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タイム・フォー・チェンジ。
ちょうど2年前の今日、僕は初めて会社に辞める意向を伝えた。
その日僕は、まだ数日前に管理職になったばかりの上司にその話を告げたのだ。
その課長は、数日前まで僕の同僚だった男だった。
そんな出世して間もない彼が、慣れない仕事を抱えて奔走している、4月の初めの事だった。
僕が彼と話をしたのは、夕方だった。
その日は定時までの仕事で残業もなく、この後は着替えて帰るだけの時に彼を捕まえた。
昨日も一昨日も、どのタイミングで言おうか伺いながら、僕は勇気が出ずに伝えることができなかった。
しかしまた、このまま来週、再来週になれば出張続きの生活が再び始まってしまう。
そうしたら忙しくなり、タイミングを逃してしまう。
そうなる前にケリをつけたかった。
僕はこの数年間、出張ばかりだった。
もっと言えば、この会社に入って2年目から、出張ばかりだった。
だからまた、今年度も出張ばかりの日々になるのは予想ができた。
4月の出張スケジュールが組まれる前に、色々とはっきりさせたかった。
それによって会社や上司が困るなんて、当時の僕には関係なかった。
でも一緒に仕事をしている周りには迷惑をかけたくなかったから、この状況を早く先に進めたかった。
僕らは夕方の食堂に二人で居た。
定時終わり間もない、5階にある食堂には僕らしか居らず、静まり返っていた。
部屋の壁一面にある窓からは、オレンジ色の夕陽が差し込んでいた。
もう少ししたら、着替えを終えて帰る人や残業の人たちが食堂に来て、軽く休憩を取る頃だろう。
そう騒がしくなる前に、この二人だけの空間で、ちゃんと話をしたかった。
だから僕は、早めに結論から伝えようとした。
その時の僕の声は、緊張で震えていたと思う。
こわばった目つきは鋭く、彼を睨むように見ていたと思う。
彼も深刻な話をされる事を予感していただろう。
こんな風にひっそりと話をするのは、深刻な話だってのは分かった筈だ。
恐らく辞めるとか、また体調不良で休職するとか。
何れにしても、いい話では無いのはすぐに勘づいていた筈だった。
そして僕はついに、これまで考え尽くした、納得してもらえるような退職理由を伝えた。
勿論それは本当の事だったし、嘘は一つも無かった。
嘘では無いけれど、でもそれだけが本当の事では無かった。
彼に告げた直後、彼の顔には、落胆するような寂しいような表情が見えた。
そして当たり前だけど、この決断を考え直すよう諭された。
数年前に会社を辞めて現在苦労している、別の同期のヤツの話をされた。
上司としてなのか、同期としてなのか、それは彼なりの優しさだったのだと思う。
僕は会社から歩いて帰る道の途中にいた。
自宅まで歩くと、1時間ほど掛かる長い道だった。
その間ずっと僕の心は、達成感で溢れていた。
ようやく伝えられた、ようやく言えたぞ。
そこに、全く後悔はなかった。
この会社に入って、この会社で僕が本当にやりたかったことは、この会社を辞めることだったのだと、はっきりと自覚した。
やり残したことはあったし、全然完璧な社員ではなかった。
なぜだか僕は、完璧になるまで辞められないと、意味不明な呪いで自分自身を縛っていた。
あんなに期待されていた新入社員だったのに、いつしか期待外れのイチ社員になっていた自分。
その自信の無さは、本心の周りを覆う年輪のように年々分厚くなっていった。
入社して十数年経つ頃には、分厚い壁で覆われてしまった僕の本心は自分自身でも見えなくなっていた。
いや、実際は見えてはいたが、その壁を打ち砕く事なんて出来ないと思っていた。
でもそれは結局僕自身の問題だったんだ、会社が悪いんじゃあなかった。
もっと努力できたこともあった。
もっと妥協できたこともあった。
もっと貢献できたこともあった。
でも僕はそれら全てを投げ捨ててでも辞めたかった。
もう全てにうんざりしていた。
もう体力と気力が限界だった。
もうやりたくなかった。
辞める理由なんて、本当のことを言えばそんなモンだった。
夕方から夜にまたぐ頃、家まであと僅かの辺りだったと思う。
携帯電話を見ると、LINEからメッセージが一つ届いていた。
そのメッセージをくれたのは、当時付き合っていた彼女だった。
彼女とは出張で会えないことが続き、年始早々に揉めてからは更に不穏な関係になっていた。
年始からこれまでの数ヶ月間、僕は客先のトラブル対応に追われ、自宅より地方のホテルを転々とした期間の方が長かった。
そして僕はその間、揉めた原因について謝罪する彼女と殆ど連絡を取ろうとしなかった。
出張中で勿論、彼女と会う時間も余裕も無かった。
それは表向きの言い訳だけれども。
彼女からは、この状況に疲れた、もう面倒になったので別れようという内容の文章が送られていた。
それは、結構な長文だった。
このメッセージ一つで連絡の全てを完結させたいという、強い思いが汲み取れた。
でも別に、それで良かった。
でも別に、未練は無かった。
なんだか今日の行動は、全てが一連に繋がっているように思えて笑ってしまった。
仕事を辞め、彼女と別れる。
これで、これまでの事は全部終わる。
今日で、これまでの人は全部離れる。
そして、明日からは全部変わる。
僕はあまり悲しくなかった。
失恋も別れも、この出張続きの仕事の中でとっくに慣れていたからだ。
前の彼女も、その前も、出張や不条理な仕事内容に気持ちが沈み、疲れて別れていた。
過去には結婚を意識する時もあった。
過去には結婚してと言われた時もあった。
でもずっとこの職場の中で、去年も今年も出張ばかりでプライベートは優先できず、気持ちと体力は常に疲弊していた。
正直に言えば、ひとつ楽になったと思った。
嫌いになった訳じゃないけれど、気持ちは大分冷めていた。
仕事のこと、恋愛のこと、家族のこと、人生のこと、、、。
全てを同時に上手くやれるほど器用な男じゃない。
そんな奴だったら、今頃出世して結婚して家庭を持っていただろう。
僕は彼女に簡単なメッセージを送った。
別れることに同意なこと。
ずっと連絡せず曖昧な状況のままであった事の謝罪。
そして今までについての感謝。
、、、、、『送信』。
その一つでこの関係は全て終わり。
仕事もそれなら良かったのに。
それなら十数年間、毎日悩まずに済んだだろう。
これで、明日からは全て状況が変わる。
見た目は何にも変わらないけれど、僕は明日から全部が変わるように感じた。
本当のことを言えば、世の中で変わらないモノは何ひとつ無い。
何ひとつとして、同じ瞬間は無い。
変わらないモノですら、「変わらずに在り続ける」という変化をしているのだ。
でも妥協してそこに身を委ねている間は、死んだ時間が永遠に流れているだけだった。
ようやく僕は自分で動いた、そして変えた。
線路の分岐点で、スイッチを切り替えたのだ。
身体にブルりと、不安と緊張が走った。
でもそれ以上に、ワクワクもあった。
変化のとき、それは今だった。
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