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2010年のレバノン -ベイルート①-

 2010年の9月、レバノンへ行った。レバノン杉を見るために。船会社を辞めて、大学に社会人入学した1年の夏休みだった。

 小学生の頃から地図帳を見るのが好きだった。地図帳の、後ろの方にはだいたい国旗一覧が載っている。
 その中で、真ん中に木のシルエットが描かれたレバノンの国旗が、なんとなく気になっていた。
 大人になるまでの間、今のようにスマホで何でも検索できるということはなかった。旅番組やクイズ番組で、レバノンが取り上げられることは、当時も今もほとんど無い。
 そのおかげで、レバノンと国旗の木がなんとなく気になったままだった。もちろん、2010年になるまでには、その木がレバノン杉であることや、古代フェニキア人が船を造るのに使ったというようなことぐらいは、図書館なんかで調べて知ってはいたけれど。
 国旗に描かれるほどの木を自分の目で見てみたいという思いは無くならなかった。
 少し検索して何でも知った気分になれるような時代を過ごさずに大人になったことは、かなり幸運だったと思う。

 ベイルートで泊まった宿は、にぎやかな通りに面し、アパートの一部を宿としても提供しているといった感じの宿だった。
 もはや名前は覚えていないが、宿が一応ホテルと名乗っていたことは覚えている。
 1泊20USドル。ベイルートの中心街では最安の部類だ。ホステルのドミトリーはもう少し安かったかもしれないが、旅先では1人で部屋に泊まりたいので、基本的にそういうところには泊まらない。

部屋

 バルコニーへのガラス戸はひび割れ、カーテンは破れてボロ布が垂れ下がっているという風情だった。
 部屋の電灯は点かない。正しくは、そもそもソケットに電球が付いていなかった。しかし、賑やかな通りに面しているため、夜でも室内が真っ暗というわけではなかった。
 バスルームは、シャワーの横に西洋式の便器はあるが、便座は無かった。だからといって、それで困ったということもなかった。
 シャワーのお湯はもちろん出なかった。

バスルーム。この右に便座の無い洋式便器。

 部屋はボロボロだったが、ベッドのシーツや枕だけはわりときれいだと思った。あるいは部屋があんまりだったので、きれいに思えたのかもしれない。

バルコニーから通りを見下ろす

 ここに都合3泊ぐらいしたと思う。

 夜、バルコニーに出て下の通りを眺めていた時、隣の部屋のバルコニーにも人が出て来たことがあった。
 隣国のジョルダンからビジネスで来たという青年だった。ポツリポツリポツリと何でもない話をしたが、内容は覚えていない。ただ、そういう時間はなんとなく素敵だった。
 
 1階は薄暗いロビーと、小さなカフェ・バーがあり、確かシリア人だったと思うが優しくて愛想のいい男性スタッフがいた。
 一度夕方に戻った時に、彼はちょうど何かを食べていた。シリア人の女性もいた。男性スタッフから「一緒に食べるかい?」と言われ、初め丁重に断ったものの、「遠慮するなよ」ということで食べていたものを分けてくれた。物欲しそうに見ていたわけではないが、そうするのが当然といった感じだった。あるいは、おそらく初めて出会ったであろう日本人と少し話をしてみたかったのかもしれない。
 2人のシリア人から日本のことをいろいろ聞かれ、それに答えるという会話だったはずだ。何を食べたかは思い出せないが、おいしかった記憶がある。

 
 これまでに行った旅のことを、備忘録的に書き留めておこうと思う。すっかり忘れ去ってしまう前に。そういうことを思うのは、まあ、歳を取ったということか。


Google Street(撮影日2017年)にまだあった。PLAZA HOTELの右隣が当時泊まった宿。


Google Street(撮影日2017年)から。エントランス、変わっていない。


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