日本映画におけるテレビとの関係性

こんにちは。
今回は日本映画界が有する課題ではないかと考えたことをひたすらアウトプットするだけの記事です。

これをどんな方が読まれてるのかはわかりませんけど、皆さんは最近の邦画って好きですか?

正直に言って、自分はあんまり好きではありません。それをなんでかなーって考えてたら思いの外規模がデカくなってきたのでこうして記事にしてるというわけです。

早速内容に入りましょう。

邦画とテレビとキャスティング

まず、現代日本映画におけるキャスティングです。最近は人気な俳優さんたちが主要キャストを占める作品が多くあるように思います。そしてそれはジャンルを問いません。恋愛映画だろうと、少年漫画の実写化作品であろうとだいたい起用される俳優は人気かつ美形な方が多いです。

これは明らかにその俳優たちのファン層を狙った商業的な目的があると思われます。

もちろん、映画作品を作るにあたって興行収入はとても大事です。作品を作るたびに赤字を出していては話になりませんからね。

しかし、ここにおいて日本のテレビ文化との関係があるように思います。それは、俳優たちへの感情移入が難しいものになっているのではないか、ということです。

人気の俳優たちは、バラエティ番組や毎週放送されるドラマに出ています。このこと、特にバラエティ番組への出演がその人をある1人の人物ではなく、タレントや「俳優」として認識し、どのような映画作品に於いても「俳優」が演技をしており、作品に登場する人物の物語として受け入れるのが難しい状況にあると考えられます。

その証拠として、2018年公開の「カメラを止めるな!」が挙げられます。この作品は、所謂人気俳優を起用せず、低予算で作りあげられた作品です。それにもかかわらず、口コミなどで話題となりかなりの興行収入を納めました。

また、これは主観なので皆さんの意見は分かりませんが、他の現代邦画作品よりも人物たちへの感情移入が簡単だったように考えられます。演技を見せられている、というよりは主人公の人生のワンシーンを見ていたという印象を受けました。それは、主人公がいわば現代社会の波に流されている我々一般人と同じような境遇にあったことが理由の一つとして考えられますが、それ以上に見たことのない俳優さん(こんなことを言ったらとても失礼なのは承知しています。でも事実なんや…)がスクリーンで演技していることによって名もなき大衆の1人であることが強調され、観客に親密さを植え付けたのではないかということが考えられます。

さて、話を戻しましょう。以上のことを踏まえたうえで言うなれば、現代の人気俳優はそのスター性を安売りしているのではないか、ということです。人気俳優だから映画に起用され、映画に起用されるからテレビに出演する。するとまた人気が出て新たな作品にも出演する…といった循環がなされていることによって彼ら自身の映画人としての価値は薄れていっているのではないかということです。

考えてもみましょう。黒澤作品にてかなり多くの出演を果たした、世界のミフネこと三船敏郎もかなりの二枚目俳優ですが、現代の俳優たちのようにどのようなメディアにも引っ張りだこであったか、と言われればそのような印象はないでしょう。もちろん、当時の情報伝達メディアが現代のように十分に発達していたとは言えませんが。それを差し引いても、おそらく三船世代の俳優たちは彼らの映画人としての職人気質のような物を大切にしていたでしょうからメディアへの出演は少なかったでしょう。

このように、俳優がスター性は有しているのに、文化的にそれをフル活用しにくいのが現代日本映画界が抱える課題の一つです。現代の俳優たちは確かな実力を有しています。それは北野武や是枝裕和の作品が海外で高い評価を得ていることで証明されているでしょう。なぜなら、海外の人が極東の国の人気俳優のことなどわざわざ知っている必要がないからです。知らないがゆえに作品に出てくる俳優たちを1人の人間としてとらえ、感情を移入してみることができるから評価につながると考えられます。どれだけ脚本や撮影技術が優れていても俳優が大根だったら評価は得られないでしょう。しかし、我々日本人は日常で「俳優」として紹介される彼らを知っています。作品を見るかどうかの基準としても誰々という「俳優」が出演していることを理由としてしまいます。ここにスターとしての価値の低下があるのです。

邦画と連ドラ、そして「テレビ絶対主義」

次に、ドラマと邦画の関係性を見ていきます。とても興味深いことに、実写作品において最も興行成績が良かったのは「踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」です。

これが興味深い理由としては、連続ドラマの延長線として作られた映画作品が実写作品として最も優れた興行成績を収めていたということです。

ここに、テレビの偉大さが表されています。「踊る大捜査線」がいかに多くの人の目に触れていたかということですよね。毎週放送されていた作品の人気に火が付き、映画化もされ、さらに映画の続編が最もヒットするというのは素晴らしいことです。ここまで継続的に人気を維持するのはとんでもないことです。本当にすごい。

しかし、これが現在日本映画界が抱える課題をつくった決定的な要因の一つではないかと考えられます。すなわち、興行的に映画を成功させるにはテレビを通じて大衆の目に触れておくことだ、という認識が日本映画界の中で生まれてしまったのではないか、ということです。

この「テレビ絶対主義」が浸透してしまったことで、芸術作品として映画を完結させる意識が薄れ、現在の興行ばかりを気にしたかのようなキャスティングや脚本、人気作品を原作として実写化作品を制作する状況を作り上げてしまったと考えられます。人気な作品は小説であれ漫画であれ、アニメ化などで話題になってから実写映画化というのが多いように思うので、ここにも十分にテレビの影響が出ているわけです。

ただ、現在この「テレビ絶対主義」も最近は衰退しつつあるように考えられます。これは、YouTubeなどに代表されるテレビ以外の動画媒体が急速に人気を得ていたり、日々の報道に対する不信感が強まったことでテレビ自体を見ない人が増えたことに原因があると考えられます。

この現象は明らかに映画界にも影響しています。ここ最近で最も驚くべきことともいえるのが、YouTuberの方が映画に、それも主要キャストとして出演したことです。いくら人気のYouTuberとはいえ、俳優というよりは一般人に近いでしょう。彼らの演技力や作品自体の評価は、正直に言って作品を観ていないため何とも言えませんが、この現象自体が日本映画界においてはちょっとした革命のような気がします。今後「YouTube絶対主義」のようなものが流行るのか、それともテレビが勢いを取り戻すのか、はたまた芸術作品としての映画が再興するのか(これが一番あり得ないような気もしますが)とても興味深いです。

最後に

以上のことが、日本映画とテレビがいかに関連しあっているか、また、関連していることでどのような影響があるのかということの関しての私なりの考察でした。

現在、日本の映画産業は、かなりの危機に瀕しています。理由として、日本に映画の文化が根付いていないことを挙げる方もいますが、私はそうは思いません。根付いていたものを取り払ってしまったことが原因だと考えているのです。黒澤明や大島渚など、世界に誇れる映画人が日本にもいました。しかし、時間の経過とともに映画作品が有する芸術性よりも、資本主義の流れから仕方がなかったとはいえ、商業的な側面が強調され、商品として人々に娯楽を提供するだけの存在になってしまった、もしくはしてしまったことが原因なのではないでしょうか。

日本の映画産業を復活させるためには、改めて映画の芸術性に触れ、映画が本来的に有していた価値を再認識する必要があると思います。


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