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フロ読 vol.19 ウンベルト・マトゥラーナ フランシスコ・バレーラ 『知慧の樹』 ちくま学芸文庫

哲学とか宗教とかを語っていると、ふっと我にかえる時がある。
 
曰く、「脳は脳を語れない」。曰く、「語れないことこそが本質だ」。曰く、「環世界」。曰く、「色即是空」。そう。我々が「こうなはず」と語っていることはただの認識。それがそのまま世界を写し取れているかは甚だギモン。
 
そんな時、ふっと科学に触れたくなる。いや、分かってます。科学もまた、「科学的=世界の客観視」という思い込みに囚われる限り、哲学の一種でしかないよね。
 
でもね、物事の真理を見極めたいというのであれば、ここから水掛け論にも等しい無限討議に到るけど、ここはどちらかというと「湯あみ論」たるフロ読。気軽に読みたくなったものを持ち寄るのみだ。
 
てなわけで本書。マトゥラーナ、バレラのコンビと言えば、生物学から社会システムまで貫く共通のシステムとしてオートポイエーシス理論を提唱した、南米の素敵なお二人。
 
しょっぱなから面白そう。

色はものの属性ではない。色はそれを見ているぼくらの構造と切り離すことができない。

うんうん、良い感じ。
 
序文が浅田彰。こちらも最初からすごい。オートポイエーシスについて、

形なき物質に出来合いのパターン(情報)を押しつけることで秩序を形成し、ネガティヴ・フィードバックによって安定的に制御していくという〈他律〉の構図に代わって、ゆらぎをはらんだ物質の広がりのなかからポジティヴ・フィードバックを通じて自ずと秩序が形成され、ダイナミックに変容していくという〈自律〉の構図が前面に浮かび上がってきたのである。

う~ん、難しい。私の理解では「われわれは外部の影響でゆらぐのではなくて、実は自分の内部のゆらぎで調律している」。つまり、「何でも他人のせいにしちゃダメ」という教訓? もちろんそこには外部の影響に対する内部の反応としてのゆらぎがあるはずだが、それは多分、仏教でいうところの縁起の問題。
 
多分ね。多様性を認識に入れた人間の文化が持続可能になるためには、みんながそれぞれのゆらぎと調律を信じなきゃあかんのよ。そのリズムが「正しいのはこれ」とか決めつけられた時点で何かが狂う。それを忘れている瞬間が哲学や宗教には多々見られる。
 
フロの中で考えるのに「何が正しいか」はあまり要らなくて、「どう考えたら楽しいか」が最重要。第一章「〈いかにして知るのか〉を知る」はまことに楽しい読書でした。
 
目を閉じて何も視えず、寂しくて目を開ければ、湯舟が視えたとしてもそれを湯舟と証するものはなし。経験世界を目いっぱい楽しんで、たまに世界の生成なんぞに思いをめぐらすくらいが私にはちょうどいい。
 
科学的見地から心底、認識のあり方を楽しんでいるのがよく分かる本。科学に対する真摯な態度と無邪気さが、ほどよい温もりを与えてくれます。急に冷えて来たここ2、3日にピッタリのフロ読でした。

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