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微笑みの国に響いた、怒号の声と苦笑い。

10年ほど前、タイに出張に行った時だった。
僕は、会社で一番仲の悪い先輩と行動することになり、出張前から非常にナーバスだった。
直属の上司で、入社した時からあまり認めてもらえておらず、僕も苦手意識でよそよそしく萎縮しっぱなしという雰囲気が、更に彼の気に障っていたようだった。
正直な話、努力を惜しまずに120%の結果を残している先輩にとって、中途半端な結果しか残さない僕は、努力不足で緩い仕事をしている奴って思いがあったのだろう。

相手側のお客さんは、日本企業の海外子会社で、タイに拠点を構えていた。
担当のお客さんは、日本から赴任して数年駐在している方と、数週間の中期的に出張されている方を含む5人程度だった。
僕ら側はその先輩と僕の2人。
お客さんの会社で、10日間ほど滞在し、ウチが収めた機械の不具合を直し、その他メンテナンスするのが目的だった。
彼は苦手な先輩だけど、仕事は優秀だしドライな性格の人なので、仕事以外の交流はないだろうと安心していた。
仕事終わりは自由というか、帰りに晩御飯くらいは一緒に食べるだろうけど、その後で夜に酒を飲みに行ったり、日曜日に一緒に行動したりってのは無さそうだったからだ。
そうやって仕事は仕事と割り切って、それ以外は一人過ごせるという意味では、人付き合いの悪い自分には有り難かった。
前職では、常に連れ動くことを良しとする、面倒な先輩も少なくはなかったからだ。

タイに限らずだけれど、海外では滞在するホテルとお客さんの工場が非常に遠い場合が多い。
車で片道2時間掛かる所も少なくなかった。
これは職種によると思うのだけれど、僕のように相手のお客さんが工場だと良くあることだった。
つまり、滞在するホテルはリタイアした白人層が目立つ比較的治安のいいエリアにあって、工場は国や地域に定められたかなりローカルな工場エリアにある為だ。
だから何が辛いかというと、朝の移動が非常に辛かった。
朝の6時前には起きてシャワー、メールチェック、仕事の準備を行い、ロビーで軽い食事を取る。
(赴任者が多いからか、ホテルの朝食は6時からやっていた)
送迎車は6時半に出発だから、10分前には必ずホテルのロビーに集合しなくてはならない。
お客さんの送迎車だから、絶対に寝坊は許されない。
そういう緊張感の走る毎日がしんどかった。
またどんなにトラブったとしても、送迎車の都合上19時には仕事を終えなくてはならないのも、仕事をする上で難しい部分があった。
トラブル対応で出張しているため、どうしても作業前半は残業してでも解決の糸口をみつけたかったからだ。
19時の送迎車に乗るとなると、片付けを含めて実際の作業は18時半までとなり、作業時間は短い。
とは言え、19時に帰ってもホテルに着くのは21時頃となる。
大雨が降って交通渋滞したり、週末になって交通量が増えると更に時間が伸びる。
それに加え、ホテル近辺でお客さんを含めて一緒に夕食をとる。
そうなると、自室に帰るのは22時を過ぎていた。
そこから報告書を書いて、一息ついて、寝支度をして寝る。
という風に、殆ど自由のない生活だった。

よく前職の時に、出張の話をすると、男女問わずに羨ましがられた。
そしてそれは、本当に昭和のバブルの頃の出張イメージと何ら変わっていない事に辟易していた。
要は、出張というのは朝はのんびりホテルのバイキングを食べて、海外のフレンドリーな雰囲気の中でゆったり仕事をして、夜はキラキラ・ギラギラした繁華街で現地の料理を食べて、2件目でちょっと良い酒を飲む。
そしてたまには大人の夜のお店で遊ぶって感じを、同世代以上の男性からはそれが事実であるかのように、毎度何度も聞かれたものだった。

最終日、お客さん達と我々で、夕ご飯を一緒に食べた。
その日は、中華料理だった。
ついに僕はその出張中、一度もタイ料理を食べる事はなかった。
というのも赴任者の方々と夕食を共にしてきたため、彼らのチョイスしてくれたお店に行く事になる。
彼らは、もう散々食べ飽きたタイ料理では無く、居酒屋風日本料理屋だったり、アメリカ風ステーキ屋だったりしたからだ。
それがどれも高額(特に居酒屋風の店は日本以上に高級だった)で、シンプルな屋台のタイ料理に憧れていた僕にとっては、あまり嬉しくなかったのだけれど仕方がない。

お酒も入り、程よく気分が乗ってきた頃に、その店を出た。
色々とご迷惑を掛けたし、今後持ち帰る課題もあったけれど、何とかこの出張を終えることができた安心感があった。
お客さんの送迎車に乗り、これでホテルに帰って報告書を書いたら、後は明日帰るだけだ。
改めてしんどい出張だった。
僕は性格の合わない人間と仕事をする時の、パフォーマンスの低さが自分でも解っていた。
相手に怒られないかを最優先してしまい、イラついて睨んでくる先輩の顔色をいちいち気にしてしまう。
そんな自分も、先輩も嫌だった。

ホテルへ向かう途中で、車が停止した
車中、酔った中年のお客さんの一人が後ろから声を掛けてくれた。
「○○さん達も、最終日くらい一緒に行きましょう!」
それは恐らく、夜のお店に行く誘いだった。
僕は若干潔癖というか、夜のお店に行くのに苦手意識があった。
勿論どスケベで女性好きな僕だし、エロい男だと自認している。
でも海外でそういった店に行くのは、国内のそれよりも何倍も抵抗があった。
というか、絶対に行きたくない、と強く思った。
トラブルに巻き込まれたくもないし、病気も怖い、何より言葉の通じない外国人と行為に及ぶ気になれない。
タイの現金をそんなに持ち合わせていないのに、そのために金を下ろすのも馬鹿らしかった。
そして大前提として会社の規定で、トラブルを避けるために海外でそういう場所で遊ぶ事を禁止されていた。
しかも、部屋へ戻ってから報告書を書いてメールするまでが仕事だったので、夜のお店に行ってる場合でもない。
加えて、会社で一番仲の悪い先輩と、そんな店に行くかどうかなんて相談もしたくなかった。
先輩と僕は苦笑いしながら顔を見合わせた。
そして「ええと、、、申し訳ないですが、我々は遠慮させていただきます」と答えた。
すると後ろから、酔った50代のお客さんが声を荒げながら言ってきた。
「あのねぇ、、○○さん、、、これまで1週間以上、我々お世話しましたよね!?」
「一緒に仕事しましたよね!?」
僕はひきつった笑顔で相手を見たが、酔って目の座った彼は止まらなかった。
「これも仕事じゃないんですか!?、、、我々一緒に仕事してるんでしょうがぁぁ!!!!」
そんな怒号が送迎車の中で鳴り響いた。
タイに居るってのに微笑みゼロの、この状況。。。

仕事でならまだしも、こんなことでお客さんにガチで怒鳴られるなんて想像もしていなかった。
(お客さんにとっては、特に昭和世代の方だったので、彼にとっては仕事以外でコミュニケーションを取るのも重要な事だったのだろうと今では分かりますが)
そんな時、たじろぐ僕らに助け舟を出してくれたのは、お客さんの一人だった。
僕らの方を向いて片手で「ゴメン」をして、申し訳なさそうな顔で微笑んだ。
小声で「彼、酔ってるからさ、、笑」と一言。
そして彼は、若手社員と一緒に「じゃあ僕ら行ってきます笑、今日まで出張お疲れ様でした!」と颯爽と車を降りていった。
僕はその間もずっと、苦笑いを続けていた。

僕はあの時の行動として、何が正解だったのか分からない。
断らず、先輩と共にお客さんとご一緒するべきだったのか。
先輩は帰らせて、僕だけお客さんと一緒に行った方が良かったのだろうか。
お店ではお金を払うだけで何もせず終わり、楽しかったですねと話を合わせた方が可愛がって貰えただろう。
今後も一緒に仕事をする機会だってあっただろうし、仕事で重要なのは人間関係だっていうのは僕が一番分かっていたはずだ。
でも僕は自分の気持ちを優先した。
そして、先輩とこんな話題で関わりたくない気持ちを優先した。
もし出張した先輩が尊敬している仲の良い人だったら、あの時の行動は違っていたかもしれない。
色々とモヤモヤしながら、あんな事でガチに怒られてしょげた気持ちのままホテルへ戻った。
だけどこれで後は明日帰るだけ。
苦手な先輩と2人きりの仕事もこれで終わる、と安堵した。
今後僕も、後輩と出張をするとなったら、どんな先輩に思われたいだろうか。。。
もし先輩になるのだったら、当時の上司のような人ではなく、あの時助けてくれたお客さんのような人物になりたい。
後輩を引き連れ、颯爽と車を降りて夜の街に消えた、あんな人になりたいと思った。

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