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宗教2世問題とメディアのお話


 数年前から、「宗教2世」についての体験談がまず「漫画」という形でいくつか出版されるようになり、去年から今年にかけては、そうした流れも踏まえて「テレビ番組」で「宗教2世」の存在が取り上げられるようになりました。

 もっと以前は書籍の形でいくつか出版されていたのですが、一般的にはあまり認知されたとはいい難いでしょう。

 漫画になって始めて、かなりの出版数に到達し、認知度が高まった問題と言えます。


 ネットTVや民放でもこの話題に触れたものがありましたが、特に近年NHKではこれまで3段階に渡って「宗教2世」を取り上げており、

■ ハートネットTV「“神様の子”と呼ばれて~宗教2世 迷いながら生きる~」

■ 逆転人生 「宗教2世 親に束縛された人生からの脱出」

■ かんさい熱視線 「私たちは“宗教2世” 見過ごされてきた苦悩」

が放送されています。

 特に、最新の「かんさい熱視線」の番組については、昨日(2021/5/28)の放送だったこともあり、そのレビューも含めて少し考えたいと思います。


 3度に渡って、という表現を使わずに「3段階」という書き方をしたのは、放送を経るごとに、ドキュメンタリーとしての質が上がっているからで、特にハートネットTVと逆転人生においては

「宗教2世(つまり、被害者と思っている)側の視点」

で番組が構成されていたのに対して、今回の「かんさい熱視線」では、

「宗教側にもコメントを求める」

などの、構成上のステップアップが見られたように感じます。


 弱者問題や、被害者問題というのは難しい要素を抱えるのですが、基本的には

「弱者、被害者側に寄り添いつつも、カウンセラーではないので、両者から双方の言い分を取り上げる」

のがメディアの手法として望ましいことになります。

 その上で、ある意味では、第三者の視聴者は、

「どちらの言い方に分があるか、ジャッジメントする」

ことになります。

 被害者側からすれば、自分の気持ちが視聴者によって「判定」される可能性があるわけで、セカンドレイプに通じることも起こりかねないわけですが、前の2つの番組では、その段階に至らず、

「まずは被害者の話を聞き、紹介する」

程度にとどまっていたような気もします。


 ところが昨日の放送では、複数の宗教団体に質問をして、その回答を放送するというところまでやっていました。まあ、当然というか残念ながら、宗教側からの回答は、あたりさわりのないもので、真摯な回答とはあまり感じられないものでしたが、NHKとしてはやるべきことはやっている感があります。


 報道番組として、いくつかのポイントを絞り込んでいた点もあるので、興味深く拝聴しました。

■ 宗教2世側の自助活動の紹介

■ 一般のカウンセリングでは、対応が不十分なジャンルであること

■ 議員へのアプローチをしている人たちがいるが、無反応

■ 一時避難所(シェルター)や経済的支援も視野に

などが取り上げられていて、一連の番組の中では、冷静に関連要素や考えられることを積み上げた構成になっていたように感じます。


 番組で取り上げるに当たっての本質的な「切り口」とは何か、というとこれは3番組全部に渡って言えるのですが、結論は

「人権問題である」

ということです。

 その道筋として

「信仰の自由がある。それは誰に対してもあるので、2世であるこども達にも信仰の自由(その信仰を選択しない自由)もあるはずだ」

という語り方になるわけですが、実際にはこれは微妙な部分を多いに含んでいます。

 というのも、「人権問題」ではあるのですが、現行の日本の法律では、

「18歳未満のこどもに対して、保護監督権を親に与える」

ということをやっており、

「どのような思想信条に基づいて保護監督するかは、親に権限がある」

という法解釈が成り立ちます。

 だから、特定の宗教立の思想によって設立されたミッションスクールなどにこどもを入学させることは、咎めることはできないわけで、少なくとも

「宗教2世が18歳未満なのか、18歳以上なのかによって、話がまったく変わってくる」

ことは否めません。

 もちろん、日本においてもよく知られているユニセフの「こどもの権利条約」というものがあり、18歳未満のこどもであっても、

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第14条

1 締約国は、思想、良心及び宗教の自由についての児童の権利を尊重する。

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 児童は宗教の自由を尊重されています。しかし、次の条項では、


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2 締約国は、児童が1の権利を行使するに当たり、父母及び場合により法定保護者が児童に対しその発達しつつある能力に適合する方法で指示を与える権利及び義務を尊重する。

3 宗教又は信念を表明する自由については、法律で定める制限であって公共の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳又は他の者の基本的な権利及び自由を保護するために必要なもののみを課することができる。

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 とあり、つまりは「こどもは未熟なので、保護者による適切な指示が行われることも尊重する」となっています。また、各国の法律の範囲内での自由も明記されています。(よって、こどもに「神のために死ね!」などは強要できないのは当然です)


 ということは、宗教1世からすれば、「常にこどもの適切な監護のために、教義に則り、法律に違反しない範囲内において保護監督しているのだ」ということになり、これは外部からとやかく言うことができません。

 まあ、某宗教がらみで言えば、ムチで指導される例などは「家庭内虐待事案」として通報立件することはできるでしょうが、それは教団の人間が逮捕される前に、各保護者が逮捕送検されておしまいになるだけ、というのが現実的なオチだと思います。


 そのため、真摯に考えれば、18歳未満の宗教2世については、肉体的接触をとらずに(支援者が物理的に接触し、その家庭から引き離すと、「誘拐」扱いになるので)、オンラインで悩み相談に乗って上げるくらいしか対応策がないことになります。


 あるいはメディアが騒ぎ立てることで、「ヤバい宗教があるよね」という抑止力として広報する、というくらいはできるかもしれませんが、メディア側も、宗教側から「公共メディアによる、信教の自由の侵害である」と訴えられれば負けますので、そこそこでおしまいにするでしょう。


 そのあたりを十分理解しながら、各人は「自分が幸せになること」を一番にしてゆかざるを得ないように思います。

 一連のメディア報道で「流れが一気に変わる」ということはないと思います。メディア側も「ここまでなら、反撃されないかな?」というところを手探りでやっている段階なので、(それでもがんばっているとは思う)過度な期待はできないかもしれません。


 番組の最終的なスタンスは「グレーゾーン」ということばに集約されていました。つまり、この問題は微妙なところがある、とわかっているわけです。

 個々の事例では「人権侵害の領域にまで、一線を越えてしまっている」こともあるでしょうし、しかし教団の教義としては「そこまでやれとは言っていないので、その親の問題だ」でつっぱねられることもあるでしょう。

 それらも含めて「グレーゾーン」というのは、なかなか絶妙な表現だと思います。

 たまたま私も、全然別のことで一昨日、民法報道番組のテレビ取材を受けていたのですが、番組製作者は、基本的には「誰かを傷つけないか、攻撃することにならないか」などには、かなり配慮をしながら進めています。

 そして、怪しい要素があれば、全面カットするのがお互いにとっての得策ですから、そもそも流しません。オフレコでは、打ち合わせすることもありますが「これはやめとこう」となります。

 そういえば以前、NHKの番組に出た時にはPが直接撮影していたのですが、何度も何度も途中で台本構成を変えるほどコンプライアンスなどには気をつけていました。「この切り口では、上が許可するかな」みたいなことをいっぱいつぶやいていたので、大変そうでした。

 その意味でも、今回のNHK番組は、がんばっていると思います。


 客観的な大人は、グレーゾーンまでは意識してくれますが、その領域を越えて支援してくれるとは限りません。つまり、NHKが助けてくれる援護射撃は、せいぜいこれくらいのレベルまで、という可能性もありそうですね。

 あとは、個々の宗教2世が、援護射撃を糧にして、戦ってゆくしかないのかもしれません。


 宗教2世のみなさんを応援しています。






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