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【弱者とは何か02】弱者が持っていないモノとはなんだろう。

 日本における新型コロナウイルスの脅威は、まだまだ収束せず特に都市部ではいっそうの拡大傾向にあります。

 そんな中、老人や病を持っている人、あるいは経済力のない人など、いわゆる弱者が、今の状況でどんどん追い込まれていることは間違いのない状況だと思います。

 しかし、同時に、「お金を持っていてもウイルスには罹患する」し、一概に「持てる者」と「持たざる者」による被害の違いが説明しづらい事態になっている部分もあるかもしれません。

 前回は、たとえばという例として、「学校」における「弱者」について少しだけ紹介しました。今回は、それを膨らませながら、「弱者はいったい何を持っていないのか」について考えてみたいと思います。


 第1回の話で、進学校と呼ばれる学校に通っている生徒と、そうではなく逆に「教育困難校」と呼ばれる学校に通っている生徒を比較してみたところです。

 しかし、一概に「学歴がある者と学歴がない者」に差があるとも言いきれない部分があります。私も現場で驚いたのですが、「3年間びっちり休むことなく、授業に出席して、その結果高校の卒業証書を貰う」ということもできるし、「学校に出席するのは、全部で3週間程度で、その結果高校の卒業証書を貰う」ということもできるのだ、という事実があります。

 いわゆる通信制の高校では、ほとんど登校せず、文書(今ならオンラインでしょう)のやりとりだけでも卒業資格が得られるわけで、3年間ひいこら自転車を漕ぎながら登校する普通校の出身者から見ると、

「これで卒業証書の重みは同じなのか!」

と驚く場面に出くわすわけです。しかし、システム上、そのどちらも許されているのですから、高卒の資格自体に違いがあるわけではありません。


 日本は学歴社会と言われますが、それは一部では合っていますし、一部ではちょっとニュアンスが違います。実態としては「学校歴主義」とでもいいましょうか。「どこの学校を卒業したか」が最大限重視されています。

 けれども、それでも「高卒」よりは「通信制の大卒」のほうが、就職時などの待遇がよい、ということもあるかもしれません。

 いやいや、さらに逆転しますが、たとえば若くして青年が事故で亡くなった場合には、「どこの学校に通っているか」で将来獲得する予定だった賃金を損失として算出しますから、「灘高に通う男子生徒」のほうが、「夜学の大学に通う女子大生」のよりも、死亡保険金の貰える額が高い、ということが起きてきます。

 このあたりは大変難しい問題だと言えますね。


 話がどんどん逸れてゆきましたので、弱者が持っていないモノとは何なのかに戻りましょう。

 単純に表面だけを見ると、学校におけるランクづけでは、「教育困難校へ選別されて入ってきてしまう生徒には、学力がないのだ」というふうに見えてしまいます。

 しかし、逆に東大に合格できる子供たちの親の収入を見ると、「6割以上が、年収1000万」というデータがあります。つまり、学力もまた、家庭の持っている資金力と連動していることが、現在では明らかになってきているというわけです。

 こうして考えると、表面に「学力」として出てくる差は、実は「家庭の経済力や、親の教育力などに由来する」ということが見えてきます。勉強ができる「環境」や「その環境を得られる力や余裕のようなもの」までが、強者と弱者では異なるということが社会学の上では判明するようになってきているのです。

 そこで、強者と弱者を分ける「資本や資産」にはどのようなものがあるのかをざっくりまとめてみました。


■ お金に関わるもの

 → 給料、貯金、不動産、利子、印税など、継続して入ってくるお金とある程度蓄えられたまとまったお金。

■ 知識や技能に関わるもの

 → 学力、学歴、資格、職業経験、知能、知恵など。

■ 関係性や人間と関わるもの

 → 親や家族、親族、仲間やグループ、会社や組織など。帰属したり、相談できたり、支えてくれたりするもの。趣味などのつながりも含む。

■ 健康と身体に関わるもの

 → 肉体的な健康、精神の安定、怪我や病気などがないこと。


 大きく4つの面から「これを持っていれば強い」し、逆に「これを失うと弱い立場になる」というものを挙げています。

 全てを所有している人は、もちろん、人生で困ったことがあっても、乗り越える可能性が高くなります。また、一つや二つ足りない部分があったからといって、すぐに弱者になってしまうわけでもありません。

 しかし、これらのうちの多くを失ったり、入手できなければ、人は弱者になってしまう、とも言えるでしょう。

 たとえば、「家族の援助と自身の給料が少ない」とか「健康を害したために仕事を辞めざるを得なかった」などが相当します。

 逆に「身体に障害を持っているけれど、親が資産家」だとか「友達はほとんどいないけれど弁護士」とか、一部欠けているくらいでは、大きな問題にならない場合もありますね。


 これら4つのバランスが大事、というよりかは、「これらの要素をたくさんパズルのピースのように集めてゆくこと」が弱者を脱するためのヒントになるかもしれません。

 全ては入手できない人が多いと思いますが、それでも1つでも要素を増やしてゆくほうがいい、ということは、なんとなく言えそうです。


 そして、ここでちょっと立ち止まって考えてほしいのですが、上の4項目のそれぞれの要素のうち

「自動的に、あるいは偶然に外からやってきたり、天から降ってくるようなものはどれくらいあるだろうか」

ということを、思い描いてください。

 災害が起きたり、事故にあったりして「失うほう」が突然襲ってくることは、いくらでもあります。それを思い浮かべるのも、もちろん大切です。

 そして、逆に、「手に入れるほう」の要素で、どれだけのものが、突然あなたのもとにやってくることがあるでしょうか?

 ・・・それを考えると大きな事実に気がつくと思います。

「天から降ってくるような要素は、ほとんどない」

ということが、重要ポイントなのです!


 明日からあなたの知力がいきなり増大することもないでしょうし、資格が突然手に入ることもないでしょう。友達やグループが自然に生まれることもなさそうです。

 あなたがもし今健康であれば、それはすばらしい天からのプレゼントかもしれませんが、今病気の状態にある人は、明日突然治ったりはしないと思います。

 何か経験が沸いてくることもないし、親の人格が仏のように変わることもないでしょう。もし親のキャラが昨日と変わっているなら認知症を疑ったほうがいいくらいです。

 給料が倍増することはなさそうです。ただひとつだけ、超ラッキーであれば宝くじが当たって、現金が増えるということだけはあるかもしれません。


 こうして考えると、弱者であろうものが強者になるには

■ 短期的にはバクチしかない。(宝くじ?)

ということが判明しましたね!だから、パチンコにのめりこんでしまう弱者が多いのも、説明がつきます。バクチ以外では、短期での逆転が不可能だからです。


 それ以外の要素をじっくりどう考えてみても、「勝手に自動的に天からは降ってこない」ものばかりだとわかります。

 ということは、「弱者は悲しいけれど、要素を一つずつ、自らの力で入手してゆかねばならないのだ」という恐ろしい事実がわかってしまったということなのです。


 もっと残念なお知らせをしてしまいましょう。この記事を読んでいる人たちの中には、「弱者には行政や福祉の制度が必要なのではないか?」という意見を持っている人もたくさんいるでしょう。北欧の国々のように、「高福祉」政策を国がやってくれれば、弱者は少なくなるのではないか?という発想です。

 しかし、よくよく考えると、「天から降ってくるようなものである、政府や社会から施される福祉」にも限界があることがわかります。


■ お金はある程度自動的に与えられるかもしれない(生活保護やベーシックインカムなど)

■ 知能・知恵は政府でも与えられないので、せいぜい学歴や資格をとりやすくするサポートはできるかもしれない。奨学金など

■ 親や家族は政府にも変えられないけれど、組織やグループに属しやすい環境を手助けするくらいはできるかもしれない。

■ 健康そのものは与えられないのだが、病気になったときに健康を取り戻す取り組みに支援を加えることはできるかもしれない。健康保険や高額医療制度など。


といった具合です。つまり、こうして考えるとよくわかりますが、政府や福祉がやれることは「一部分をサポートする対処療法的なこと」だけであって、強者と弱者を分ける要素のひとつひとつをズバリ解決できたり、全部を修正できるわけではないということなのです。

 だから、弱者は政策や福祉の中でも、かならず全面的に満足のいく結果は得られません。そこを勘違いすると、ずっと「政府や福祉に不満を抱きながら、永遠に弱者のままでいる」ハメになってしまうわけですね。

 天から降ってきて解決できるものは限られているし、少ない

ということを理解できれば、根本的には「政策や福祉に完全な解決はできない」ということもわかってくると思います。


 それでは、次回は、弱者が強者になるためには、具体的にはどうすればいいのかを考えてゆきましょう。


 

 



 



 

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