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Refuseの練習

海外滞在の間、決めていた生活のテーマ(のひとつ)が「Refuseの練習」。以前、自分の心理的傾向に悩んでいた時に(今もだけどね)読み漁っていた本の中にあった「きちんとNoと言うこと」=「自分へのYes」がすごく印象的で。何年経っても心に残るから、大事なことだと思ってた。でも、いつもできてるわけではなく、むしろNoと言えない日本人あるある状態だった。でも海外では意思表示をはっきりしないと騙されたり損したりとにかく生活が脅かされるのでそれもありより強くそれをやろうという毎日になった。それが暮らしの指針になり、自分の意思と責任で様々なことを選択すると、それが仮に失敗に終わってもそのことをある程度納得して引き受けられるし、外界はともかく自分はまあまあコントロールできて(100%ではないよもちろん)精神も安定してきて、日本に帰国しても続いてて。

で、先日。
こういうことがあって。

一ヶ月後くらいに、あの時こう思った、って本人に伝えた。会った直後(といってもはっきりやだなと思い始めたのは翌々日くらいから)に電話して文句言おうかなって思ったんだけど、一旦保留して、かなり冷静になってから言葉をまとめた。メッセージのやりとりだと大人だしマンスプ的ではないし、対話ができる人。だから、メッセージのやりとり、というのを選んだ。(対面や電話だと、またバーっていろいろ言われてこちらの言葉を遮られる恐れもあった。)

返信は来てないけど、私も相手からの返信(この日はありがとうみたいな簡単なメッセージ)に対して、一ヶ月かかったし、時間はかかってもいいし、たぶん返信に期待してないんだと思う。なんとなく前回会った時の会の読後感みたいなものから、もうこちらからは連絡しないな(あっちもそうな気がする)と自分の気持ちを悟った瞬間があって。もう関係が切れてもいいや、という覚悟で送った。こちらが対話を閉じるつもりはないから、あちらが反応をすれば応じるつもりだし、あちらも(本来)頭がいいはずだから反省をする可能性もゼロではないから、期待はしてないけど、一縷の望みもなくはない。友達関係を続けるために今まで違和感ありつつも我慢していたが、あきらめというか吹っ切れというか、友達だからこそ言ってみた、というのもある。とりあえず、自分の気持ちに誠実に、refuseの練習ができたのが、自分としては前進だ。友達が一人減ったとしたら残念だけど、今までありがとう、という、こう、ちゃんと関係を味わい尽くして終わった感はあるから、自分としては納得している。私も変わるし、相手も変わってくれるなら、それはそれでまた新たなスタートかもしれないし。非難というより、「次会う機会があれば、対等に話したい」その要望をメインの趣旨にしたつもり。

「対話」ができるといいなあ。

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