」人生もあったみたいだけど。
大好きな母だけど、「尽くしすぎない」に関しては占い師の言う事を聞こうと思う(笑)
あと、男性にだけは尽くさない方が良い。一度しか尽くしたことはないけれど、調子に乗られた(笑)たぶん概ねそうなると思われる(笑)しらんけど。
むしろ尽くしてくれ(笑)
と、話がずれたまま終わる。寝よ。