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ひとに人生相談をするんじゃない。
君の人生だ。
昨日、こんなご時世の中で友人に呼び出されて人生相談をされた。
十分に距離をとって、マスクをはずさないまま並んでベンチに腰掛ける。
「最近、終電まで残業続きで。もっと自分に向いてる仕事があるんじゃないかなって、転職を考えてる。君は独りでそういう仕事してるから、どんな感じか聞きたくって」
自分は、人生を人に偉そうに語れるほど余裕を持って生きていない。
毎日、明日はどうしよう、これをしたらこうなるかな、とか、〆切とか、渇望とか、底のない欲が頭をよぎっていくなかで毎夜生きている。それを目の前の友人に伝えてもたぶん、なにも響かない。
こんな時代に。うるさいからテレビをつけず、目の周りの情報を進んで遮断していった僕らの世代。ネットで好きな情報だけを選んで摂取していった、いま、20代から30代の世代。
好きなことをして生きていくことが美しいと思っている世代。
たぶん、それは夢だ。
好きなことは、ずっと続けている。無意識に。仕事に結びつかないことかもしれない。人を愛する才能とか、優しさとか。仕事にするしないは運で、仕事にできることならばそれで対価を得る。それを決められるのは自分しかいない。失敗した責任は自分にしかとれない。
この時期に、社会と向き合って情報を取り入れ咀嚼し、意思を持つひとならば、一個人の働きかたにかまっている場合ではないと考えるだろう。だが、自分を含め、自分の世代は自分のことしか見えていない。
もっと広く興味をもってくれ、と悲しくなった。
自分には優しさがないので、「そりゃ、君の好きなように生きるべきだよ」と助言した。友人は満足そうに、「やっぱ、そういってもらえると嬉しいな」と答える。
友人の好きなものは流行りでうつりかわり、万人が好きなもので、万人並みのセンスだということもわかっている。自分だけでなく、友人たち全員わかっているだろう。”このひとは、普通の人だ”と。
特出した才能がないかぎり、9割9分のひとは”普通の人”だ。みんなの意識にも残らない。そういうひとは、人に判断をゆだねる。耳障りの良い言葉が返ってくる。
君の責任を、人生を、ゆだねてはいけない。
おねがいだから、もっとたくさんのことを知って、感じて、今を生き抜いて。
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