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アスタリスク

書店で蝶を買った。新しい本と一緒に。

茜色や菫色に彩られたその羽根は、光が当たるとキラキラと深く輝く。

それは紙で作られた蝶だった。
と言っても、ちゃんとパタパタ飛び回るし、花の蜜も吸う。
少し羽根が破れやすいことを除いては、普通の蝶と何ら変わりはない。

蝶は僕の栞であり、読書記録であり、コレクションだった。

蝶を買ってくるとまず、透明なビニール袋から丁寧に取り出して、光に透かしてじっくりと眺めてみる。
紙の羽根は薄いけれどもしっかりしていて、不思議な光沢がある。

僕は花には詳しくないが、よく行く花屋が一軒あって、そこで蝶のための花を買っている。
その花屋は、大きいサイズの花を多く取り揃えている所が気に入っている。
それを、ブーケではなく、その時何となく目についた2〜3本だけ包んでもらう。

家に帰り、花を飾る。
花瓶は持っていないから、ワイン瓶のような形のガラス瓶に。
確かワインではなく、お土産でもらった青森のアップルサイダーが入っていたと思う。
1リットルよりは少し小さい。
口が狭いので、花は2〜3本で充分だ。
薄い水色のスリ硝子の瓶は、サリッとした手触りが心地よい。

それからそうっと、空中に蝶を放り投げる。
蝶は、水に濡れた子犬が体をプルプルッと震わすように揺れ、羽ばたき始める。

そうしてようやく僕は本を開き、飛び回る蝶を時々目の端で捉えながら、読書をするのだ。

蝶はヒラヒラと舞い、時折花にとまって羽根を休めている。
大きな花に蝶がとまっているのを見ると、自分が用意した小屋を気に入ってくれたようで嬉しい。

そうしていると、僕の部屋はシンとした井戸の底へゆっくりと沈んでゆき、空気は細く張ったピアノ線へと変わる。

窓から射し込むかすかな光も、チラチラする埃の粒も、ツンとする耳鳴りも、全ては過去になる。

僕は過去の中を漂いながら暮らしている。
本は書かれたその瞬間から置いてけぼりになるからだ。
時間の流れに乗れず、昨日にポツンと佇む道標。

ほうっておかれたままの脚立。
書きかけの手紙。
一度も使わなかった傘。

僕だけでは古くならない。
蝶と本があるから、僕が古くなる。
骨董品としての価値はない、ただ時間が経過しただけの、文字通りの、古。

多分、蝶は僕のトーテムなのだ。
僕は蝶がいると落ち着くし、蝶も好んで僕の周りにいるようにみえる。

あ、もう出掛ける時間だ、とか、ちょっとお茶にしようかな、という時には、蝶をそっと捕まえて、本に挟んで栞にする。
本の中の蝶は大人しい。
段ボールの中で眠る猫のようだ。

僕と蝶と本は、ずっとそうやって暮らしていた。

いよいよ本を読み終わると、万年筆で蝶の羽根に、日付と本のタイトルと著者名を記入する。
僕の読んだ本を、蝶に覚えていてもらうのだ。

陽にあたった羽根が脆くなってきて、飛ぶスピードが遅くなる頃には、本のタイトルもそろそろ書ききれなくなってくる。

そうしたら僕は、読書記録を背負った蝶を捕まえて真ん中にピンを刺し、標本箱に留める。
一匹の蝶に書ける記録は、大体7〜10冊といったところだろうか。
この蝶で、2,753匹目。
僕はなかなかたくさんの本を読んでいると思うし、なかなかたくさんの蝶を持っていると思う。

10年前の蝶は、古い文庫本のように黄ばんでくるし、
30年前の蝶は、紙が劣化して埃っぽいチョコレートのような匂いがしてくる。
新しい蝶も、昔の蝶も、僕には同じように大切だ。
時間の経過のグラデーションが立ち昇ってくる瞬間を、僕は愛おしく思う。

時折、蝶が飾られた標本箱を取り出し、じっと眺める。
色んな色とインクの黒が入り混じった蝶の羽根は、まるで小さな星の集まりだ。
僕が古びてきた証拠は、ここに全て揃っている。
それで何もかも、満足だった。
今日までは。

この標本箱、誰かに見せようと思ったことは、これまで一度もなかったんだけども…。

ねえ、君になら、見せてもいいかな。















ヘッダー写真撮影地:北海道・礼文島

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