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その街の地図

今、そばで舞った花びらが君の声に聞こえたのも、気のせいだったのか。

君からの手紙には、1枚の地図しか入っていなかった。
他には何もなかった。

しっかりした厚めの紙が幾重にも折り畳まれていて、広げると畳三畳ほどの大きさになり、僕の家の居間の中心はそれで覆われた。
地図としては、かなり大きい。

僕はその地図を俯瞰する。
君が住んでいる新しい街の地図。

これから住む街には世界遺産があるんだ、と、そういえばあの時、君は言っていた。

きっと、地図の中心にある城壁に囲まれた敷地がそれだろう。
古びた城のようなものが描かれていて、全体的な造りは平屋のようだったが、所々に高い塔も建っている。
西洋のものなのか東洋のものなのか、いまいち判別がつかなかった。

城を囲んでいる壁の、一番東側の端に、電話ボックスのマークが描かれていた。
公衆電話?
よく見ると、街のあちこちに同じマークがある。
今君が住んでいる街では、まだ公衆電話を当たり前に使っているのだろうか。
何か事情があって、極端に電波状況が悪い街なのかもしれない。

そのマークに、ふと手を触れてみた。
すると、地図の中から、キラキラと光るオーロラ色の電話ボックスが突然飛び出してきた。

3階まで吹き抜けているこの居間の天井に届きそうなほど、その電話ボックスは大きかった。
いや、横幅は普通の電話ボックスと同じくらいなんだけれども、背が高かった。

そうっとドアを開けて中に入り、恐る恐る受話器を取ってみる。
途端に、ダイヤルも回していないのに、送話口から光り輝く馬が飛び出してきた。

馬は電話ボックスと同じくらい大きく、全身が乳白色で、だけれども妙に目の輪郭だけがはっきりしていて、星座か神話のようだった。

僕はその場で硬直し、首が痛くなるような角度で馬と見つめ合った。

馬はしばらく僕と目を合わせた後、ブルルっと一回だけ鼻を震わせ、電話ボックスを踏み台にしてポーンと一息で天井へ飛び上がり、雲から雲を軽やかに跳ね、やがて遠くの空へ消えていった。

あんぐりと開いた僕の口からは、何の言葉も出てこなかった。
何だったんだろう、今のは。
しかし地図は、場所の在り処を示しているだけで、説明は何も書いていない。
あの馬は、君からの贈り物だろうか?

分からないまま、もう一度地図を見る。

城から少し離れた西南方面は海になっていて、浜辺に面して小さな駅があった。
その駅をタッチすると、今度は中から電車が飛び出してきた。

電車の車体も、そして海も透明で、どちらも光を透かして煌めいている。
あまりに透明すぎて、どこまでが電車でどこまでが海なのか、車輪や座席が無ければ見分けがつかなかった。

電車は海の上を走っている、遠浅の穏やかな海だ。
床からは海底の揺らめきがはっきりと見え、鮮やかなオレンジ色の魚や、長い長いウツボのようなものや、閉じては開くピンクの珊瑚礁などの上を、電車はスルスルとゆっくり滑っていった。

電車は6両編成だったが、乗客はたった一人。
おかっぱ頭の、黒髪の少女だ。

黒髪?なんて珍しい。
僕が住んでいる街では、黒髪の人間なんて見たことがない。
君が住んでいる街では、当然のように存在しているのだろうか。

少女は何も喋らない。
ただ窓の外を見ている。
気だるげにも見えるし、強い意思を持っているようにも見える。

やがて電車は淡々と、地図の外に出て居間の壁にぶつかり、トプン、と小さな音を立てて向こう側に吸い込まれるように消えていった。

あの少女は誰なのだろう。
新しい街での、君の友人だろうか?
君に親しい友人ができたのならとてもいいことだけれど、僕には知る由もない。

また地図に目を戻す。
あ、これは知っているぞ、という物が見つかった。
大きな梅の木だ。
確か国内最高齢の、樹齢何百歳だかの梅の木で、テレビでも取り上げられていたのを見たことがある。
そうだ、この梅の木のある街に行くと君は言っていた。

きっと何かが飛び出してくることを分かった上で、おそるおそる梅の木に指を置く。
すると、飛び出してきたのは梅の木、ではなく、大きな焚き火だった。
それも、炎は、深い森のような緑色。

その緑色の焚き火を囲むようにして、子供達がはしゃいでいる。
裸足で、ほとんど服を着ていなくて、真っ黒に日焼けして、僕の分からない言葉でケラケラと笑っていた。

子供達は手に手にセミを持っている。
単なる遊びのようにも、何かの儀式のようにも見える。

そのセミを炎の中に投げ入れると、それは大きなウシガエルになって勢いよく飛び出してきた。
漬物石のようなサイズのウシガエルは、腹をベタッと地面に打ち付けながら跳ねまわり、子供達は笑いながらそれを夢中で追いかけぐるぐる回っていた。

それはどんどんスピードを上げて、カエルも緑の炎も子供達もすべて一緒くたにまとまって、いつしか大きな竜巻になった。
竜巻は不気味な色でうねりながら居間を縦横無尽に飛び回り、机や棚から色んな物を落として、ケラケラという笑い声と共にやがて跡形もなく消滅していった。

あまりに不可解なことが起こりすぎて、僕はちょっと疲れてしまい、呆然と立ち尽くした。

君は何を言いたくて地図を送ってきたのだろう。

元気でやっているよ、だろうか。
今いる街ではこんなことが起こっているよ、だろうか。
君もおいでよ、だろうか。
こんな面白いものを見られないなんて可哀相だね、だろうか。
ざまあみろ、だろうか。

多分、その全部。

僕は君に何も言えなかった。
ありがとうも、さようならも、過去のことも未来のことも、何も。

言えなかったのか。言わなかったのか。

君と僕との間にある特別な謎かけが、解けなくても僕は満足していた。
海の底へ沈んでゆく度に、君と出会って何年経つのかを忘れていった。
波間に漂う度に、君のことが分からなくなって、
陸に上がった時には自分のことも分からなくなったそして何年も何年も何万年もこの場所で同じことを何度も何度も繰り返して行き先の分からない終電振り返らない踵あと少しで掴めそうだった涙の理由を何度も何度も忘れて忘れたふりをして僕はーーーーーー


遠くへ行ってしまった君を想った。


僕は地図が読めない、方向音痴なのだ、だから道が分からなくてもいいと言い訳をしていた。
君から送られてきたこの地図だって、僕にはまったく読み解けない。

でも僕は、君に会いたいと思った。
何が飛び出してきても、僕は、君に会いたい。君に、会いたい。

初めまして、の気持ちで、もう一度会いに行く。
遅くはないだろうか。
だけども、行ってみないと分からない。
君に会ってみないと、何も分からない。

僕は地図が読めない。
でも、今度君に会えたなら、こう言うんだ。
「分からないんだ。君のことを教えてくれないか?」と。













ヘッダー写真撮影地:ミャンマー・カックー遺跡

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