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感じる私と考える私

3月の終わり。
会社は年度末でどの部署も慌しく、私もなんだか落ち着かない日々を送っている。
まもなくやってくる新年度を待つこの時期は、どこかソワソワするものだなと思う。
何かが終わったり、変わったり、新しくなったり。

過去に勤めていた会社は社員数が数百人程度、新年度になると部署間での異動や昇進なども含めてそれなりに動きがある組織だった。
そんな(ある意味人事的に)刺激の多い環境にいたせいか、今も私はこの時期に通知される人事異動通知をしっかりと確認してしまう。

来月には、同じチームの同僚が管理職に昇進する。
同僚といってもいわゆる年下の先輩で、彼女は私よりも4年ほど先の入社。
私と同じく異業種転職だがとても真面目で、雑に言えば少し変わった性格だけど、仕事に対して真剣に向き合う姿勢が素晴らしい人。
誰から見ても違和感のない昇進だと思う。

さすが!

それが通知を見た時の第一印象だった。
若くとも実力を持った人が上にいくのは本当に素晴らしいと素直に思う。

そう思ったと同時に少し驚いた。
私って人の成功を素直に喜べる人になったんだ?

20代のころから出世欲が強くて、
誰よりも仕事ができるようになりたいと思っていた。
多少形を変えていたとしても、今もその考えは変わらないと思う。
その気持ちだけが先走りすぎてしまって過去には周囲の昇進や成功に嫉妬したり、妬んだことだってある。
それなのに、今の私はあまりにすんなりと同僚の昇進を喜んでいる。

ああ、私とても喜んでる。
信頼する人が認められることは嬉しいことなんだな。
彼女と次に打ち合わせをするときには、お祝いの言葉を贈ろう。

そんなことを考えていたら、頭のなかで(もうひとりの私というべきなのかは分からないけど)何かがこう囁くのを感じた。

「同僚が昇進したのに自分はそのままなんて納得できるのか?」
「自分だってこれだけ専門的なことをしてるのに、正しく評価されてると思っているのか?違うだろう?」
「本音では悔しいはずだ」

お風呂に貯めた水がじわじわと溢れていくように、静かにネガティブな思考が流れ込んでくるような、そんな感覚。

いつもならこれを自分の本音として捉えていただろう。
ああ、心の底ではこんなことを考えていたのか、と。

でも、「素直に喜ぶ自分」に気付いたあとのこの感覚は猛烈な違和感を私に与えた。
あんなに瞬間的に感じたことと、考えてることが違う。
もっと言えば「私ではない別の何かが、感じたことではないことを考えさせようとしている」と表現した方が正しいかもしれない。

私の本音はどこにあるんだろうか。
私がこれまで認識してきた「私の考え方」は本当に素直な思いだったんだろうか。
何か別の思考がそう思わせようとしていただけなのではないだろうか。

少なくとも、今の自分の中には「感じる私」と「考える私」がいて、
これまでの傾向で言えば「考える私」がややリードしている…ような気がする。

そんなことに気付いてしまったからには
分析をして正体を突き止めないと、とぼんやり考える。

よく観察して、本音を探って、思考して、内観して。
果たしてそれを続けたときの結論は、
考えてる私と感じる私のどちらのものなんだろう。

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