私が私を差別するという無意識の差別に驚愕した話
アメリカ合衆国で起きている黒人への暴力行為、連鎖し続ける暴力、不条理なデモ、連日の差別報道、、心が痛い。
知ること、叫ぶことはもちろん大事だけれど、具体的に行動に移してこそだという事に思い至り、募金という形で行動に移してみました。
(「ジョージフロイド 募金」や「ドネーション」で調べると出てきます。
こちらの動画も大きなきっかけになりました。こちらは日本語字幕がついています。➡️https://youtu.be/03p2MQSGL-0)
「差別はよくない!」
「みんなちがってみんないい!」
その通りです。
「私には差別的行動、言動、思考はない!」
そう思っていました。
しかし、私はあまりにも日常的に、無意識のレベルで差別をしていたことに気づいたのです。
(他者を傷つけたり侮蔑してたという内容では無いです😇)
幼少期からあらゆる面で少数派な子でした。
特に趣味嗜好流行りもの。
顕著になるのは所謂思春期。
皆がSPEEDや安室ちゃんやYUKIちゃんの話題で盛り上がる一方、私はクラシックや70年代フォーク、洋楽が大好きだったり、皆が異性に興味を持ち出して誰が好きだの付き合っただのと盛り上がる一方、私は第三舞台やナイロン100℃の戯曲を読んで盛り上がっておりました。
当時はそれがなんの問題でもなかったし、みんなちがってみんないい、でした。
しかし、大人になるにつれ、皆がしてきたものや皆が好きなのをしてこなかった&そこまで好んで選択してこなかった自分を「だからダメなんだ」とするようになっていました。
そして、それを理由にしていました。
大多数ではない自分を否定し、できない理由にすることで「できていない自分」を正当化するようになっていたのです。
例えば何か行動した時、大多数の人がしてきたことをしてきた人が成功し、私が失敗した時、その差別はおこります。
「あんな風に生きてこなかったから」「ああじゃないから私はダメなんだ」と。
所謂、「自己否定」「自己肯定が低い」という言葉に対しては、もはや「わかってるよ!だからどうしたらいいか必死に模索してるの!むきー!」となるばかりでしたが(苦笑)、「差別」だとわかると感じ方が変わります。
差別的思考はないと信じきっていた自分の中にも違いを否定する【差別】が存在し、【他者と比べ自己を卑下したり痛め付ける】ことも明らかな差別。
この思考の根深さと無意識っぷりに「嘘でしょ」と思いました。
日本に住んでると、すぐ隣に【差別】という社会や空気があるなんて思わずに暮らしているような気がします。
他国から比べればそうなってもおかしくないと思いますが、確かに差別はあります。
そして、私の中にも他者と違う自分を差別する自分がいました。
○○人じゃないから、○○で育ってないから私はダメなんだ、、と私が私を差別する、こんな悲しいことはないです。
「差別はよくない!」
「みんなちがってみんないい!」
は、思わぬ形で自分に跳ね返ってきました。
そして、いいもわるいもない。
みんな良いし、みんな悪い。笑
世界で起きてることを自分事にまでおとしこむと、もっと世界は身近でした。
そして、私もまた世界でした。
久しぶりに長々と。
やっと言葉にできた。。。