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ロックダウンで巡り合った奇妙な共同生活

今日が、フィリピン最後の日です。

「地球最後の日」みたいな言い方しましたけど、ただ今日、日本に帰国するだけです。

去年の11月10日、初めてフィリピンに上陸しました。これから入学する予定の学校に頼んでおいた送迎バスに置いてかれ、周りのフィリピン人に話しかけることもできず、空港を1時間も右往左往した初日が、今となっては、懐かしい。

偶然にも、今日は4月10日。

まるっとぴったり5か月間、この国にいました。

「とうとう帰るのか」と思うと、めっちゃ感慨深いです、今は。でも数日前までは、ここまでの居心地の良さはありませんでした。最近1か月の動きと、ホステルの登場人物を紹介してから、最近のできごとを一つ話します。

1か月間の変遷(フィリピン・ルソン島)

3月1日にこのホステル『Katrina’s Dorm』に来ました。
その時すでに月末に出国する航空券を持っていたので、1か月はフィリピンにいようと思っていたけれど、もっと田園地帯に行こうかなとか、海の近くに行こうかなとか、拠点は複数検討していました。「卒業した学校にも近いし、とりあえずターラックに」という気持ちで来たはずが、最後までいることになろうとは。

3/1 Katrina’s Dormにチェックイン
3/7 海に遊びに行く
3/9 日本から友達が来て遊ぶ
3/14 熱気球イベントが当日中止(開催市内でCOVID-19患者が出たため)
3/15 マニラでロックダウン開始
ーー(ここから環境が一変していく)ーー
3/17 ルソン島全部でロックダウン開始
   外国人は72時間以内に出ないと国外出られない宣言が出る
3/18 翌日、撤回
3/19 航空会社が相次いで欠航を発表。購入済航空券はキャンセルされる
3/22 LCC全線欠航が決まる
(3/24 オリンピックの延期決定)
3/27 外出制限が厳格化、パスが必須になる
3/30 航空券を購入する
3/31 運休決定、航空券が再びキャンセルされる、帰国日を変更
   空港までの交通を確保するため、フィリピン観光局に連絡
(4/1 非常事態宣言は出さないと日本政府は言う)
4/3 出国に必要な書類を用意するため、医者から問診を受ける
4/7 医者から書類をもらう
(4/7 日本が非常事態宣言を出した。帰国者全員PCR検査)
4/10  帰国予定 ←イマココ

ロックダウンする前は、ホステルの周辺にも子供たちがいてバスケットボールをして遊んでいました。ロックダウンした後は、外出制限がかかり、街から人がいなくなりました。

ホステルの登場人物

・スタッフの女性:アテ2人
・近所の男の子(多分ゲイ)
・ミンダナオ島でビジネスをしている夫婦(Mrs.ビーンと旦那)
・アメリカのコールセンターの仕事を遠隔でしている夫婦(Mrs.レイアと旦那)
・3人のエンジニア男子
・マニラで働いていてターラックに書類を取りにきたら帰れなくなった女子(Ms.セス)
・レズビアンのカップル(うち一人は看護師)
・看護師の男性
・近所のコールセンター会社に勤務し、このホステルにPCを設置して仕事している男性2人
・日本人のわたし

暮らしているのはざっくり20人。COVID-19の施策で、突然行く手を遮られて、とどまった人たち。自由に外出もできず、キッチンも食堂も共同。意図せず集まった奇妙な共同生活をしていました。

**

お節介が苦手**

日本人が私だけ、ということもあり、なんだかみんなに見られているような気がして、自分の部屋にこもっていることが多かった日々。
防犯面も気になり、部屋の中を見られないようにと窓も開けないので、太陽光は入らず、寝てばっかりのつまらない日々が続いていました。

その生活に光を差し込んでくれたのが、レイアです。
彼女から話しかけてくれて、食堂で1時間ほど話したことをきっかけに、その後も定期的に声をかけてくれました。「おはよう」「おやすみ」「何を作ってるの?」とか。自分の仕事や夢、英語の勉強についてのことを話してきたり、ときには作った料理をくれたりもして、少しずつ構えていた気持ちがほどけていきました。

でも、はじめは居心地があんまり良くなくて。ちょっぴりお節介ともとれるレイアに、正面から向き合おうとしませんでした。

思えば私は小さな頃から親戚付き合いが薄かった。ガンガン世話を焼かれるという環境にはなかったし、そのせいか間合いを詰めて入ってこられることが、あんまり好きでもないのです。だから、最初の頃は、彼女と話した後に部屋に戻って「ふぅ」と安堵のため息をついていました。

そんな時、不意に思い出したのが、『七つの習慣』という本。
この本を書いたコヴィーさんは、読者に「主体的であれ」と言います。すべては自分の選択なのだ、と。「できないのはこうだから。やらないのはああだから」と冷静に判断しているようで、ただやれない理由ややらない理由を探しているだけなんだ、と。

……確かに。

レイアとの会話を思いっきり楽しむことのできなかった自分のコミュニケーション力不足を、認めたくなくて、「わたしはお節介が苦手」で、なぜなら「そのような環境に育ってこなかったから」と向き合わない向き合えない理由で自分を満足させられるものを見つけてきたにすぎない……。

そう気がついたのは、ごく最近のこと。少しずつ居心地が良くなってきたところで、もう帰る日になってしまいました。次に会う可能性がどのくらいあるのかわからない、奇妙な共同生活の中での出会いだったのに。

直感的に「あー、苦手だな」と避けようとするときに、「それって、本当に苦手なの?」と、自問自答していくことが自分で自分を変えられる方法なんだろうな、と体験を通じて思う今日です。


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