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VS書三代ガクト用・ICOメモ

書三代ガクトさんに御呼ばれして、宮部みゆき先生の小説「ICO」について語ってきました。
凄く楽しみなコラボだったのですが、同時に胃が痛くなるコラボでもあります。だって、私、文芸系Vtuberじゃないんですよ!!!

とはいえ、ここ最近の私の目標は「ちゃんと言葉を尽くすこと」。結果、その言葉が間違ったものであったとしても。ちゃんと言葉にする努力はしていこうというものです。だったら当たって砕けろの精神で、語ってみようじゃありませんか。

…改めてアーカイブを見るのが怖いですね。熱に浮かされたように語ってはいますが、いかんせん知識が古いです。アップデートもされていないのできちんと宮部みゆき先生を追えている方にとっては誤りも多くみられるかと思います。

とはいえ、楽しい時間でした。是非、アーカイブを皆さん見てください。共感できなくても良いと思います。あなたの感想の呼び水になれば幸いです。

で、ですね。今回、きちんと語るようにレジュメ、というか散文的なメモ書きを事前に用意してコラボに挑んでいました。なんだかゼミの発表会の気分です。でも、記憶違いとかあやふやなままで語るよりは良いかな……なんて思いながら。

折角なので、メモ書きをここに投稿しておきます。ICOを読み返しながら、PCに向かって入力した文章なので非常に読みづらいかと思いますが、私が事前に用意した内容をどれだけ話せて、何を話せなくて…読んでいる最中に何を思っていたのか。アーカイブのツマ程度にご笑覧いただければと思います。



以下、小説版、およびゲーム版の「ICO」に関するネタバレが含まれますのでご注意ください。










ICOメモ


ゲーム女としての宮部みゆき

■ ブレイブストーリー(2002年)
王道ファンタジー。ゲーム好きな少年がゲーム世界のような異世界へ。異世界での冒険を経て現実世界に戻る成長譚。

■ ICO
2004年6月講談社より発行。週刊現代に2002年5月~2003年5月の足掛け一年にわたって連載。

■ ほぼ同時期、幻想水滸伝3のプレイ日記を同ゲーム公式サイトにて発表。何年だっけ?

■ ドリームバスター(2001~2007)

■ ここはボツコニアン(2012~2015)

今回の副読本 「ゲームの話をしよう 第3集」永田奏大(ながたやすひろ) 2005年8月

ネットワークゲームと宮部みゆき

『生身の人間と例え疑似空間を通してでも一緒にやんなきゃなんないネットワークゲームは興味持てないんですよ。極端にいうと「私の物語は私だけのものだ」って思っちゃうんですよね。』(引用元:「ゲームの話をしよう 第3集」より)

イコの自我を極力抑えて描写したのはこれを大切にしたかったのかも


ゲームとしてのICOにおけるイコとヨルダと…プレイヤーの関係性

ゲームは、必要最低限のことしか語らず。ゲームを越えた表現を目指したと言うだけあって、ゲーム的なUIも極力排しており、映像作品としての完成度も高い
実際は非常にゲームらしいゲーム。「手をつなぐ」というワンアクションに特化したアドベンチャーゲーム。言葉の通じないヨルダは、コミュニケーションもとれない上に走ればつまづく、勝手に止まる、あらぬところに歩き出す……といった足手まとい。なので、物語構造としては「嫌われ物」
しかし、「手をつなぐ」というアクションそのもののエモさ、ゲーム内で演出によって作られた雰囲気に加え、彼女はゲームにおいて「ライフ」であり「セーブポイント」というゲーム上プレイヤーにとっても非常な大きな役割を担う。

プレイヤーとって、プレイアブル・キャラクターはイコだが、同時にヨルダもまたプレイヤーに大きく根付いたキャラクターという点でプレイヤーキャラクターと言える。ゲームにおける別々のルールを担う(戦う・走るなどを担うイコとライフなどを担うヨルダ)という意味では、プレイヤーは否が応でも彼女と一心同体であり、それゆえに自然と感情移入していく。

プレイヤーはプレイヤーキャラクターを嫌いにならないって最近どなたかのツイッターで見た。

ヨルダとの関係を言葉を使わずに深めていくのは、インタラクティブメディアのゲームならでは。
つまり、作品として魅せるにあたってのアプローチは非常にゲーム的。というか、むしろゲームと言うメディアに対する信頼が制作者に強くあったからこそ成立した作品といえるのではないか。

小説版ICOあれこれ


「お前はイコに魅せられているようだ。だが、忘れてはならない。ニエの子があんなにも純真で優しく可愛らしいのは、あれはヒトではなく、したがって魂が虚(うろ)であるからだ。虚には悪しきものは宿らぬ。虚は愛を吸い込み、吸い込んだのと同じだけ、それを与えた者へとまた投げ返す。だからニエの子を愛することは、それを育てるものにとっては格別に容易で心地よいのだ」

この台詞はとてもゲームを意識している気がする。プレイヤーに感情移入しやすいようにゲームのイコは(ドラクエの主人公などと比べて、台詞はあるものの)極力個性を感じさせない。

「ニエは生まれながらにして敵の虜囚であり、しかしながら神の戦士であり、神の敵を封じるための要石でもある。ニエはヒトの形こそしているが、その本性はヒトではなく、戦う神の指先なのだ」

神=プレイヤー 指先→コントローラー か。


第二章 2節 までは独自ストーリー。
光輝の書と衣の御印。太陽神に闇の魔神。ファンタジーの王道的要素。これらはオリジナルだがここらへんに宮部みゆき先生のファンタジーに対する嗜好が見て取れる気がする。

ここからしばらくは、かなり実際(ゲーム中)の霧の城の描写に準拠。リプレイ小説、と言ってもいいくらい。これは、イコの視点だから?

ヨルダ編(過去)で霧の城での出来事を描き、虚であった霧の城に命を埋めていく。城も一つのキャラクターとして見ている感じ(過去編も実際にゲーム内で登場する施設にスポットがあてられて語られる。墓所、闘技場…)

門から脱出しようとするも、門を閉じられた挙句「ここから立ち去るがいい!」と言う女王。お前が、門閉じたんやろがい!!
宮部みゆき先生のここのフォローはちょっとクスリとしてしまう。


第三章はヨルダ視点(ゲームでは2週目からヨルダの言ってる台詞が分かるようになるけれど、詳細は分からない)

四体の像は封印の像→「そうだったの!?」
ここから宮部みゆき的解釈が入っていくことになる。

霧の城は、ヨルダの目覚めと共に時を刻み、朽ち果てようとしている。
ヨルダは時の器、城はヨルダの器。ヨルダに時を内包して閉じ込めることで城は永遠を得ていた。

異形の者「懇願」「哀訴」
ニエはヨルダを生かすために捧げられた。対価としてニエ(黒い影)はヨルダを求める。
霧の城は呪縛の器。女王はニエを虐げ、ニエは女王の城を徘徊し、女王の求めるヨルダをニエの元へ封じ留める


なぜ、ヨルダは影に強く抵抗しないのか → 異形の者の感情。本来彼らこそ正しいのだという諦念。

ヨルダの過去は完全にオリジナル。
オズマ…ザグレダ・ソル神聖帝国の騎士。イコの遠い祖先にあたる。オズマの剣には光輝の書と言葉が刻まれているため、退魔の効果がある。現在は、船着き場にある(封印の石像の封印を解くカギとして使われている)


しきたりの真実…オズマを深く憎んだ女王がオズマの子孫を差し出すようにザグレダ・ソル神聖帝国との間で取り決めを交わした。オズマの子孫――ニエーーを黒い影に変えてしまい、自らの近衛兵代わりにする。→フェイク

母娘の情に負けて女王の罠に堕ちる。

過去への後悔と諦念からヨルダは物語の構造上、足を引っ張る展開「お願いだからわたくしを眠らせてほしい。またもとのように、わたくしを起こしたところで何ひとつないのだ」
自分の決定で後悔をしたことにより、自分で意志決定――例えそれが自死であっても――選択できない。ゲーム内でのヨルダの主体性の無さを物語として紡ぐ。作劇としては危うさすら感じる。

「終わってしまった」霧の城の物語をヨルダの回想と、イコの過去見で丁寧に肉付けしていく。

ゲームではヨルダは闇の女王の魂の器

イコとヨルダの親子の対比。本当の親を知らないが、継母と村長に守られて育ったイコ。それが、女王によるしきたり由来であるところも皮肉。

「あんたはヨルダを愛したことがあったの? 母娘の情があるというけど、あんたの側に愛はあったの? 村長と継母さまが僕を愛してくれたように、あんたはヨルダを愛したことがあったのかい?」

光輝の書の本当の役割
「ヨルダの力で時を止め、闇の女王と霧の城を封じ込める」ニエはヨルダを見張るもの。
かつて闇の女王が風の塔の封印をしていたことの繰り返し。太陽神の御名を冠しようが、闇の魔神の化身であろうが、やっていることは同じではないか――。オズマが自身の子孫がニエになることを進み出た。ヨルダを守る。
善と悪の構図の逆転。

ノベライズでこれをやるか!


「霧の城というキャラクター」の虚に、宮部みゆきがキャラクターを注ぎ込んだらどうなるのか。それはTRPGのGMのような。その状況にさらされた時にどうなるか。イコははじめて「ヨルダを連れて帰らなくても良いのだ」という選択肢を与えられた時、どう動く?
虚であるはずの、神の指先であるはずのPCイコは「何を選択する?」

ヨルダは助けなければならない存在ではない。ニエという役割すら虚構に過ぎず、帰る選択肢すら与えられたイコ。ここではじめて小説版のイコとしての選択がなされ、ゲームの流れをトレースした虚としてのイコではなくなる感じ。その決断の後押しが善悪の価値が逆転したゆえのニエ――黒い影――であることも憎い演出。


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