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笑顔を見せる人と、悪口の揚げ足を取られる人

 ワクチン反対派、ノーマスク派の医師で、宮澤大輔という方がいます。
 逆にワクチン・マスク推進派として、こびナビの木下喬弘氏と、医師の忽那賢志氏がおり、意見を戦わせていましたが、名誉棄損で提訴されたようです。
 あほくさいこと、この上ありません。

寛容、自由、笑顔のオーラ

 私たち、ワクチン反対派、ノーマスク派の理想のあり方とは、このような形ではないでしょうか。
 元のツイートがたどれないので、記憶を頼りに書きます。

 ノーマスクを貫く、母親と娘さんがいました。まだ小学校低学年です。
 娘さんは、学校で真面目な女子生徒に「マスクをつけなきゃいけないんだよ」とか「○○ちゃんはマスクつけないで、いけないんだ」と言われていました。
「マスクはつけなくてもいいよ」「うちの家ではママもつけていないよ」と言っても、半信半疑のようです。

 ある日、お母様が授業参観に来られます。
 真面目な女子生徒は大層おどろき、お母様に最初、警戒の目を向けました。
 しかし、このお母様、オーラが違います。にこにこ笑顔で真面目な女子生徒に、たくさん話しかけました。
 そしてなんと、お母様が帰るころには「○○ちゃんのママ―」と甘えて、抱き着くほどになついたのでした。

 私はこの話にずいぶん、感心と感動をしましたが、みなさんもそれぞれ感心した話があるでしょう。

 他にも凄いと感じたエピソードをいくつか紹介します。

私の忽那賢志氏の評価

 私自身、ワクチン反対派・ノーマスク派ですので、忽那賢志氏とは根本的に考えも、価値観も違います。
 とくに子どもに対しては、マスクを外しやすい風潮を確保し、同調圧力をかけない、指示・命令をしないよう注意すべきだと考えています。

 忽那氏の考えには、子どもであっても極力マスクを着けるべきという主張が見受けられますので、率直に言って私は氏が大っ嫌いです。
 嫌いと言うのは、私の感情、心であって、決して侮辱・悪口ではないと思います。
 大っ嫌いな忽那氏です。私もつい悪口が漏れてしまうことはあるでしょう。ですが、直接的な暴言を吐いて良い理由はないと思っています。

宮澤大輔氏の発言

 宮澤大輔氏のブログをご確認ください。

 あえて発言を切り抜きますね。


「ひたすら働いて税金だけ収めて都合の良いドM奴隷やな、日本国民ってドM奴隷にはこの程度の医療がふさわしいと言う事やな」
ドM奴隷には家族にも質の良い医療を受けさせる資格は無い。自業自得。 文句言わず働いて税金だけ納めとけ。 上級国民は優先的に入院させるから。 ドM奴隷は目の前で自分の子供が酸素足り無くて窒息死するのを黙って見ているが良い」
「ドM奴隷の子供にはインフォームドコンセントなんて要らない。上級国民の金の為、利他目的(忽那氏の見解)のために全員新薬mRNA打ってしまえ。どうせ何かあってもドM奴隷の親は文句を言う力もない。リスクベネフィットなんて余計な事は考えさせないで良い。(多分忽那氏は自分の子供には打たせてない)」

 私は、これは忽那氏に対する侮辱ではなく、日本人に対する皮肉と読み取りましたが、あまりに言葉が悪い。
 この文章を読んだ人は、嫌悪感を抱く人もいるでしょう。私は感じました。ワクチン・マスクを推進したい人たちは、こういう発言を嬉々として切り取るでしょう。


 宮澤氏:忽那氏に対して、顔デカくつ王と発言。
 忽那氏:容姿の揶揄は、名誉感情を侵害していると主張。
 宮澤氏:忽那氏自身が「顔デカくつ王」と自虐をしている。名誉の侵害ではない。

 呆れません? 両方に。
 顔デカといわれて名誉棄損を訴えるのはやり過ぎだと思います。
 一方、本人が自虐しているから揶揄ではないという理屈にも……。

 私は嫌ですよ。ある人に向けた自虐ネタに、仲が悪い人が乗っかってきたら。
 仲が悪い人には、そもそも関わらない。つい口がすべって相手が問題にしてきたら「それは悪うござんした」か「ごめんなさい」でいいでしょう。ニュアンスの違い、分かりますよね。


 宮澤:「ムッツリスケベ」「雑魚」「おつむが知れてる」などなど。
 小学生か、中学生の言い合いでしょうか。

スラップ訴訟

 確かに、忽那氏の訴えは、スラップ訴訟の側面が大きいと思います。
 こんなしょうもない悪口で、560万円の損害を請求するのはやり過ぎです。

 問題はそこではなく、まだワクチンやマスクについての情報を知らない人たちが、宮澤氏の一連の発言を見てどう思うかです。

 相手に付け入る隙も与えます。自分にとって都合の良いデータや報道だけを取り扱いたいワクチン・マスク推進派は、まともに反対のデータや報道を取り扱う姿勢はありません。
 こういう発言を嬉々として取り上げ、揚げ足取り議論のすり替えをするでしょう。

名誉棄損

 法改正を提案します。名誉棄損で数百万円の請求ができるのは異常です。

 学校生活でも、会社の同僚でも、家族・友人でも、実生活では言い過ぎて相手が悲しんだら「言い過ぎだったね。ごめんなさい」でお終いです。

 今の法制度は生活やコミュニケーションと乖離しています。
 名誉棄損は、程度に寄りますが、ごめんなさいで終わり。罰金も数万円で良いでしょう。

 例えば学校で酷くいじめられ、心理的な病をわずらわったり、不登校になってしまったり、自殺未遂や自傷行為をするようになった場合。これこそ、数百万~数千万円での損害としてしっかり扱うべきです。

仮に相手が暴言を吐いたとして

 忽那氏の発言は一つも追っていないので、彼がどういう発言をしているかは知りません。仮に、忽那氏も同じように悪口や暴言を吐いているとしましょう。

 それは、その言葉を指摘し、正せばいいのであって、こちらも悪口を言って良い道理にはなりません。

仮に相手が人殺しだったとして

 仮に、人殺しの大悪人がいたとしましょう。おかしな仮定ですね。
 子どもをイジメたり、殺したりするような大悪人
 いやあ、確かに憎い、ムカつく、どうにかしてやりたい。
 中々、難しい問題です。

 しかし、現実と向き合ってみましょう。その悪人を裁いたり、どうにかすることが自分に出来るのか。究極的には実力行使などに訴えることが出来ますが、現実には難しい人がほとんどでしょう。
 答えは出せません

 追い詰めるのなら、しょうもない悪口を言ったり、馬鹿にして溜飲を下げるより、もっとしっかりした方法を考えた方が良いでしょう。

フォーカスすべき方向

 もっと明快な問題に取り組みましょう。

 確かに子どもイジメや殺しの主犯格は憎いです。ですが、私たちの目の前にはいません。
 生きづらい世の中と言われる現代日本。弱いものイジメがはびこっています。その現場に巻き込まれてしまう、あからさまなそれと相対してしまう、そういう現実がやってきた時に毅然と対応できれば良いと思います。

 それより、もっと良い問題に取り組みませんか?

 最初に紹介したように、他人を笑顔にしてマスクを取れたら最高じゃないですか?

 買い物をして、会計をする時、にっこり「ありがとうございます」と伝える。定食屋さんで食事を頂いたら、会計の時に「おいしかったです」と伝える。
 素顔でにっこり。
 私はあまり笑顔が得意ではないのですが、存外効果があると、最近、実感しています。マスクや無表情を良しとする社会に疲れたり、呆れている人は、けっこういるのでしょう。
 例えば今日、ノーマスクで初めての定食屋さんに入店しましたが、帰る時には「次も来てください」と言っていただきました。こっちが警戒していたり、むっとした顔をしていたら、絶対に言われない言葉ではないでしょうか。

 神妙な顔をして、あれこれ言ってくる人と、何も言わないけれど、笑顔で感謝を伝えてくれる人。どちらが効果的でしょう。

「どうも、オーラで戦った方が効果的なのではないか?
 最初に紹介した、母娘のエピソードから、私はそう感じました


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