『シャッターアイランド』をつむぐ。

本当は3月に上演予定だった、初主催一人芝居の題材である『ロボトミー手術』。やっぱりあの話を完成させたい。そう考え拝見したのがこの作品。

一言でこの作品のことを言うならば、「人間の思い込みは他人も自分をも殺す」。

人間の思い込みというものは強い。思い込みには様々な作用がある。時に自分への自信に、時に暴力的になったり。学生時代に定期試験を「自分はできる」と思い込みながら受けたり、「自分の頭の悪さは親譲りだ」と考えていたりした思い出が、誰しも一度はあるだろう。思い込みというものは良い方向にも悪い方向にも自分を動かすことができる、もっとも強い武器である。

だが、それ故に非常に扱いが難しいものだとも言える。一歩間違えると最悪な事態に発展してしまいかねない。巷で聞く殺傷事件にも、見ず知らずの人間に危害を加えた犯人が「あいつが自分の悪口を言っていたから」と供述していることがある。全く事実でないことも、その時の状況や調子、気分、相手の仕草などで自分の都合の良いように解釈する。自分が見て聞いて感じたことでなくても、その人物にとって紛れもない『事実』になってしまうのだ。
人間とは何ておもしろい生き物なのだろう。

その全ての『事実』を司るのが、脳である。全ての感覚、感情、痛みや絶望まで、脳が関わらない事象は全くない。強いて言うなら不随意筋である心臓くらい。脳はすごい。自分が考えていると感じていないときでもずっと動いている。睡眠時もREM睡眠時以外は延々と何かを処理している。自分が何もしていない時でもだ。それだけ自分の身体を支配している脳を、思い込みでいっぱいにするとどうなるだろうか。それはあなたが予想する答えと相違ないだろう。

この作品の主人公は、自分が信じたくない世界を思い込みで塗り固めた。その結果精神科病院に入院することとなり、2年という時を過ごす。その間も自分は愛する人物を殺された被害者なのだと、被害妄想をより一層強くする。その描写から、人間の思い込みの根元は自分を守りたいということなのだと感じた。自分が居なければ自分は今ここに存在しえない。自分は自分が守らねばならないのだ。例え事実と違うことでも、誰かを傷付けてしまうことでもそれで良いのだ。嘘で固めて自分を守ることができるのならば。

そこでふと考えた。
この思い込みの強さを目標や夢に活かせられるならば、わたし最強じゃね?

主人公は過去の辛い経験をきっかけに強い思い込みを持った。それならば、わたしは最高にハッピーな経験から思い込みを強められればいいのではないか。
わたしは小学6年生のとき、授業で行った舞台で母にとても褒められた覚えがある。それも一度だけではない。中学1年生と2年生で行った英語劇でも、保護者からいたく褒められた。その経験から、「わたしは将来俳優になるんだなあ」と思い込み、現在も細々と表現者を続けている。
また、メディカルコンサルタント時代に培った丁寧な言葉や仕草も、医療者に戻った今改めて褒められ、自分の糧となっている。
他人の言葉に惑わされるなとは良く言うが、他人の言葉のお陰さまで自分の士気を上げて高められるのなら良いことなのではないかと考える。勿論、モチベーションは自分で管理すべきだし他人を巻き込むことではない。だが、過去の経験をもとに自分は素晴らしいと思い込み、この世の中を這い上がっていけるわたしは最強だし最高にハッピーだ。

この映画を拝見し、見事な伏線回収に舌を巻きまくった。だがそれ以上に、わたしの人生の道標になった気がする。
これからも選択肢を増やしつづけ、自分をだいすきでいられるコマンドを選び続ける。

もし、自分が嫌になって人生を終わらせたくなったとき、この作品を見返したい。きっとその時も、最強で最高なわたしはすてきな思い込みに囲まれてしあわせなんだと、改めて感じるはずだから。

自分だけは殺さずに、いきていく。


名前もしらないあなたへ、またみにきてね。

ごはん代になります。