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A Spiral Balance

「さかちゃん、ビンゴ使って京都作ったらしいよ」
研究室で100年間の天気予報を見ていたら、よしおがそんなニュースを持ってきた。
今日のよしおは坊主頭でガタイがよく、目が蛍光黄緑に光っている。
宇宙人の司令塔みたいだ。

「なるほどね。ビンゴだったら一人でやってれば、絶対いつか自分がビンゴだもんねぇ」
「夢の中だったとしても、覚めなきゃいいわけだしね」
「さかちゃんなら向いてそうだよねぇ」
「しばらく来てないの、そういうことだったのかー」
せわしなくツーカーなやりとりは、ナリちゃんとこずえ。
二人は幼馴染で、5歳の時から一緒にいるらしい。

「ビンゴなんて、どこにあったって?」
「倉庫だって」
「あっ覚えてる、2年前のあれか!」

僕達のゼミは、1年生から4年生、だけでなく、大学院生やOBOGの出入りもしっかりある為、かなり昔のことでも誰かしら知っていることが多い。
加えて教授は、学生のマイブーム、遠足の前日の眠れない午前一時半、飲み会で最後に残った唐揚げなども全部とっておくというタイプの記録魔なので、倉庫の古い地層からよく何かが発掘される。
それが現在の研究に生かされたりする今回のようなパターンも往々にしてあるので、誰も片付けろとか整理しろなど言わないわけだ。

ビンゴは2年ほど前に、当時院生だったチヤさんが、就職先が決まった記念に置いていったのだとよしおが教えてくれた。
さかちゃんも僕もその時はまだこのゼミにいなかったが、チヤさんならね、ね、さかちゃんとうまくやってけそうだもんねー、と、ナリちゃんとこずえは二人ごちていた。
いつだってペアの二人。
相槌の打ち方も堂に入っている。
ここまでくるのもなかなか大変だっただろう。

ビンゴになったら京都ができる、か。
なるほど、さかちゃんらしい。
彼はそういう、古風でロマンティストなところがある。
ほくろも全然ないし、眼鏡のレンズも真四角すぎて、カラスに狙われているのをよく見かける。

僕達のゼミは「バランスのとり方」を研究している。
人が笑った時の程よい微笑みの返し方や、ビッグバンが起きた時の周りの星の反応、ニューバランスの新作の履き心地など。

僕の専門は「時間の流れ」についてだ。
ああ早く時間が過ぎてほしい、未来のある地点までワープして待っていたい、とか、逆に、この時が終わってほしくない、いつまでもここにいたい、という時に使用できるようにするのが最終目的だ。
勿論そんなことは僕一人だけでは無理なので、同じ研究をしている世界各国の学生や研究者と協力し合っている。
この研究を、とんでもないことだ、人間が時間を操るなんて、と憤る人もいるのだが、僕はそうは思わない。
適した服のサイズが体型で違うように、適した時間の流れも人それぞれのはずだ。

最初はドキドキして緊張して、落ち着かないような事柄でも、時間が経つにつれて何でもない日常になる、なんてことは誰にだってある。
それを、ずっとドキドキしていたい人はそこで留めておくし、早く日常にしたい人はそこまで時間を早送りする。
どちらがいいか、自分に向いている方を選べるというわけだ。

坂を上るには頼りない風だけど、嵐が来たところで飼い慣らせるわけもなく、自分にとって「ちょうどいいこと」というのは自然にはそう起こらない。

昨日と今日の境目を自分で決めることは、大切なことだ。
太陽が上がったり下がったりするタイミングなんかに合わせないで、皆もっと自分に合った時間で生きるべきなのだ。
これが実用化されれば、多くの命が救えるようになる。
大切な家族や友人や恋人や、ひいては人類を守る為に、僕は昼も夜もなく研究に取り組んでいる。
僕だけではない、どの研究者だってそうだろう。

何事も「全部」とか「皆同じ」というのはバランスが悪い。
いきすぎてブレーキが効かず、壁にぶつかった生卵のようだからだ。
卵は壁を通り抜けられない。

ところが最近、壁を通り抜けられる卵を開発したとアメリカのチームから発表があった。
実用化はまだ先らしいが、さすが、この手の研究をリードするのは大体アメリカなのだ。
対して、ナリちゃんとこずえがやっているような、コミュニケーション系の研究はやはりヨーロッパ圏がイニシアチブを握っている。
では日本の武器は何かというと、どの分野においても、独特の発想力と粘り強さ、だろうか。

さかちゃんの今回の研究も、日本独自のものだと業界では高く評価されるだろう。
まさかビンゴゲームと歴史的価値の古都・京都のハイブリッドなんて、そうそう思いつかない。
先を越されてしまったな、という焦りが胸を掠める。
が、それより、やったな!おめでとう!という気持ちの方が遥かに強い。

さかちゃんの家系は代々、ペンギンを渡り鳥にして飛ばしている職人だ。
研究職志望のさかちゃんは、そんな一家の中でとても浮いている。
長年のそんな状況を経て、肩身が合計30cmは狭くなるほど頑張っていたのを僕は知っているからだ。
お祝いに何を贈ってあげよう、やっぱり失った肩を補強する肩パットかな、と考えながら、僕はその日、眠りについた。

**********

今朝のよしおは、爽やかで頭のいいニュースキャスターみたいな顔をしている。
「どうしたの、その顔。珍しいね」
「ああ、今日は高江さんと会食だからさ」

よしおは、外見をその時その時で適したものに変える研究をしている。
どういう場所に行くのか、誰と会うのか、といったベースに加え、気温、湿度、風向きなんかも加味してその日の見た目を決めているのだ。
清潔感にこだわる高江さんが相手なら、そりゃこの顔で正解だろう。
そういう勘も鋭いのがよしおの才能の一つだ。
学生ながら商才もあるので、ゼミの資金調達も一手に担っている。

よしおの研究に対して、昔、教授がこんな風に突っ込んだことがある。
「そんなに顔を変えすぎて、本当の自分が分からなくなっちゃったらどうするんですかー?」
あれは笑った。
自分に本当も嘘もないし、もし仮にあったとしても何も問題ないなんてことは、もう何百年も前に証明されている。
今更それを研究する学者なんかいない。
教授にそういうユーモアがあるのも、僕がこのゼミに決めた一因だ。

よしおの研究はもうほとんど完成していて、マウスでの実験も、副作用も脳の異常もなくクリアしている。
後は人間で治験し、合格すれば商品化に向けて動き出せるのだが、申請内容は何も問題ないのに医局の方で書類の処理が遅れているらしい。
あそこはしょうがない、いつもそうだ。

「よしお、何か疲れてないか?」
「分かるか、やっぱり」
「うん、でも、医局の遅れはいつものことだ。元気出せよ」
「ああ、いや、そっちじゃないんだ。別件でちょっとな…」
「別件?」

よしおがこんな風に、歯切れが悪いのは珍しい。
いつも思ったことをバシッと表現する方なのに。

「うーん、お前ならいいか。いや、ちょっと前にうちの叔母が亡くなったのは知ってるよな?」
「ああ、うん。心臓発作で突然…だってな。お悔やみ申し上げるよ。僕だって世話になったのに…」
「それがな…叔母の遺品から『手書きの日記』が見つかったんだよ」
「『手書きの日記』って…嘘だろ!叔母さん、そういう仕事してたのか?」
「してなかったから、騒ぎになったんだよ」
「それは……『文字』ってことだよな?」
「当たり前だ、『絵』なら何の騒ぎにもならないだろ」

そうだ、センターで訓練を受けた人間ならまだしも、「文字」を「手書き」するなんて、普通はまず耐えられない。
手や指の筋肉への圧力も、脳や神経にかかる負担も、並大抵のものじゃない。
しかも、日記だなんて…
絵ならともかく、毎日文字を手で書くなんて、どう考えても一般人には無理だ。

「言葉」は弾丸だ。そんなに軽いもんじゃない。

今の人類は「絵」や「図形」を使って他人とコミュニケーションをとっている。
だから「言葉」というものは使わない。

全ての人間は、生まれてすぐに脳に通信機器のデバイスを埋め込まれる。
そして頭に「絵」を思い浮かべると、それが他人の脳の中のデバイスに瞬時に接続されて、相手に伝わる。
脳内のイメージなので視力は関係なく、目の見えない人も問題ない。
最近では、既にデバイスが埋め込まれた状態で生まれてくる子供もいる。
生物の適応能力というのはよくできたものだ。

昔の人類は、今の人類と比べて手首や指の筋肉が太く、喉も強靭で肺も大きく、血管の数も多かった。
耳の構造や神経回路の接続の手順も、今とは全然違う。
今の人類は「文字を書く」ことや「声を出す」為の筋肉や神経が退化して、ほぼ無くなっている。
その代わりに空間認識能力が大幅に発達し、「見る」ことで他人の考えを感じとるようになった。

黄色と黒の縞模様で危険を表すというのは何千年も前から使われている信号だが、それをもっと進化させて便利に使っているのが今の人類だ。
「いつも黄色い服だから、この人はカレーが好物なんだな」
「秒速5cmで歩くということは、恋をしているんだな」
「お茶漬けを勧めてくるなら、そろそろ帰った方がいいんだな」
そういうことが、誰でもすぐに理解できる。
だから「言葉」は必要ない。

脳内のイメージは、他人の脳内デバイスだけでなく、タブレットやデスクトップの画面に表示することもできる。
一度に多くの人に同じことを伝えたい場合は、こちらの方がいい。
接続するデバイスの数があまりに多いと、誤差や遅れが生じることもあるからだ。

手で直接絵を描くことも、たまにやる。
ほんのちょっとしたメモや、伝えたい内容があまりに少ないもの、自分だけが見る為のものなどは、サラサラッと描いてしまうこともある。
今の人類の手は、絵を描くことは普通にできる仕様になっているので、不自然なことではない。

だが、文字となると……

九百年ほど前、このコミュニケーションのシステムが始まった頃は、「言葉」を「絵」に「翻訳」するのにかなり時間がかかり人類は大混乱を極めたようだが、今ではそんなことは想像もつかない。

このコミュニケーション方法に転換してから、どの国の人ともスムーズに意思の疎通が図れるようになった。
絵や図形は万国共通だ。
英語、中国語、スペイン語、日本語…いちいちそんな風に分ける必要がない。
昔の人類はなんて大変だったのだろうな、と思う。
生まれた国が違うだけで、コミュニケーションに難が出てしまうなんて。

各国の言語の中でも日本語は特に珍しく、「ひらがな」「カタカナ」「漢字」という3種類の文字を組み合わせて文章を作っていたらしい。
なんだってそんな入り組んだことをしていたのだろうか。
たまに海外の研究者から「さすがスリーレターを使い分けてた民族だ、ややこしい考え方をするぜ!」みたいな冗談を飛ばされたりする。

一応、「言語は文化だから遺産として保護しましょう」と国連で決定されている。
各国に言語管理センターがあって、それぞれの国で使われていた言葉の資料を保管すると同時に、言葉を扱う訓練を行なっているのだが、それを受けられるのは厳しい適応試験を合格した人だけだ。
しかも、年間何人も募集があるわけではない。
10年に一度、3人、とかそのレベルだ。

応募自体は年齢制限もなく誰でもできるし、学費がかかるわけでもないのだけれど、普通の人間はまず、言葉を習得する為に時間を使うほど暇じゃない。

適応試験も、無理難題ばかりだ。
神経回路が「言語」に耐性があるか、手や指の筋肉は「文字」を書くのにむいているか、喉は「声」を発する才能があるか。
今の人類の人体構造はもう、そういうことに能力を使えるように組まれてはいないので、空を飛ぶ方がよっぽど簡単だ。

そうした厳しい適応試験をくぐり抜けて選ばれた人間が訓練を受ければ、「文字」から「文章」を構築できるようになり、「声」を使って喋ったり、手で「文章」を書いたりと、「言葉」を扱えるようになる。 

特に優秀な人材は、よしおの叔母さんのように日記を書いたり、文章を読み上げたりする言語保護の仕事に就くことができる。
そういう仕事があるというのは知っているが、普通の人間の体感では「言葉」というものは存在しないと言っていい。

実は僕は、センターで言葉の訓練を体験したことがある。

僕は時間のバランスを研究しているので、過去の人類が言葉によるコミュニケーションにどれくらい時間をかけていたのかを知る為に、センターを取材したのだ。
その時は、相互交流を研究テーマにしているナリちゃんとこずえも一緒に行った。

あの訓練のハードさは、今でも忘れることができない。
ほんの数時間体験しただけなのに、僕もナリちゃんもこずえも、その後三日間は寝込んでしまい、ろくに食事もとれないほど疲弊してしまった。
特にこずえなんて、ショックが大き過ぎたのか、ナリちゃんの手を無理やり掴んで流れる水を浴びせ続けるという奇行に及んでしまったほどだった。

大体、「言葉」なんて、情報を得るのに時間がかかりすぎる。
「絵」なら一瞬で多くのことを伝えられるし、解釈違いもなく合理的だ。
「言葉」は神経を圧迫し、胸元に深くめり込んで、必要以上に重たいのだ。
僕はそれを、センターの体験だけでも充分に理解した。
あんなものにいちいち向き合っていたら、時間のロスも甚だしい。
あの時僕は、より一層自分の研究に邁進する意志を固めたものだった。

だから、よしおの叔母さんが何の訓練もせずに「言葉」を使えたという話は、にわかには信じられない。
けれどよしおは、わざわざそんなつまらない嘘をつくようなやつじゃない。

「誰も知らなかったのか?日記のこと」
「知らなかったよ。家族も親戚も、職場の知り合いとか友達も、誰も」
「だって叔母さん、あんなに顔が広かったのに」
「な、よく隠せたもんだよ。地底とか配管の中だって出入りしてたし、雨やタンポポにも友達がいたんだぜ」

僕は、叔母さんに何回か会ったことがある。
研究と両立できるバイトを探していた僕に、うちの叔母ならいいところを知ってると思うよ、とよしおが紹介してくれたのだ。
お陰で僕は、ロウソクが消えるか消えないかという絶妙な力加減で息を吹き続ける、というバイトにありつくことができた。

叔母さんはパワフルで豪快で、色んなことを知っていて面白い人だったけれど、まさか日記を書いていただなんて、あまりにも予想外すぎる。

「旦那さんもびっくりしたろう、そりゃ」
「びっくりなんてもんじゃないよ。長年連れ添った奥さんが、こっそり日記を書いてたなんて」
「でも叔母さんって、ちょっと変わったところがある人だったじゃないか」
「まあ、多少はな。でも、音楽が好きとかその程度だよ。まさか日記なんて、そんなこと…」
「確かに、思わないよなあ」

音楽を好む人というのは、そこそこいる。
だが体に負担のかかるものなので、聴覚が音楽に対して耐性のある人向きの限定された趣味、という感じだ。
学年で1〜2人はそういうやつがいたかな、というような。
同じゼミでも、そう、さかちゃんは音楽が好きで時々演奏会にも行っている。

また、演奏ができる人というのもそんなに多くはいない。
腕の筋肉や肺の使い方に、特殊な能力が必要だからだ。

動物の鳴き声、機械の起動音、水が一滴づつ落ちる時の波紋の響き……そういうものを聴くのと、音楽を聴くのとでは、耳の使い方が全く違う。
僕は残念ながら音楽を聴ける才能がなかったようで、どの楽器の音を聞いてもあまり楽しいと感じない。
メロディというものが何故こんな風に変化を繰り返していくのか理解できないし、耳から入ったその音を頭の中でどう追いかけていいのか分からない。
それなら、カチカチという時計の秒針の音の方がよっぽどきちんと処理ができる。

昔は音楽の中に「歌」というものがあって、それは「声」にメロディと同じような調子をつけ、速度を変えながら連続させ、そこに「言葉」を乗せたもの、らしい。
音楽が好きな人の中には「いつかの『歌』を聴いてみたい」という思いを抱えている人もいるのだそうだ。
まあかなりの少数派で、それこそごくごく一部の変わり者だけどね、とさかちゃんから聞いたことがある。

いや、もしかしたら…叔母さんは「歌」を聴いてみたいと思っていたかもしれない。
なにせ日記を書いていたのだ。
歌に興味を抱いていたとしても不思議はないし、手で文字が書けるなら声を発せた可能性も高い。

一切のトレーニング無しに言葉を扱える人間がいたのだとしたら、これは大変な事態だ。
まず、本当に叔母さんはセンターの訓練を受けたことがなかったのかを厳重に調べ上げ、これは叔母さんだけの特殊ケースなのか、神経回路や筋肉はどのように発達していたのか、今後もそういった人類が生まれてくる確率は何%なのか、慎重に調査する必要がある。
今では廃れた機能である「言葉」を、もう一度扱う世界がくるかもしれないのだとしたら、人類のバランスは根底からひっくり返ってしまう。

「それで、どうしたんだ?その日記と、叔母さん。こんなに貴重な事例は、まずないぞ」
「いやーだからそれが、揉めてるんだよ。俺は日記も遺体もきちんと保存したうえで国に連絡するべきだと思うんだけど、全部黙って処分した方がいい、って意見が親族の大半でさ」
「うわー、参っちゃうよなあ。これがどんなに価値のあるサンプルか、分かってないんだ」
「そうなんだよ、遺体だって、普通に因数分解して空気中にばら撒くなんてあり得ないだろ。隅々まで調べてみなくちゃ」
「当たり前だよ。遺体の損傷はどの程度なんだ?」
「幸い脳はほとんど残ってるし、口や手足も無事だったんだ。心臓は溶けて無くなってたけど」
「溶けて無くなった?心臓が?」
「うん。それが直接の死因だったんだけど、心臓が圧迫されて破裂した形跡があったんだ。で、遺体をレントゲンに通してみたら、溶けて無くなってた」
「どういうことだ…?まあでも、心臓は無くてもいいだろ。言葉を扱う部分に関して調べるんだから、関係ないよ」
「まあな。それでさ、研究の資料にしたいから日記も遺体も譲ってくれないかって交渉したら、故人に何する気なんだって親戚一同から白い目で見られるし、親はどうしてお前はそんな残酷なことをって泣き出すし。もう俺、やんなっちゃってさあ」
「そりゃあ勿論、遺体はキレイに埋葬したいっていう気持ちは分かるけどさ。でも今回はさすがに、訳が違うだろ。僕も何か協力できることあるか?僕達みたいな研究者と一般市民って、やっぱりちょっと感覚がズレてるっていうか、壁があるんだよなあ。どっちが悪いとか偉いとか、そういうんじゃなくてさ」
「そうそう、そうなんだよ。お前は分かってくれるよな」
「そういや、あのニュース見たか?アメリカのチームの」
「ああ、壁を通り抜ける卵のやつだろ。凄いよな、あれ」

よしおの叔母さんが亡くなってしまった今、彼女がどうやって言葉を習得したのか、全てが謎だ。
だから研究するしかないのだ。
この謎を前にして何もしないなんて、そんなこと、研究者としてできるわけがない。
現代社会の抱える問題に、僕達は一丸となって取り組むべきなのだ。
よしおのご親族と揉めたくはないが、人類の未来の為には致し方ないことかもしれない。

叔母さんと日記が研究材料として手に入れば、僕達のゼミにとってどれほどプラスになるか計り知れない。
教授も諸手を挙げて喜ぶはずだ。
ことチヤさんの職場やナリちゃんとこずえの研究は、飛躍的に進展するだろう。
いや、僕達のゼミだけじゃない。
どの国の研究者だって、喉から手が出るほど知りたいに決まってる。

だが、このことを皆に教えるタイミングはよく考える必要がある。
またこずえがショックを受けて、ひばりをナイチンゲールだと勘違いしてしまったりするかもしれない。
バランスについて研究している僕達がそんなことになってしまっては、本末転倒だ。

と、ここまで思考を巡らせて、僕はふと思い当たった。
そうか、バランス……
バランスだ。

人類にとって「言葉」はあまりに難しい。
コストパフォーマンスが悪すぎるから、これを放棄しようと決めた昔の人類の判断は正しかったと思う。

けれども叔母さんにとっては、もしかして、「言葉を書くこと」が「自分のバランス」だったのではないか。
そしてそれが、何かのきっかけでうまくいかなくなり、心臓にダメージを与え、死に至った…。

僕は思わず首を横に振った。
非現実的な、極端で滑稽な推論だ。

心臓は血液を全身に循環させる為の臓器であって、言葉を司る言語中枢は脳にあった筈だ。
心臓と言葉の間には直接の関係性は認められないと、これまでの研究でとっくに判明している。
そんなことは常識だ。
何故こんなことを考えたのか、自分でも信じられないような、突拍子もない思いつきだ。

結論はまだ出すべきではない。
まずは叔母さんの遺体と日記を手に入れなければ。
よしおとはそれについて、また打ち合わせをする必要があるだろう。

「あ、そろそろ高江さんとの会食の時間だ。悪いけど行くよ」
「そうか、分かった。あ、よかったら後で、さかちゃんのお祝いについて相談にのってくれよ」

僕は急いで走り去っていくよしおの後頭部に埋め込まれた3つの目に手を振りながら、さかちゃんにプレゼントする肩パットはどんなものがいいか、相談の商品リストをよしおの脳内に送信した。















ヘッダー写真撮影地:アメリカ・ワシントンD.C.

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