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ノミのジャンプは盛大に。

最近、友人と酒を飲む事がたまにある。
彼らはここ1年くらいで知り合った友人がほとんどだ。
僕には元々、友人が多くない。
加えて、年齢を重ねるに連れ、友人の数は減っていく一方だ。
彼らの結婚、子供が出来た、地方への引っ越し、喧嘩別れ、死別、、、。
また前職を辞めてからというもの、前職の友人・知人とは全く交流がなくなった。
1人だけマメな方から年賀状を頂いた事はあるが、音信不通の人ばかりである。
よく、「前職の99%の人間とは会わなくなる」と聞くが、まさにその通りなんだと思う。

そんな中、ふとしたことから知り合った友人が2人いる
彼らは共に20代で、僕は意外なほど気が合うし、最初から年齢を意識したり、変な気を使わずに距離を縮められた。
(少なくとも僕の方はそう思っている)
人見知りの自分がそう思わず接することの出来る人は稀であるが、直感的にそういう人とはいろんな角度で相性がいいことを知っている。
僕と飲んでくれることが有難いし、楽しい。
単純に若いパワーをもらえる。
僕も多少なれど、年上として経験や視点の違いを話したりもする。
でも偉そうに真面目になんて雰囲気にならないのが嬉しい。
真面目な話なんて殆どなくて、バカ話やエロ話ができるのが楽しい。

ここで思うのは、とある有名な、瓶に入れたノミの実験という話だ。
体長2ミリ程度のノミはその体に似合わぬ跳躍力があり、垂直なら体長の50倍、距離なら100倍ほど飛ぶ事ができる。
そんなノミを小さな瓶の中に入れると、ノミは瓶の中で飛び跳ねても蓋が邪魔をして頭をぶつけてしまう。
しばらくその中で過ごすと、ノミはその瓶の中で頭をぶつけないよう低く飛ぶことを覚え、順応する。
そしてそれ以降ノミは蓋を開けても、入っていた瓶より高く飛ぶことは出来なくなってしまう。

これこそ今の僕なんじゃないかなと思う。
30代、40代になって、この気持ちを感じる事が多かった。
諦めと引き換えに安全と安定を選び、瓶から飛び出すことは一旦置いておいた。
もっと力がついたら、金が貯まったら、コロナが落ち着いたら、景気が上向きになったら。
でもその安全と安定が、心のワクワクに繋がることはなかった。
だから僕は当時の生き方に疑問を持ってしまったのだろう。

最近知った話なのだが、このノミの逸話には続きがあった。
それは、高く飛べなくなったノミを、元に戻す方法があるというのだ。
そしてその方法は単純で、高く飛べなくなったノミの側にガンガン高く飛んでるノミを一緒にしてやると、低く飛んでいたはずのノミは再び高く飛べるようになるという。
それはすごく面白い話だと思った。
この話を初めに聞いた時に、再び高く飛べるって部分までセットで話を聞いておきたかった。
そっちの方がいい話だし、ストーリーとして強いし、最後が大事な部分だよなぁと感じる。
僕が昔聞いた時は、ノミが瓶の中で低くしか飛べなくなるって所で終わっていたから。
なんかそういう習性があるんだなノミには、って感想にしかならなかった。

そしてまさに彼らは、高く飛べなくなった僕にとっての、お手本となるような人たちだ。
なんてことはなくても、普通に伸び伸びと生きているのをみると参考になることが多い。
今度デートをするかもしれない、マッチングアプリでうまくいかなかった。
あの店員さんが可愛い、この飯が美味い、酒が美味い。
明日は休みだし終電まで飲もう、なんか楽しいぜ。
そんな風に、純粋に本能で生きる彼らをみるのが好きだ。
純粋な元気、欲望、野心、挑戦とエネルギーに晒されていると、僕も幾分影響されてきたように思う。
そしてそんな僕をポジティブに応援してくれる。
いい奴らと巡り会えたと思う。

彼らだけでなく、新たな人と出会い、何かエネルギーを交換する。
こんな生き方をしているんだ、そんな所に楽しさを感じているんだと知ることが楽しい。
そしてまだ知らない人に会い、知らない場所へ行く。
あまり乗り気じゃない誘いにあえて乗っかり、自分じゃ普段しないことをする。
そうやって新たな価値観を知り、経験値を更新していく。
そうすることで、また再び高く飛び上がれるようになるかもしれない。

以前記事で書いたように、オードーリーのラジオ番組の東京ドームイベントであまり心踊らなかった僕だけれど、その中で一つ若林さんのトークでなるほどと思った事がある。

彼はイベント開催日までの1年間、体力作り兼イベントの宣伝として自転車に乗っていたが、お決まりのコースを走っても今ひとつ気分が乗らなかったらしい。
そして彼はUberEatsに登録し、配達のバイトを始める。
「行きたい所が無かったから、UberEatsに登録して行かなきゃならない所を作った。」
「そしたら世界は色づいて見えた。」
という話が印象的だった。

ある事柄に対して、自分だけの力で解決することは難しい場合がある。
それだったら他者の力や外部のきっかけを借りて、動き始める一歩とするのも間違いじゃないのではないか。
僕は全て自分で見つけて、決めて、判断して、次に進もうとしていたように思う。
でもそれだと心の弱い自分は、失敗や未知への不安や恐怖や諦めで動けなくなっていたのは事実だった。
傷つきたくなくて、逃げる口実を細々と探していた。
瓶に頭をぶつけるのは痛てぇーんだよ、もうごめんだよ、と飛ぶのをやめていた。
でもそれでは何も生み出さないし、何でもいいから僕にとっての「行かなきゃならない所」を作らなくてはと思う。
最近は理想や夢100%じゃなくても、ただ現実的に生きていくためだけの目標でも全然いいじゃなかと思うようになってきた。
そして現実に潰され、また低くしか飛べなくなったら、彼らにエネルギーを貰えばいい。
ずっと動かないで筋力が衰え、そもそも低くすら飛べなくなるのが一番ダメな気がする。
そして大事なのは、ノミにも人間にも寿命があるってこと。
爺さんになってから、挑戦しておけば良かったと後悔するのは嫌だもんなぁ。
だからここで決意して、覚悟を決めようと思う。
僕なりに高く飛び立つ勇気を持たないとね。
ここで呟くのもいいけれど、行動に移さないとね。

そしてもう一つ。
ノミ繋がりで言うと、「蚤(ノミ)の息さえ天に昇る」って諺(ことわざ)がある。
小さく力の弱いものでも、一心で何かに取り組めば成し遂げる事ができる、という例えだ。
これは勇気をもらえる言葉だなぁと感じる。
直近はこの二つを自分のテーマとして、行動するつもりだ。
再び盛大にジャンプしてジャンプして、行けるところまで行こう。
その先にいるであろう丸々太った猫に飛びついて、たっぷりと美味い血を吸って満足するまで終われないしなぁ。

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