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「親ガチャ論争」を瞬殺する、”例の話”をしよう。


 「親ガチャ」という言葉がちょっとした話題になり、かつ論争を呼んでいるらしい。

 ことばの意味はシンプルだ。人は親を選ばず生まれてくるから、「経済的あるいは知識的、階層的に恵まれた親」から生まれてきた子供と、「虐待をするような、育児放棄をするような、あるいは貧困層の親」から生まれてきた子供との人生を、ガチャにたとえているのである。


 このたとえ、言い得て妙なので、老若男女、けっこうな数の人が飛びつきやすかった。どんな人でも自分の親のことを思い出して、そりゃまあ言いたいことのひとつやふたつはあるだろうから、「特定の側面を取り上げて」

”自分はアタリだったな”

とか

”自分はハズレだったな”

とか思いがちなので、よけいに論争がヒートアップしたのかもしれない。


 完全に余談だがうちの親だって、当たりの面もあるし、ハズレの面もある。

「新興宗教にハマり、教義を強要する親」

という面ではハズレかもしれないし、

「曲がりなりにもムコガワたち兄弟3人を、大学等の上級学校にみな進ませてくれた」

という意味ではアタリだったかもしれない。

 そうしたいろいろな面があるので、この話は余計に盛り上がるのだが、中には、「生まれた時から自由を奪い、親の意志どおりに動かないと虐待するような親」もいるだろうから、言い方は悪いけれど

「ハズレには、いくらでも下のハズレがある」

こともまた、事実であろう。


 しかしである。もう、この手の話は「ごちゃごちゃ際限なく議論しても無駄」なので、ビシッと、ズバッと、日本国民全員がもはや黙ってしまうような、

「親ガチャについての必殺飛燕一文字五段蹴り!」

な、あのネタをぶちこもうと思う。

 もう、そのものズバリすぎて、誰も文句が言えないような、究極の親ガチャの話である。


 某国のプリンセスに、M子さまという方がいらっしゃるらしい。M子さまは、生まれながらにして、王女である。どうやらM子さまの弟君は、次の国王の座が約束されているようなものだそうだ。

 M子さまにはK子さまという妹君もいらっしゃる。二人揃って美人姉妹なので、それはもう、「アナと雪の女王」みたいなものである。

 ディズニーアニメの「アナと雪の女王」では、別の国の王子(ちょっと一癖も二癖もある)が結婚を目当てに近づいてくるのだが、某国のプリンセスにも婚約者がいて、エイベックスの作曲家みたいなK室氏という名前だそうだ。そして、K室氏も、一癖も二癖もありそうなので、今話題の最先端である。


 ぶっちゃけ、K室氏の狙いが真の愛なのか、それ以外の何かなのかはわからない。映画のように物語のエンディングの最後には、それが明らかになり、もしかすると悪が滅びて大団円となるかもしれないし、二人はいつまでも仲睦まじく暮らしましたとさ、な”めでたしめでたし”になるかもしれない。


 さあ、いよいよ核心に迫っていこう。某国の報道によると、エルサによく似た某国の妹君のほうが、民間から王室に嫁いだ母君に向かって

「“お母さんは結婚するときに納得した上で皇室に入ったのでしょう。でも、私とお姉ちゃんはちがう。生まれた時からここしか知らないのよ”」

とおっしゃったらしい。


 話はシンプルだ。妹君は、

「わたしたちは親ガチャを引かされたのだ」

と、主張しておられるのである!


 ムコガワは庶貧民なので、国費を膨大に投入していただきながら生かされる暮らしがどのようなものかは存じかねるのだが、まあおっしゃりたいことは理解し奉る。

 王家に生まれるということは、究極の親ガチャである。それは間違いない。


 ただし、である。姫君はそれは良しとしておられない。

 それが宇宙の上の、天照大神の目から見て公平に「良しなのか悪し」なのかは別にして、姫君の主観においては、

「あたしは、ハズレである」

とおっしゃっているわけだ。


 

……ふんげー!もんげー!どっひゃー!である。


 なにがどう「ふんげーでもんげー」なのかは、あえて説明しないが、つまり親ガチャとは、

「結果論や状態ではなく、究極の主観に過ぎない」

ということを示しているわけだ。


 その人がどんな状態にあろうが、どんなものを親によって結果的に入手していようが、「親ガチャ」を語るときは主観に過ぎない。

「あなたは得ているからアタリ」「あなたは得ていないからハズレ」というものでもなく、「あなたは幸福だからアタリ」「あなたは不幸だからハズレ」と認定できない代物なのだということが、わかるのである。


 だったら、ごちゃごちゃ言うことは無駄だ。すべては主観に過ぎないのだから。



 〜〜〜〜〜〜〜〜〜



  話はまだ終わらない。まだ彼のことが残っている。


 彼、そうK室氏……K室Kくんのことである。K室Kくんには母がいて、どうもその母も”あって七癖・なくて七癖”くらいある人らしい。なおかつK室Kくんは、その母を大変に愛しているということはビンビンと伝わってくる。

 どうもK室Kくんの言動が多少不可思議なのは、そもそもの原因はその母の影響を多分に受けているからのようで、その意味では、K室Kくんですら

「親ガチャ」

の影響下にあるということが、伺い知れる。

 このK室母という親ガチャ、他人であるムコガワから見れば、アタリなんだかハズレなんだかよくわからない。

 K室K君は、学問の才能や、コミュニケーションの才能、女性を口説く才能や海の王子な才能(?)があるらしい。すばらしいと思う。K室家のご両親のたまものだ。

 ところが、K室母にはなにがしか、どこかにお忘れになったような部分があって、それをいわゆる一般的な「常識」と言えばよいのか、「誠実さ」と言えばいいのか、なんとももどかしいのだが、もやもやするのである。


さあ、ここで賢明なる読者諸氏に尋ねたい。

「あなたは、K室母の子に生まれたかったか?」


というものすごい質問である!

 あなたのおかんが、K室母だったら、あなたにとってアタリなのかハズレなのか?ということだ。


 そりゃあ、まあ、いろんな感想があってしかるべきだろう。誰か人さまの子になる想定をして、それにアタリハズレの判定をするなんて、とても酷い話なので、そこから先は個人で楽しむだけにとどめてほしいが、しかし、忘れてはいけないことがある。

 K室Kくんにとっては、母上は

「大当たりもアタリで、愛する愛しい母上様であることは間違いない」

ということを!!

 ムコガワはこのことをとても尊重する。K室Kくんにとっては、そりゃあ愛する母なのは、当たり前だのクラッカーであることは誰にも否定できないのだ。


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 姫君の話しかり、K室Kくんの話しかり、よくよく考えてくると見えてくる結論は同じである。

 ああだからこう、こうだからああという話はムダなのだ、

「親ガチャとは、当人がどう思うかの主観」

以上でも以下でもないのだから。


 よく考えればわかる。ムコガワの時代にはビックリマンチョコというそれはもう恐ろしい代物があって、どんなシールが出るかは天のみぞ知るというお菓子だったのだが、

「何が出てほしいか」

は、結局のところ子供たちそれぞれによって違って当然であり、たとえレアキャラであっても「3枚もかぶってしまった」日にゃあ、取り替えの対象になるわけだ。つまり、渇望していたものでさえ、手放すことだってありうるという、かなーり恣意的な代物だったということなのである。

 親をどう思うかも、かなり恣意的で、他者から見ればあやふやな、介入するには「アブナイ」概念なのである。


 それが証拠に、「親ガチャにハズレて、自分は不幸だ」と言っているそこの女の子に、「君のおかあさんはダメ人間で、どうしようもないね」なんて言ってみるといい、なぜか烈火のごとく怒って、あなたが悪者になるに違いないからだ。

 つまり、親ガチャは、自分一人で楽しむものであって、他人にどうこう言われる筋合いのものでもないのである。


 だから、「親ガチャ」だ!と自分の人生について話している人がいるときは、見て見ぬふりをするのが一番なのである。あまり絡まないほうがいいのだ。

 絡んでしまうと、火の粉は自分に降りかかってくることになる。

 幸いなことに、どこかの国のプリンセスの話も、作曲家に似た王子の話も、私には関わりがない。

 多少、税金のほうをその分まけていただければ、と願うばかりである。


(ちゃんちゃん)


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