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フロ読 vol.30 サン=テグジュペリ 『星の王子さま』 岩波文庫

ブックオフにて220円で購入。絵も頁もすごく綺麗で状態が良い。思わず栞も金色の鉄製のものを使って瀟洒なものにする。
 
小生意気な「あの花」の愛し方が分からなかった王子は、花と別れて他の星を見に行きます。様々な星に失望、退屈し、七番目に辿り着いた地球は、どの星よりも大きいものでした。

百十一人の王さまと、七千人の地理学者と、九十万人の実業屋と、七百五十万人の呑んだくれと、三億一千一百万人のうぬぼれ、つまり、かれこれ二十億人のおとながすんでいるわけです。

数字の列挙に加えて、「つまり」のパンチが効いている。なんとくだらない星があったものだろう。今までの星にはおとなが一人で住んでいた。一人でいる分には、奇妙ではあるけれども、だれにも迷惑をかけてはいなかった。小さな悲喜劇があるだけだった。しかし、周囲の無辜の民を巻き込む悲劇は惨に過ぎるし、喜劇も規模が大きすぎれば笑えまい。
 
それぞれが一人でいる分には、そこにいくぶんかのあはれがあるだけだ。

子どもはおとなの人をうんと大目に見てやらなくてはならないのです。

なぜなら、

「みんなは、特急列車に乗りこむけど、いまではもう、なにをさがしてるのか、わからなくなってる。だからみんなは、そわそわしたり、どうどうめぐりなんかしてるんだよ……」

「きみの住んでるとこの人たちったら、おなじ一つの庭で、バラの花を五千も作ってるけど、……じぶんたちがなにがほしいのか、わからずにいるんだ」と、王子さまがいいました。
 「うん、わからずにいる……」と、ぼくは答えました。
 「だけど、さがしてるものは、たった一つのバラの花のなかにだって、すこしの水にだって、あるんだがなあ……」
 「そうだとも」と、ぼくは答えました。
 すると、王子さまが、またつづけていいました。
 「だけど、目では、なにもみえないよ。心でさがさないとね」

命令だとか統計だとか実績だとか一時の快楽だとか承認だとか。現象を捉えて分かった気になる虚しさ。この虚無を抱えているおとなが、不可視の本質と向き合う子どもをどれだけ潰して来ただろう。冒頭の「うわばみ」のエピソードが、最後までわれわれ「おとな」に現実をつきつけてくる。
 
TEDの植松努氏の「思うは招く」にあった、他人を潰す言葉。「どーせむり」を想起せざるを得ない。

「冒険」とは、上記の虚無など無い世界へ自分を誘うものなのかもしれない。こんなアプローチで冒険を語った本は他にあるだろうか? 管見かも知れないが、サン=テグジュペリが特級の冒険者であることには疑いの余地がないだろう。
 
深いため息なくこれを読めた年齢でこれを読みたかった。いや、子どもには自明すぎて何の感懐もあるまい。そう気づいて今一度ため息をつく。王子さまと別れたのは「ぼく」だけではなかった…。

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