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復讐

呼び出しがかかる

掃除・洗濯に精を出し、お昼の料理番組を見てから夕食の献立を決めて買い物に出かける。時間に余裕があるので、マイペースで夕食づくりに取り組めるのが嬉しい。グツグツ煮込む系の料理を作るのは至福の時間だ。風通しがいいのが好きなアタシは、一階も二階も常に窓全開で過ごす。しかし、台所の窓だけは要注意だ。

ガスコンロや流し台の前に立つ。窓を開けると目の前に隣家(夫の実家)の壁がすぐ見える。ブロック塀で境界はあるものの、向こう側に立たれるとコチラが丸見えだ。我が家の奥行ぶんだけが隣の通路となっている。植木や花々に水を撒いたり、裏に洗濯物を干しに来たり、姑は大きな足音をたてて常にその通路を往来する。隣の裏庭と我が家の軒下は、舅がブロック塀を壊したため(ありがたくないことに)裏から行き来が出来るようになっている。

姑は、常に玄関を開けっぱなしにしている。日中は、ご近所さんや母屋の伯母さん、お友達が入れ代わり立ち代わり出入りしている。知ってか知らずか、話し声がまる聞こえだ。

「おはようさ~ん」
「いらっしゃ~い」
「お嫁さん何してんのよ」
「さあよ、呼んでこうかぁ」
「〇〇ちゃ~ん!〇〇ちゃ~ん!」

ザッザッザッ。砂利を踏む音とともにアタシを呼ぶ姑の声がする。呼びに来られることがわかっていても、アタシの鼓動は早くなる。アタシの返事を待たずに、姑は、我が家の軒下からガラス戸をあけて叫ぶ。
「おねえさん来てくれちゃあるで。コーヒー飲めへん?そんな頑張らんと、まあ、一服しよらよ~」
「は、はあ……。」
(来てくれちゃあるって。別にアタシのために来たわけでもなかろうに。アタシはアタシのタイミングで一服したいっつーの。)

アタシは、あとは干すだけの状態の洗濯物を洗濯機に残し、ガスコンロの火を止め、まな板の上に包丁を置きざりにし、エプロンをしたまま隣家へインスタントコーヒーをいただきに行く。
「あれよ~、新婚さんやさかいエプロンもかえらしわ」
母屋の伯母さんの物言いは、いつも耳障りだ。

ひきこもる

マイペースを好むアタシとしては、自分のペースを乱されることに我慢ならない。“呼び出し”にやむなく対応するばかりではストレスがたまる一方である。なんやかんやと言い訳してお断りしよう。なんて言えば納得してもらえるだろう。そうだ、居留守を使おう。

姑の声が聞こえるあいだは、息を殺し物音をたてずにテレビの音量も最小にしておく。声がしなくなったのを見計らって洗濯機を回す、掃除機をかける、買い物へ出かける。それでいこう。それしかない。

夫が帰宅する時間はまちまちだ。帰ってくるまでひたすら待つ、待つ、待つ……。
何時に帰ってくるのか、夕食が必要なのか否か、わからないまま待ち続けるのは、なんと心細いことだろう。

夫とは同じ職場で働いていた。そう、社内結婚である。多忙な時期も、仕事のストレスを飲み会で発散する気持ちも承知の上だ。そもそも、酒を飲み、語り合うことで距離が近くなり恋愛へと発展したのだから。夫の状況は結婚したからとて何ら変わらない。姑のやっていたことをアタシが代わりにするようになっただけのことだ。

いっぽうアタシの生活は激変した。話し相手が姑および姑を取り巻く人しかいないというのは耐え難いものだ。結婚したほうが話す時間が少なくなるとは、どういうことなのだ。アタシは、精神的にストレスがたまると太る傾向にある。例にもれず太りだす。鏡に映った己の姿は自己嫌悪を招き、ますますストレスとなる。

ひきこもっている間、テレビのワイドショーを観る。もっぱらオウム真理教の話題ばかりが流れている。強制捜査、幹部・教祖の逮捕劇等々……。夫が帰ってきても話すことがなく、ワイドショーで知り得たことを教えてあげるしかない。個性的な国選弁護人の横山弁護士については、モノマネができるまでになった。横山弁護士の名言(迷言)「や~め~て~」と口真似しながら泣き出すアタシに夫は困惑気味だ。

(ああ、こんなに時間あるんやったら、また走ればいいんやんか)
ジャージに着替え、ランニングシューズを履く。軽くジャンプして身体の力を抜く。「よし!」玄関の鍵を閉めているとき、姑から声をかけられる。
「あれ、どこ行きよ~」
「あ、運動不足やからちょっと走ってこようと思って」
「ようやるわ」
姑は、植木の手入れへと戻る。

今度から、出て行くとき見つからんようにしよう。うん、絶対そうしよう。

赤ちゃん、まだ?

夫が好きな茄子の揚げびたしを作りおきしておこうと思い立ち、近所のスーパーへ買物に出かける。車も自転車も持っていないので歩いて行く。天高く馬肥える秋という言葉があるが、悲しいかな、天高く我肥ゆる秋というぐらい太ってきた。
(痩せな、かっこ悪いなあ)

近所のスーパーだけあって、ご近所さんと出くわすことも多々ある。
(あ、Nさんや、目合わさんようにしとこ)
うまく避けたつもりが、茄子を吟味するのに集中していたところへ、苦手なNさんがやってきていた。
「あれ~、できた~ん?」
「え?」
「赤ちゃん、できたんやなぁって言うてんのよ」
「いえいえ、太ってるだけなんですぅ」
「あれ、悪いよ~。そんな服着てるさけ、てっきりできたんやと思たわ~」
「あはははは~」
従来からアタシはゆったりめのワンピースを好んで着ている。何の気なしに、今日もそのいでたちだったのだ。(スーパー行く時間も考えなあかんな……)

園芸好きの姑は、我が家の玄関口の植物コーナーも(勝手に)担当してくれている。朝夕の水撒き、植木の手入れ、花の入替、すべて姑の好みに彩られている。
年齢を重ねると園芸が趣味になるものなのだろうか。手入れをしている姑の姿を見ては、通りがかりの人は立ち止まり、花談義が始まる。井戸端会議は園芸だけにとどまらず、必ずと言っていいほど我が家の話になる。

「孫、どうよ~」
「まだよ~」
「あれ、心配やなあ」
「まあ、こればっかりは私が頑張ってもしゃ~ないさかいなぁ」
「そりゃそうよ」
「あはははは~」

アタシは聞こえないふりをして居留守を決め込む。井戸端会議が終わったのを見計らってランニングに出かける。

妊娠を望んでいないわけではない。いいタイミングで自然にその時がくるはずだ。それこそ神の思召しだと思う。

命綱を奪われる

姑は、何かにつけて
「だから(赤ちゃん)できへんのよ」
という意味のことを言ってくる。

「そんな恰好で洗濯物干すから」
「冷えてんのか?」
「М(夫のこと)忙しいんか?」

同じ時期に結婚した友人はもとより、アタシよりあとに結婚した友人まで懐妊していくにつれ、徐々に焦りを感じるようになる。ストレスが溜まり、太ってきた。家にひきこもっていても仕方がない。よし、走りに行こう。

紀の川河川敷はランニングに最適の道。目安となる橋がいくつかあるせいか、あそこまで行って折り返し、という風に考えやすいのだ。
河西橋の下からスタート。紀の川大橋の下で折り返し、六十谷橋の下まで走る。六十谷橋の下で折り返し、河西橋の下まで帰ってくる。10kmぐらいの道のりを60分から90分かけて走る。走り始めて息が上がってくると、それまで抱えていた不安な気持ちや憤りがいつしかどこかへ消えていく。嫌な気分は汗と一緒に流してしまえるような気がするものだ。

河川敷で軽いストレッチを済ませ、自宅の門を開けようと手をかける。ちょうどそのタイミングで、隣の家から出てきた姑と鉢合わせてしまった。
「あれ、また走ってたん。豪勢に走るんもええけどなあ。そんな一生懸命走ってるから〇△□……。」

〇△□に入る言葉は聞き取れない。拒絶するかのようにアタシの耳には入ってこなかった。姑の表情や態度から受け取れる情報は、アタシにとって大きなダメージとなることが予想される。

姑は意識していないかもしれないが、彼女の一挙手一投足はアタシを度々凍り付かせる。そして、言うとおりにしなければならないと思わせるところがある。

走るの、やめなければならないのか……。

神様に怒られる

たまごクラブを隅から隅まで読む。ハイヒールモモコさんが妊娠するまでのことを書いた本は数十回読んだだろうか。不妊を改善するようなタイトルの本は片っ端から読み漁る。

初冬のキリッと冷えた空気は嫌いじゃない。洗濯物をハンガーに干し、皺をパンパンと叩いて伸ばす。姑が砂利を踏んで裏庭へやってくる足音が聞こえる。アタシは、急いで家の中に避難しようとするが、干そうとしていた靴下を落としてしまった。拾って汚れをはたいているところへ姑から声をかけられる。

「おはようさん。そりゃそうと今月どうよ。あれ、そう、またきたんか……。」
生理がくるたび、姑は落胆する。

「雅子さまより先にできるわけにもいかんしね」
うまくもなんともない時事ネタで返してみるが、姑は容赦ない。                                                                                                                                
「おばあちゃん、今月はイケるって言うてたのにな」
(また、おばあちゃん、ですか……)

アタシと同い年の我が家。二階は後から建て増ししたらしく、下から見上げると首が痛くなるほど階段が急である。その階段を、おばあちゃんが上ってきた。我が家の寝室を拝みに来たのだ。

普段は温和な雰囲気を醸し出すおばあちゃん。ひとたび“拝み”始めると、背筋が伸び、ひとまわり大きくなったかのようだ。おばあちゃんの発するおどろおどろしい声を初めて聞いた。

「この部屋のアソコに蛇の神様がおる。怒ってるな……。ココに毎日塩と水あげるように」
寝室の隅にある一部分を指さし、おばあちゃんは告げる。

(え、え、えーっ!何、何、何?蛇の神様が怒ってるから赤ちゃん出来へんって言うん?アタシ昔っから蛇大嫌いなんよ。怖いんよ。苦手なんよ。よりによって、なんで蛇なんよ~)

おばあちゃんが示した寝室の隅にある一部分は、三角の木の棚のようなものが作られている。以前の家主が作ったのだろうか。

それにしても、ずっとここに蛇の神様が居たというのか。蛇の神様に見張られて夜の営みを行っていたのか。吐き気がする。眩暈がする。寒気がする。

ベッドの向きも悪いというので、おばあちゃんの言うとおりに向きを変えることになった。

見捨てられる

皇太子妃雅子さま、ご懐妊の号外を受け、おばあちゃんや姑の攻撃をかわすネタが無くなってしまった。
日中走ることも出来ず、時間を持て余す。テレビからはワイドショーが流れている。雅子さまのニュースで持ちきりだ。読みもしない本のページをめくる。コタツで身体が温まったせいか、うたた寝してしまったようだ。

玄関から誰か入ってくる……
その誰かが、アタシが寝ている頭の方向にある襖を勢いよく開けたり閉めたりする……
バンッ!バンッ!攻撃的な物音は、まるでアタシを責め立てるようにも聞こえる。
アタシは……アタシは………動けない。
身体が動かない。金縛りか?
歯をグーッと食いしばる。このままでは歯が崩れてしまいそうだ。
皇太子さまに見初められ、皇室へ嫁がなければならないアタシ。
夫は「しゃあないわな」という様子。姑は「喜ばしいことだわ」という感じ。
アタシは、見捨てられたと感じている。叫びたい気持ちを抑えて明日の結婚式を待つ。


雅子さまの「ご懐妊」ネタを見ながら、うたた寝してしまったせいか、何度も何度もこの類の夢を見たり金縛りにあったりした。

夫の会社は多忙シーズンに突入した。忙しいのはわかっている。どんなに大変な仕事か理解しているつもりだ。

それでも「夫に見捨てられた」という気がして仕方がない。

想像妊娠も許されず

生理が遅れている。
なんと喜ばしいことだろう。

初潮を迎えてからというもの、安定して訪れてきたアタシの生理。嫁いできてからは、あまりの安定さに憎らしくもあった生理が、二週間も遅れている。
意気揚々と妊娠検査薬を試してみる。結果は陰性。まさか?早すぎたのか?もう一週間待って、また試してみよう。

結果は陰性だったが、アタシは妊娠を確信する。女は妊娠する瞬間がわかるものだと、本に書いてあったもの。今回は絶対できている。そんな気がする。妊娠検査薬の箱を見つめる。お願いだから、今度こそは陽性で頼むよ。

ザッザッザッ。
砂利を踏む音がする。

姑だ。ガラガラと裏の網戸を開ける音がする。
「〇〇ちゃ~ん」
「はい~」
「今、おばあちゃんから電話あっと。今回も残念やったな……。」
「え?あ、そうなん?」

そんなはずはない。生理が遅れていることは、姑に言わなかった。妊娠検査薬を試そうとトイレに駆け込む。
結果は陰性。使用後のトイレットペーパーは赤く滲んでいる。

「また、きたんか……。」

アタシは、しばらくトイレから出られなかった。

ぜんぶ、おまえのせいだ

おばあちゃんが“拝む”ことについて、舅は嫌悪感を抱いているようだ。「そんな力あるんやったら、本人も周りもなんで幸せちゃうねん」事あるごとに言う。そのせいか、姑は舅の居る前で、おばあちゃんのお告げの内容を語ることはない。頼みの綱は、舅だなと感じる。しかし、舅とて内孫を望んでいるに違いない。申し訳ない気持ちになる。

法事で、姑の実家へ行くのは気乗りがしない。おばあちゃん、おじさん(姑の兄)、おばさん、いとこのお兄ちゃん夫婦、その娘二人の大所帯に、法事ともなると、付随する親戚であふれかえる。

我が家も、姑、舅、我々長男夫婦、次男夫婦、三男と家族総出で出席する。アタシたちより一年先に結婚した次男夫婦には、もうすぐ赤ちゃんが生まれる予定だ。大きなお腹の義理の妹の姿を、見て見ぬふりはできない。親戚一同、次男夫婦に生まれるであろう子どもの話を散々した後は、矛先がコチラに向くのは想定内だ。

「Mくんとこはどうよ、まだ芽も出てないんかい。」という類の台詞は聞き飽きた。神聖な命を“芽”などと表現することには、悪阻でもないのに吐き気がする。

「そんなもん、出来るときは出来るやろ(黙っとけ)」と応戦してくれるのは舅だけだ。

いとこ夫婦と談笑する夫とアタシは、姑に小声で呼び出された。コタツで横になり鼾をかき始めた舅を確認したからとしか思えない。真っ暗で細い田舎道を、姑は懐中電灯を持って先頭を歩く。少し上り坂になっているせいか、前傾姿勢で太ももに手を添えながら歩く。嫌な予感しかしない。

映画・八つ墓村の世界に迷い込んでしまったのだろうか。古びた小さな祠のような建物の中に「よろしくお願いいたします」とでもいうように、手を合わせ最敬礼して姑は入っていく。

続いて入ったアタシたちに、声にならない声で「そこへ座りなさい」と伝えると、姑は自分の場所へ正座し、手を擦り合わせながら、何やら拝み始めた。

おばあちゃんは既にそこに居た。何本もある蝋燭に火を灯しながら、何やら拝んでいる。何かに憑かれているかのようにアタシには見える。野太く、低い声で拝み続ける。蝋燭の灯りで浮かび上がる、おばあちゃんと姑の姿はホラー映画以外のなにものでもないと感じる。

音が漏れ聞こえているのではないかというぐらい、激しく大きく鼓動するアタシの心臓。
おばあちゃんがアタシに近づいてくる。摺り足で近づいてくるその足音に一度だけ大きく身震いした。アタシの傍らに膝をつく。そして、アタシのお腹を掌で触る

「むむぅ……、この畑には冷たい水が溜まっておるな」
「はあぁ……、いい種を植えても全部流れてしまう」

畑が悪い。
種は良い。
畑が悪い。
種は良い。
畑が悪い。
種は良い。
畑が、畑が、畑が……。

何度も、何度も。頭に叩き込めと言わんばかりだ。その声は、おばあちゃんであり、姑であり、親類縁者であり、ご近所さんであり、ご先祖様であり、神であり仏でもあるように思えた。
アタシは、氷の柱に埋め込まれたかのように身動きができない。

アタシが……ぜんぶ……悪い……。

懲りないひと

何かに憑りつかれたのか、憑りつかれたかのように振舞っていたのかは定かではないが、おばあちゃんに言われた言葉がアタシに圧し掛かり離れない。

アタシが悪い。アタシが全部悪い。アタシのせいで赤ちゃんが出来ないのだ。そう思うと、居ても立っても居られなくなる。

「アタシのせいで子ども出来へんみたいやから別れよう」
「子ども産めない嫁に用事ないやろ」
「子ども産まなあかんのやったら、お役に立たれへんみたいやわ」

仕事で疲れて帰ってきたと思われる夫に対して、こんな言葉を浴びせる。何とか言えよ……。何とかしてくれよ……。荒んだ心を持つ自分に嫌気がさす。感情の行き場が見つからず、家を飛び出し土手を全力で走る。嫌だ、嫌だ、嫌だ。こんなところ嫌だ。どこかへ行きたい。

このままではアタシの精神も結婚生活も破たんすると思ったのだろうか。アタシをなだめすかすことしかしなかった夫が、ようやく姑に物申すと言ってくれた。

「子どもについてはタイミングやから口出しするな!金輪際、子どものことは言わんといてくれ!」と言ったらしい。舅は「それでええ、それでええ」というスタンスのようだ。アタシはその場に居なかったので、いずれも確かではない。

働きに出よう。この家に一日中籠っていては、気が狂いそうだ。
就職先はすぐに決まったが、アタシは自らの口で姑に告げることが億劫で、夫に伝言してもらった。

陽射しが暖かくなってきた。洗濯物を干すときに季節を感じるものだ。姑が草木に水を撒く時間帯だ。案の定、姑に声をかけられる。

「仕事始めるんやてな。ええわして~、環境変わったら子ども出来やすいって言うし。」
「そうなんや。できたらええけどなあ……」

ヘルメットを被り、通勤用に購入した原付バイクにまたがる。
「まだ言うか……」
心と裏腹に青く晴れ渡る空を睨み、キーを回す。

絶対許さない

夫は両親に「子どもについて金輪際口出しするな」と告げたことで満足している様子だ。アタシは、姑のしつこさについて夫に相談することに虚しさを感じ始める。

アタシがぜんぶ悪いのかどうか、はっきりさせたい。婦人科の受診を決意し原付バイクにまたがる。北風を真正面から頬に受ける。この先のことを考えると胃が重い。

有名な産婦人科の院長の娘婿が医師を務める医院を選んだ。産婦人科ではなくレディースクリニックを選択したのは正解かもしれない。受付も待合も妊婦でごった返していたら、平常心でいられるかどうかと案じていたが、そんなことはなかった。第一段階クリア。とはいえ、人生初の婦人科受診。やはり緊張する。

受付で「今日はどうされましたか?」と聞かれたら、きちんと答えられるだろうか。そんなことを考えながら健康保険証を提出する。「こちらへご記入ください」と問診票を渡された。初潮の時期、生理周期ほか必要事項を記入する。来院の理由欄には、震える手で「赤ちゃんができない」と書いた。

診察室へと促され、ドクターの前に座る。目頭が熱くなる。ふむふむ……と頷きながら、ドクターは問診票に目を通す。顔をあげアタシの方に身体ごと向き合う。

「婦人科、初めてなんですね。リラックスして。子宮と卵巣の状態を見させてくださいね。まず、そのベッドに仰向けでお願いします。」

言われるままに仰向けになる。
「ちょっとヒンヤリしますよ」ドクターはアタシのお腹に冷たいジェルのようなものを塗り、ジェルの上に器具を押し付けてグルグル動かす。卵巣の具合を見ているようだ。

「卵管は詰まってないですね。あ、ほら見て。これが卵ね。ちゃんとあるよ。大丈夫。まだ結婚して4ヶ月でしょ。不妊とは言わないよ。これから3ヶ月、基礎体温測っていこう。」

アタシの中にある卵(卵子)。ぷくぷくして可愛い。なんて健気なのだろう。まるで赤ちゃんを見ているかのように、画像から目が離せない。鼻を啜るアタシにドクターは十分時間を与えてくれた。

「最近は、男性側に原因があることも多いから、できれば検査は2人ともやったほうがいいよ。」

北風を背中に受け原付バイクを走らせる。北風は強く吹き付けるが、アタシは汗ばむほど身体が熱い。

(いいんだ。アタシが大丈夫だったらそれでいいんだ。別に2人で検査しなくたっていい。)

「アタシが原因じゃなかったぞ~!アタシを悪者にしやがって!あほんだら~!」

北風に背中を押され、アタシは原付バイクの速度をさらにあげた。

怒るで、しかし

義理の妹は、男の子を出産した。気の毒なことに退院してからというもの、彼女は毎日のように姑に呼び出された。アタシもそのたびに呼び出される。姑は、男の子が生まれたことを誇らしく思っているようだ。

家の前に車が停まったことはわかっている。車を降りてから隣の家に入るまでに、一通りご近所さんや通りがかりの人への面通しが行われている。

(そろそろ、呼びに来るな。)

ザッザッザッ。砂利を踏む音が聞こえる。姑の足音だ。
「〇〇ちゃ~ん、Tさん、子ども連れてきてくれてるで~」

生まれて数日しか経っていない無垢な赤ん坊の姿を、アタシはまともに見ることができない。なるべく近寄りたくない。ましてや可愛いとも思えない。この子に罪はない。それはわかっているつもりだ。

この子を産んだ母親よりも、姑の方が抱いている時間が長いのではないかとさえ思える。
「あやからしてもらうんに、〇〇ちゃんも抱っこしてみるかい。」
「いえ、落としたらあかんので結構です」

相変わらず、親戚やご近所さんの出入りが多い隣の家。アタシの苦手なNさんは、姑に抱かれた赤ん坊の顔を覗き込む。
「あれ~、この子Mくん(夫)にそっくりやして~」
「何言うてんの、この子A(夫の弟)とこの子やで」
「そうかそうか、お兄ちゃんとこも頑張らなあかんなあ」
「……。」
アタシは何も返せない。

昨日も会ったやん。おはようの挨拶交わしたし。そんな急に産まれるわけないやろ。
ホンマ勘弁してほしいわ。

信じるか信じないかはアナタ次第です

結婚して2回目の大晦日は、4月に生まれた甥っ子を中心に過ぎていく。居心地の悪さを感じながら、家族全員で鍋を囲み、年越し蕎麦をいただく。年明けとともに家から徒歩1分圏内の氏神様へ、これまた家族全員で初詣に出かける。ご近所さんに声をかけられるのは避けられない。ここでもまた「赤ちゃんまだ?」攻撃を受けることになる。

気分がすぐれないまま、参拝を済ませて隣の家に帰る。Cちゃん(義理の妹)とアタシは先に休ませてもらうため、2階に上がった。布団に潜り込み、ともに姑の件でため息をつく。

「〇〇ちゃん…寝た?」
「起きてるよ」
「実はアタシ、またできたんよ。3ヶ月なんやけどね」
Cちゃんは申し訳なさそうだ。
「そうなんや、おめでとう。年子になるんやなあ。」
「それが、おめでたくもないんよ」
「え?」

聴けば、おばあちゃんのお告げがあったと。

「この子は、Aくんが酔っぱらって帰ってきたときにできた子やさかい、精子の具合が悪いんで、五体満足で生まれてこない可能性がある。目か耳か、どこかわからんけどな。」

うとうとしながら聞いていたアタシは、一気に目が覚めた。

「そんなもん、Cちゃん信じるん?」
「アタシは産みたいんやけど、Aくんがやめとけって……。お義母さんも、今回は諦めて、〇〇ちゃんとこに授けちゃってくれって言うんで……。」

一瞬にして全身が熱くなる。頭に血が上るのがわかる。布団から出て階下へ降り、トランプを楽しむ家族を横目で睨み、家を出た。
アタシを追って慌てて飛び出してきた夫に事情を告げようと思うが、震えてうまく話せない。

命を、命をなんだと思っているんだ。馬鹿にするのもいい加減にしてくれ!
なんで命を粗末にする者の子宮に命を与え、アタシの子宮には命を与えてくれないのだろう。

神も仏もない。
神も仏も絶対信じない。
お告げなんてクソ喰らえ!
絶対、姑にアタシの子どもを抱かせるもんか!産んでやるもんか!

子どもをつくる行為は一切しないと心に決めた。





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