出逢いはスローモーション

 極私的嗜好によるnote内のお気に入り小説について。
 飽くまで好みだけに基づいた素人の食べ歩きブログみたいなもんです。頓珍漢なことも言っているかと思いますが何卒御容赦のほど。
 リンクは貼りませんので気になったら検索してみてくださいませ。

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<近況(書くことに纏わる)>
「知らんけど」が今年の流行語だそう。元から使う関西人としてはやや複雑。
 さておき。漢字の好き嫌いってないだろうか。
 漢字のもつ意味がどうとか以前の、単純なビジュアル面の好き嫌いというのが、このところ激しい。
「この漢字使いたくないなぁ」と、ちょっと読み辛くなるけど平仮名にしたり、その漢字を使わず済む別の表現を考えたりする。それで好きな字が見つかると嬉しかったり。
「吝嗇」って二字熟語の、まるでアールデコのインテリアみたいな形が凄く好きなのだが、意味がまさかの「ケチ」……でもいつか使ってみたい。いややっぱり無理? 知らんけど。

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◆めい『ワシントン広場』
 noteでは基本的に小説しか読まないのだが。
「私が知っているワシントン広場は、もうどこにもありません」
 めいさんの幼き日の思い出だけに映る「ワシントン広場」は、読み手側の現実での「そういうの、あるある」というフックに引っ掛かったかと思えば、スルリすり抜けてゆきアリスやモモが佇む又は暴れるような、ステレオタイプを蹴っ飛ばした幻想空間にも化けてしまう。なんと心地の好い二面性。
 添えられた楽曲『ワシントン広場の夜はふけて』も味わい深い。
 ところで、私は夢に小学校の同級生を見ることが時々あるが、みんなおなじ目線の大人になっていて(そんな姿知らないのに)違和感がない。齢を超越してくるあの魔法は一体何だろう。

◆ばしゃうま亭残務『この物語はフィクソンです』
 あぁあこのむず痒い感じ。思春期特有の心身ともに狭苦しい環境、たまたま物理的距離が近かっただけでほぼ意味を成さない、それでいて時折ヘンに善くも悪くも血が通う関係。痒い。孫の手をくれ。
 そんなリアリティーに満ちた描写に唸っていたら、後半大人になってからの展開がまた変化球で面白い。「フィクソン」が、中身は何ら変ってないかもしれないのに、焙煎されたような、ともすれば魅惑的な風情となってゆく。私は孫の手を握りつつ、結末の描かれぬ先の先まで目を凝らしてしまう。

◆無名人インタビュー『絵』
 お馴染み無名人インタビュー主催のqbcさんは、昨年まではインタビューと並行して掌篇を書いていらした。それもかなりの数。
 はぐらかすように、半ば詩のように話を造形してゆくテクニックに「え、え、何?」とまんまと惹き込まれてしまう。わりと過激な場面がふいに出ても、周りを枯らしながらしれっと咲く美しい花とか高層ビルのモダンな非常階段みたいに感ぜられる。
 この話の「絵の女」にびっくりした。具体的な描写は皆無で、ちょっとのセリフや周囲の反応だけで造形されていると言って良いが、昔の文豪が幻影みたいにそれでいて生臭く彫るような像が浮んできて、ぞわっとした。

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