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我が家流⭐︎緩和ケア#42「父、永眠」

2011年7月
末期がんで余命3カ月と宣告されたお舅さんを自宅で看取りました。
当時のBlog記事をシリーズで転載します。
どなたかの参考になれば幸いです。


***


2011年7月12日


義父、7月12日(火)11時43分に永眠。

最期は安らかに眠るように息を引き取った。

緩和ケアの実際を書き留めてきたが、今後は葬儀など様々な事柄などを書き残そうと思う。


お義父さんが息を引き取る前日に奇妙な雲を見たのも、なにか虫の知らせのようなものだったのかな、なんて。

その月曜日の夜、高熱でうなされるようになり、呼吸も浅く、荒くなっていた。

そんな中でも…

「おーい、おーい、…えっ!?」

自分のうわ言に返事したりして笑いをとるお義父さん。


火曜日の早朝、呼吸が段々弱くなってきたのがわかる。
朝から嘔吐、軟便あり。

でも前回の『天国と地獄の1週間』があったため、アタシたちの気持ちも穏やか。

いつものように孫娘(ネタがない姪っ子)にお茶を飲ませてもらった、お義父さん。
(これが最後に口に入れたものとなった)

孫たちを学校へ送り出し、長男(夫)も仕事に出かける。


残ったのは、三男(義弟)・お義母さん・アタシの3人。

呼吸は弱いものの穏やかな状態が続いていた。


朝からいいお天気だったのに、10時前から急に真っ暗になってかなり強く雨が降りだした。

カラダやアタマは高熱ですごく熱いのに、手の先が冷たくなってきた。チアノーゼも。


三男は前日も徹夜の看病だったので仮眠をとりに。

お義母さんは、洗濯しに。


お義父さんと2人きりになったアタシ。
初めて「おとうさん、ありがとう」と声に出して言った。


もう言葉では返事することが難しくなっているお義父さんの右目から涙が溢れ出した。
(お義父さん、わかってくれたんや)


すると、お義父さんの呼吸が止まった。

あかん!
アタシだけで看取るのは忍びない!!

「おとうさん!おとうさん!」

咄嗟に叫んでしまった。

その声に、お義母さんと三男が集まり、息を吹き返す、お義父さん。


「おとうさん、もう十分頑張ってくれたし、静かに逝かしちゃろ。誰が最期を看取っても悔いはないしな」

決意を固めた。



アタシが嫁入りしたときに、お義父さんは「念願の娘ができた」と喜んでいたそうだ。
(三男が生まれるときには女の子の名前を考えていたくらい、娘が欲しかったみたい)


そして娘に喫茶店をやらせるのが夢だった…と聞かされ、なんか胸がキュンッとなった。

そういえば結婚してすぐ、お義父さんに服(セーターとスカートとブーツ)買ってもらったな。

想い出話をしていると、お義母さんが「お昼なにする?」と言い出し、“日清焼きそば”することに。

アタシは、なぜかそのとき「家にチョロッと帰って昨日の残りのカレー食べてくるわ」と席を外した。

(隣の)自分の家で昨日のカレーをレンジでチンしてテーブルに置いたとき電話が鳴った。
「〇〇ちゃん、ごめん。オトハン…」
三男の声。

カレーはそのままに慌てて戻ると、お義父さんは笑っているかのような安らかな顔だった。

「ホンマに?」
さっきまで熱を帯びていたカラダはまだ熱かったし、顔色も良かった。


最期の最後、そばにいなかったことを悔やみもしたけれど、考えてみればお義父さんはアタシに最後を見せたくなかったか、あるいは「見せないであげよう」という優しさだったのか、はたまたもう逝きたいのにアタシがいたらまた呼び戻されると思ったか?


手がつけられてないままの焼き上がった“日清焼きそば”から湯気が上がっていた。

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