見出し画像

story 庭守りの花

私はある停車場で
汽車を降りた

花の匂いがする

改札の向こう一面に
満開に咲いた花の庭がある

この花は食べられるのですか?

庭守りは
傍の花を一輪摘むと
こちらへ寄越した

甘い…

ぼんやりと何かがよみがえってくる

私は独りでここまで来た
頼ることも関わることも避けて来た

何も見ないように
何も気づかないように

そうしているうちに
自分の本当の気持ちさえ分からなくなった

私は庭守りが摘んで寄越した花を
喰み続けた

喰み続けながらなぜか
涙がこぼれてくる

目の前に幼い頃の私がいる

壁際で黙って幸せそうな家族を見つめている

入ることのできない世界を私は遠くからじっとみている


あの時私は甘えたかった

でもそうしてはいけないと思った

そうなのだ

私はずっと淋しかったのだ
今も…

何をしても満たされることがない
真っ暗な穴が空いている

虚空…

どの駅も通過点
行く宛もなく終わりのない旅が続くのかと思っていた

だが
ここにもう少し留まりたい

…そう思うなら
…そうしたっていいんだ

私は私に許すことをしてもいい

お前さんもするかい?

気がつくと庭守りが鍬を持って傍に立っている

そこへ…
新しい畝を作る

お前さんの蒔きたい種を蒔いたらいい

育ててご覧なさい

ただ容易にはいかんよ
花にも心がある

お前さんをわざと試すこともあるかもしれん

だがこいつらと付き合うのは面白い

汗をかいて無心に体を動かしているとふと分かることもある

声なき声はそういう時に届く

庭守りは笑っている

私は鍬を受け取った
心はもう決まっていた




ことばはこころ。枝先の葉や花は移り変わってゆくけれど、その幹は空へ向かい、その根は大地に深く伸びてゆく。水が巡り風が吹く。陰と光の中で様々ないのちが共に生き始める。移ろいと安らぎのことばの世界。その記録。