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個人的ハロー!ヒストリー

はじめまして、むっかーと申します。
こちらではひたすら『ハロー!プロジェクト』所謂『ハロプロ』に関しての記事を思い付くままに、愛を込めて発信したいと思います。

以前、別アカウントで以下の記事を書きました。


思った以上にたくさんの方に読んでいただけて嬉しい!と同時にだいぶハロヲタ濃度が高く、今までのアカウントで同様の記事を書くと、ハロプロ好きじゃない方おいてけぼりかな、と思い専用アカウントを作ることにしました。
なので、遠慮なく!濃く書いていきたいなと思っています。ハロヲタさんは熱量がすごい方ばかりなので、鼻で笑われちゃうかもしれませんが…。

今回は初めてなので、むっかーとハロプロのこれまでを書いておこうと思います。

①ハロプロとの出会い

なんだかんだで20年もハロプロ好きで生きています。人生を振り返るとどの時代にもハロプロがついてきます。ハロコンでクラシックコーナーに突入すると『あー、この時は受験勉強必死だったなー』とか『あの公園で遊んだなー』とか自分の人生も一緒に振り返る事が出来ます。それぐらい身近なものなんだけど、出会いは本人じゃなくてカバー。しかもコント。


90年代後半に放送されていた【ウッチャンナンチャンのウリナリ!】というテレビ番組がありまして、当時大人気でした。あの時代を生きていた方は【ウリナリ】という言葉、聞き覚えがあるんじゃないかな?当時小学生だったむっかーも大好きで欠かさず見ていました。その番組のコントで【モーニング息子。】というモーニング娘。のパロディーユニットが登場します。メンバーはウッチャンナンチャン、よゐこ、キャイ~ンら今ではベテラン芸人の皆様で構成されていました。めっちゃ男前で体育会系な割に歌い始めるとかわいい、そのギャップが面白くて大好きだったんです。そこで歌っていたのがモーニング娘。の【抱いて HOLD ON ME!】


コントが放送される度に流れるこの曲がいつの間にか好きになっていました。そののち、遂に本家モーニング娘。版をテレビで見ます。そこでコントに負けずインパクトがあったのが、

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初代メンバー・飯田圭織さんの代名詞『ねぇ 笑って』

当時の歌番組『うたばん』でMCの石橋貴明さんにも「あれじゃ笑えねぇよ!」と散々突っ込まれていましたが、印象的なセリフと表情にハマり、本家モーニング娘。も好きになりました。ここから、多くの同世代が辿ったであろう、ラブマからのハロプロ沼にはまっていくのです…。

②『ふるさと』惨敗からの『LOVEマシーン』大ヒット

本家モーニング娘。も好きになりましたが、まだ『ちょっと好き』程度。【抱いて~】以降に発売された【Memory 青春の光】【真夏の光線】も聞いたけど、正直そこまでハマりませんでした。
そんな興味が薄れかけていた1999年の夏休み、モーニング娘。誕生のきっかけとなった【ASAYAN】を初めて見ます。地方ではこのASAYANが昼間に放送されていたので、夏休みの暇潰しに見ていました。

その頃、モーニング娘。6th シングル【ふるさと】と、同じASAYAN出身者である鈴木あみさんの7thシングル【BE TOGETHER】のシングル同時発売対決が放送されていました。今思うとなかなかハードな企画だなぁと…。


結果、鈴木あみさんはオリコン初登場1位、モーニング娘。は5位。発表直後、険しい表情を見せるメンバーの様子は幼い自分にも衝撃的でした。鈴木あみさんはモーニング娘。を始め、並み居る強豪を抑えての1位なので大喜び。まさに天国と地獄。これを見ちゃうと、次の展開が気になってしょうがない。気がつけば毎週の放送が待ち遠しくなっていました。そしてやってきた展開が【モーニング娘。3期メンバーオーディション】。このオーディションを経て、その夏の後半に加入が決まったのが、現在でもレジェンドメンバーとして知られている後藤真希さん。

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まだまだメンバーの顔と名前が一致しない、なんとなく好き程度の小学生にもインパクトを与えた後藤さんの加入。当時の大人はもっと衝撃的だったんだろうな…。

後藤さん加入後初のシングル【LOVEマシーン
言わずもがな、グループ最大のヒット曲。発売から20年経った今でも代表曲です。


『対決で惨敗→新メンバー登場→新曲大ヒット』というドラマチックな展開はホントに楽しくて、色んな所で曲が流れている、色んな人が「日本の未来は~」と歌っている。自分の事じゃないのに、すごく誇らしくて嬉しかったです。

③ハロプロ沼にはまっていく日々

LOVEマシーンのヒット後、モーニング娘。周辺はどんどん賑やかになっていきます。直後に結成されたグループ内ユニット【プッチモニ】。同じくASAYANで総特集され、レコーディング、特訓合宿、体調不良でピンチ…。これまた応援せずにはいられない。落ち着いたと思ったら初期メンバー・石黒彩さんの脱退で大騒ぎ。1999年後半は完全にモー娘。大好き人間と化しました。そこからハロプロ全体を好きになっていくきっかけが、2000年の【シャッフルユニット】。

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ハロプロ所属メンバーを総シャッフルして、3つのユニットを結成。シングルは同時発売。ASAYANで突如発表されて、テレビに映るメンバーは大混乱。見ている側も大混乱。当時まだネットもそこまで発達していなかったので、ホントにテレビで見て初めて知る、状態でした。ネタバレもリークもないから、純粋に大混乱できたなぁと思います。毎週大特集され、顔合わせ、ジャケット撮影、レコーディング、ダンスレッスン、MV撮影…。初めてビデオに録画したのはシャッフルユニットのMVだったことを覚えています。これをきっかけにモーニング娘。以外にも、平家みちよさん、太陽とシスコムーン、ココナッツ娘。といったハロプロメンバーを知り、チェックするようになります。まさに思う壺(笑)

④国民的アイドル時代

シャッフルユニット後、モーニング娘。に4期メンバーが加入。当時の自分達とそう年齢が変わらない、辻希美さん、加護亜依さんの加入は衝撃的で、更に身近なものになっていきました。この時期はまさに黄金期。どんなちっちゃな情報でもニュース番組で取り扱われ、1時間番組の内、出演時間が15分程度でも新聞のラテ欄には目玉として書かれる。メンバーの名前は言えて当たり前。そんな時代でした。さらに自分達世代に大きく影響を与えたのがミニモニ。

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子ども向け番組「おはスタ」に出ていたり、アニメや漫画になったりハム太郎とコラボしたり…。当時の子ども達のアイドルと言えばミニモニ。でした。女子は辻ちゃん加護ちゃんの真似をして2つ結びやお団子にボンボンを付けてましたね。


③ハロマゲドンと興味を失っていく周囲

2002年前半辺りまで、当時の学校でも話題にのぼることが多かったモーニング娘。ですが、だんだんその数も減っていきます。きっかけはこの2002年夏に行われたハロプロ構造改革『ハロマゲドン』。
すっかりハロヲタになっていた自分はココナッツ娘。とかメロン記念日とか出てきてもついていけていましたが、なんとなく好きだった人達はこの辺で脱落。みんなの興味関心が薄れていく様を肌で感じました。ホントに話題に上がらなくなったし、曲もよく分からないと言われたり…。同世代だと『そうだ!We're ALIVE』までは大体みんな分かってくれるけど、ハロマゲドンの時期に発売された『Do it!Now』から知らない人も多いです。


一方、逆にこの時期から知名度を上げていった方もいます。あややこと松浦亜弥さん。


モーニング娘。の全盛期が2002年ぐらいまでならば、 松浦さんの全盛期は2002年以降。実はオリコン1位もとってはいないし、ミリオンヒットがある訳ではないのですが、それを必要としない十分な人気を持っていました。『CM女王』と呼ばれ、午後の紅茶、ティセラ、プリッツ、ぷよぷよ、パピコ、U.F.O焼きそば…。CMソングに使われた「♡桃色片想い♡」や「ね~え?」は曲を聴くとあー!ってなるのでは?

あやや様が居たので、ハロプロとしては安泰。何だかんだ音楽番組では盛り上げ役として重宝されていたと思います。

④涙が止まらない期

あややはCM、ドラマ主演、初のアリーナ公演と大忙し。一方モーニング娘。は主力メンバーが次々と卒業。卒業後は後藤真希さん、安倍なつみさんを中心に各々の新たなフィールドで活躍しハロプロの世界は広がっていきましたが、モーニング娘。は戦力ダウン状態。2004年、辻加護コンビが卒業し、12人になったモーニング娘。は歌番組でLOVEマシーンを披露。当時と同じド派手なコートを身に纏い、盛り上がってはいましたが、何か違う。と思ってしまったのです。というのも、この時点でラブマリリース当時のメンバーは飯田さんと矢口真里さんのみ。それ以外は発売後に加入したメンバーです。強烈なインパクトを与えた後藤真希さんも絶対的センターの安倍なつみさんもいない。リリース後の加入だけど、モー娘。のわちゃわちゃ感の象徴、辻ちゃん加護ちゃんもいない。モーニング娘。だけど、何か違うグループになっちゃった気がして寂しくなりました。(今当時の映像を見ると全然そんなことないんだけど。)

そんな時期にリリースされたのが『涙が止まらない放課後』。5期メンバー・紺野あさ美さん&6期メンバー・道重さゆみさんがセンター、一部メンバーは歌割なし、ミディアムテンポで、ひたすらカワイイ直球アイドル歌謡曲。これまでのモーニング娘。イメージを覆す新たな展開。この時期は年末に向けて毎年盛り上がる曲をリリースしてきていたので、初披露時はとにかくビックリしました。


これもまた今聴くとかわいくて好きなんだけど、当時はどうした!??ってめっちゃ思いました。迷走期として『涙が止まらない期』扱いだからみんなそう思ってたんだろうね…。
とにかくファンですらポカーンだったので、そうじゃない人はもっと何だこれ状態だったと思います。
前作の『女子かしまし物語』までCDを買っていましたが、遂にレンタルで済ませる様になってしまいました…。
2005年も『THEマンパワー!!!』『大阪 恋の歌』『色っぽい じれったい』『直感2~逃した魚は大きいぞ!~』と続々シングルをリリースしましたが、タイトルだけみても分かるぐらい、モー娘。何かよく分からん事になってるぞって感じでした。特に最初と最後の曲。でも去年の秋ツアーで超久々に直感2が披露されてめっちゃ嬉しかったりする。

2004年はアイドル全開だった安倍なつみさん、後藤真希さん、松浦亜弥さん。所謂『後浦なつみ』さんもバラードや大人っぽい曲が増え、ハロプロ自体にも変化が訪れていました。個人的には丁度受験生で、テレビもなかなか見れなかった時期。ネットはあれど動画配信環境は今ほど整っていなかったので、以前ほどハロプロ曲を聴く機会が減り、ファンとしても涙が止まらない期でした。

⑤新世代の登場

無事受験が終わり、ようやくテレビが満足に見れる様になった頃、モーニング娘。がちょうど29枚目のシングル『SEXY BOY~そよ風に寄り添って~』をリリース。久々にキャッチーで盛り上がる曲でどハマりし、再び前線に復帰。あんまり売れなかったのがすごく悔しかった…。


前線に復帰後はハロプロ全体よりもモーニング娘。メインに応援していました。そんな頃のハロコン
Hello!Project 2006 summer~ワンダフルハーツランド~』を見て、また新しい好きを見つけてしまいました。Berryz工房℃-ute月島きらり starring 久住小春(モーニング娘。)の3組。
それまでは年下だし、子どもっぽいし…と全く興味を持っていなかったのですが、この時のハロコンを見て一気に印象が変わりました。みんな大人になってる!と。


すでに成人しているモーニング娘。リーダー・よっすぃーと美勇伝・みーよと並んでも何の違和感のない熊井ちゃんと舞美ちゃんに衝撃を受けた、『印象派 ルノアールのように』

それからは曲を過去の曲を聴く機会も増え、一気にこの新世代組にハマっていきました。2007年のBerryz工房さいたまスーパーアリーナ単独公演、℃-uteレコード大賞最優秀新人賞、モーニング娘。も合わせて紅白歌合戦出場はとても嬉しかった!

⑥Perfume、AKB48、ももクロ、アイドル戦国時代。

2008年頭までの女性アイドルはハロプロ一人勝ち状態。あとはベリキューがブレイクしてくれれば…と願っていたのですが、次第に状況が変化。まず、Perfumeが登場。分かりやすい曲、キャラクター。完成された世界観とパフォーマンスで一気にブレイク。こっちがもがいている内にあれよあれよと売れていきました。この年には遂にハロプロが紅白歌合戦から落選し、Perfumeが初出場。すごく悔しかった当時『ポリリズム』や『Dream Fighter』が周りでも流行ってましたが、意地でも聴きませんでした…。ごめんなさい…。
更に次の2009年。今度はAKB48が大ブレイク。当時自民党から民主党に政権交代したことにかけて、『アイドルも政権交代』とか言われてこれもまた悔しかった。やっぱり『RIVER』とか『ヘビーローテーション』とか意地でも聴きたくありませんでした。ごめんなさい…。悔しいけどPerfumeさんもAKB48さんもめっちゃ素敵で、だからこそ悔しいハロヲタの苦悩。
ハロプロはハロプロでモーニング娘。は所謂プラチナ期。キャッチーではないけど、大人っぽくカッコいい楽曲は大好きでした。うちはパフォーマンスだから!とか思ってました。
追い打ちをかけるように今度は『ももいろクローバー』もやって来て、アイドル戦国時代とか言われ…。ハロプロ一強時代を生き、それが好きだった自分にとってはホントに悔しい時期でした。

⑦逆襲の時!?

アイドル戦国時代でダメージを受けた一方、追い風もありました。2007年以降、なかなか注目してもらえなかった℃-uteがそのパフォーマンスで話題を集め始め、2013年には武道館公演を達成。この時はあぁ、遂に来たか…。と、応援してきて良かったなぁと心から思えました。そして、モーニング娘。2013年に『Help me! ! 』でオリコン1位。その後も連続で1位になって、テレビにもまたたくさん出てくる様になって…。悔しい時代があったからこそ痛快でした。モーニング娘。や℃-uteの話題を出しても分かって貰える時代がくるのが嬉しかった!


⑧再び世代交代の時

長くハロヲタをやってきた中で、たくさんの新メンバーが入り、新しい道を見つけて早い段階で卒業していくメンバーをたくさん見てきました。その中でもずっと現役ハロプロメンバーでいてくれた、モーニング娘。6期メンバーの道重さゆみさん、Berryz工房。初めて見た時は小学生だった自分も社会人。自分の歴史の大部分に皆がいました。そんな皆が卒業。心にぽっかりと穴が空いたような気分。それでも℃-uteが、カントリー・ガールズのプレイングマネージャーとして残ってくれたももちこと嗣永桃子さんがいてくれたのでまだまだハロヲタを続けることができました。でもそれは長くは続かない。後を追うように2017年に℃-ute とももちがハロプロを卒業。自分の半身を失った気分。思っていた以上にロスがやってきてしまいました。でも、その卒コンのオープニングアクトで1番の新人であるつばきファクトリーを見た時、『まだまだハロプロいける!!』と思いました。


当時最も新人ながらサンライズジャンプで会場を盛り上げてくれて感動。

⑨そして今

2020年、コロナウィルスにより、ハロプロを取り巻く環境は激変。醍醐味であるコンサートの形態も全く新しいものへの変更を余儀無くされ、活動もSNSやyoutubeを中心としたものになりました。でも、そんな中で負けずに活動を続けるハロプロにとても元気を貰っています。いつかまた、ハロプロ曲で盛り上がるメンバーを見れる時まで、ずっと応援していきたいなと思います!


流石に20年近くの歴史を辿るのは大変でした(笑)
曲の事とか、メンバーの事とか、思い出話とかこれからたくさん書いて、とにかくハロプロの良さを伝えたいと思うので、気になった方はぜひ仲良くして下さると嬉しいです!最後までありがとうございました!!

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