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Only a matter of time.

But if faith is the answer...

飛行機が加速し離陸する前、シートに身体全体が押し付けられる十数秒の間が好きだ。
血液が一箇所に留まり、爆発する瞬間を待っているかのような気持ちになる。
大学院に居た時、ドイツへと向かう機内で隣に座る先輩が彼の時計を見せつけながら言った。
それは、彼が何時も付けていた安い機械式時計だった。
「この離陸の瞬間だけ、ほんの少しだけ針の動きが遅くなるんだぜ」
と、いつものキメ顔でニヤリとしながら言っていた。
そして飛行機はぐんぐんと加速し、離陸した。
僕はこれからの数日間に対する期待と不安を胸にして。

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僕はその後、仕事で何度も飛行機に乗ることになる。
そのたびに、加速して離陸するまでの間に時計を見るようにしていたけれど、どうもそんな風には思えない。
機体は一気に加速して、15秒くらいで離陸する。
たったそれだけだ。
僕の時計が高級で正確なのか、ただのつまらない男になってしまったのか。

その先輩に初めて会ったのは、大学4年になる少し前の晴れた3月頃だった。
理系の大学に居た当時、その大学では4年になると各自研究室に進み、最後の1年間をその研究室で過ごすことになるのだ。
少し前に僕が入る研究室が決まり、友人と一緒に教授や先輩に挨拶がてら顔を出したのだ。
その直後、真っ先に「あー、やっちまった。。。」と思った。
なぜなら、彼の着ているジャージ風の上着が僕の家にもあったからだ。
この服はもう着ていけないなぁ、と思ったものだ。
その上着は、ユニクロの地味なクリーム色のやつで、腕に茶色の縦ラインが入っていたヤツだった(気に入ってたけど、こう書くと超ださい)。
もちろん大学構内には彼と僕以外にも、着てた人はきっと居ただろう。
でも同じ研究室に同じ上着が2人居る構図を想像するのは、何とも恥ずかしかったのだ。

僕らが1年過ごす、その紹介されたのは非常に汚い研究室だった。
一言で言えば、足の踏み場もないくらいのゴミ屋敷のようだった。
何か色々と装置の説明を受けたと思うけど、あまり覚えてはいない。
全てが初めて目にするモノで溢れ、僕は落ち着かず目を輝かせていたと思う。
そしてお昼頃になり、その先輩と食堂で昼飯を食べに行った。
その時、お互いが「Dream Theater」と言うアメリカのヘヴィメタルバンドが大好きだという事がわかり、一瞬にして意気投合したのだった。

僕はこれまで大学でサークルに所属していなかったし、クラスで毎日つるむような友人も少なかった。
大学内で飯を食べたりダラダラ話ができる友人は学年が進む程にどんどん減っていき、大学3年までには数えるほどになっていた。
クラスで最も仲の良かった奴は単位不足で4年生に上がれず、研究室が同じになることもなかった。
だからその時に感じた先輩への共感は、非常に嬉しいものだった。
僕は小さい頃から、兄貴や姉貴が欲しいと思って育った長男だったので、彼の存在はそれに近いものだったのかもしれない。

その彼は大学院修士課程の2年生だった。
そしてその後、彼は博士課程に進むことを決めていた。
大抵、大学院は修士課程が2年でその後博士課程に進む場合は更に3年程度だ。
僕の大学はそんなに難易度の高い大学ではなかった。
しかし博士課程となればは博士論文が教授たちに認められないと修了できない。
大抵は学部で4年間を過ごし、モラトリアムな意識も含めて修士課程に進む人間が多少居る。
しかし博士課程まで進むとなると殆どいない。
こんな大学で、何でそんな事までするのか、僕には理解できなかった。
東大、京大、国立や有名私立大学なら別だ。
ぶっちゃけ大したことのないこの大学で、なぜそこまで頑張れるのか全く意味不明だった。
「よくそんな事が出来ますね」と驚きを含めて話した事がある。
すると彼はまっすぐに目を見てこう言った。

「出来る出来ないじゃなくて、やるかやらないかなんだよね」
そしてもう一言。
「やらない後悔よりも、やって後悔した方がいいじゃん」
そしていつものキメ顔でニヤリとした。
「まぁ今言ったセリフ、全部誰かの受け売りなんだけどな笑」

そう言うとすぐ、彼のタバコに付き合わされた。
喘息持ちで、当時タバコに興味のなかった僕には結構厳しい付き合いだった。
「オマエ知ってるか?タバコ吸った後に甘い缶コーヒー飲むと、口臭がウンコの匂いになるんだぞ!」
彼には勉強以外にも、そんなどうでもいい事も教えてもらった。
それから僕は就職した後も、甘い缶コーヒー片手にタバコを吸う人を見るたび、彼らの口臭を危惧するようになったものだ。

中学から部活やサークルにも殆ど無縁だった僕にとって、お世話になった先輩といえばあんまり居ない。
そう思うと彼には非常にお世話になったと思っているのだけれど、思い出すのはこんなアホみたいなエピソードばかりだ。
様々な事柄や色々な人たちの影響によって、自分の人生は意図しない方向へ進んでいくものだ。
その一つの大きな影響を与えてくれた人ととして、ふと思い出しては彼に感謝することがある。
僕は彼に良くしてもらい、可愛がられた事もあって、僕も大学院へ進んだ。
特に研究がしたいという熱い想いはなかったのだけれど。
就職したくないとか、働くとしても何を仕事にすればいいのだ?とか、当時新卒の就職率が非常に悪い不況の時期だとか、母親に期待されたとか、色々と理由はある。
でも彼に勧められたってのも、実は一つ大きな理由だった。

そんな彼に、今の状況や体調を伝えにくいものもある。
なぜなら彼は今や立派な大学の先生になっているのだ。
何かスゲー差ができちゃったなぁと、落ちこぼれな気持ちになる。
しかも僕の当時の同級生は大手企業に進んでる人ばかりだし。
他人と比べても仕方ないのは分かるけど、何か自慢できるものがないのも悲しいものだと感じる。

でもあの20年くらい前のアホな研究室時代は決して無駄じゃなかったと思う。
教授の買い置きしていた大量のお菓子をこっそりみんなで食べたり。
体育館に忍び込んで、シャワー浴びて研究室に泊まったり。
陸上コートの横に長芋が埋まっているらしいという噂を聞いて、みんなで掘りおこして食ったり。
「スライダック」という出力電圧を可変することが出来る変圧器から勢いよく火が吹いて床が燃えたり、火災報知器を避けるため「ドラフト」という排気装置の中で料理したり。
酔って押した火災報知器が鳴り響いて、大問題を起こしたり。
でもあれこそが、あの時こそが、僕のようやく遅めに訪れた青春時代の幕開けだったのだろうと、今では思う。

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... we're already Reached it…

そして飛行機は着陸した。
今から20年前、僕は確かにドイツのブレーメンに居た。
それは2004年のことだ。
当時「ユーロ2004」というサッカーの大会が開催されており、ヨーロッパ中がサッカー一色だったのを覚えている。
現地のマクドナルドでは「キックマック」というサッカーを絡めたセットが販売されていた。
味はまあ普通で、値段は日本円で800円くらいだった。
雑な調理でレタスが外に飛び出していて、出来立てなのに冷えたポテトとハンバーガーだった。
「でもこれがヨーロッパ流なのかもな」なんて言いながら、純粋でアホな僕らはそれを有難く食べていた。
ヨーロッパは総じて、日本より食べ物の物価が高かった。

ドイツで自分の発表を終えてからは、楽しい数日間の思い出しかない。
ヨーロッパは1つの大陸に多数の国家があるため、列車で地続きの国々を渡ることができる。
ヨーロッパ版「青春18切符」のような「ユーレイルパス」を購入し、その後数日間で先輩たちと数カ国を周った。
そこでヨーロッパは、同じ時期でも土地によって気温や日の出日の入りまでも異なった顔をみせる事を知った。
最初のドイツは程よい気温であり、白夜の為21時くらいまで明るくて過ごしやすかった。
対して、次に訪れたスイスは日中も非常に寒く、困っていた時に先輩が服を借してくれた。
それは紛れもなく、僕の実家にも有ったユニクロのジャージ風の上着だったのだ。
あの絶妙にダサい、クリーム色に茶色の縦ラインの入ったやつだった。
タバコも甘いコーヒーも飲む彼の上着の匂いを危惧したけれど、意外にもふんわりとした柔軟剤の匂いがしていた。
翌日、スイスのマッターホルンの山頂で、4人で組体操みたいにふざけ合って記念撮影をした。
そのジャージを着て撮った写真を見るたびに、ダセー格好で調子こいてるなぁと思う。
でも若い未来ある男は、無根拠に調子こいてるくらいがいいんじゃないだろうか。
勿論見た目や格好はいい方に越したことはないけれども。

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…it's only a matter of time

そこから時はもうずいぶん経過した。
時代は驚くほど変わった。
僕の中の立場も、価値観も、正しさも。
僕の友人も、人間関係も、彼女もどんどん変わっていった。
去り、別れた人の方が、今では多い。
そして今、あまり感動も躍動もしない、ずいぶんダサい男になってしまった気がする。
今の自分を知ったら、あの時の自分はきっとがっかりするだろうな。
ダサいジャージでダサい髪型で調子乗っていた当時の自分。
いつか何か成し遂げるのではと、無根拠な自信と希望に満ちていた自分。
ダサかったけど、意外とあの頃の自分って好きだったな、と思う。
輝いていないけど、いつかもしか輝けるかもって感じで生きてた気がする。
あの頃が懐かしく、恋しく思う昨今だ。
僕もまた、あんなふうに挑戦できるのだろうか。
ドキドキとワクワクで満たされて息も出来なかったあの頃。
そしてあのダサいジャージ風の上着は、今も実家にまだ残っているのだろうか。

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